うつくしくないかたちでもよかった
今日は着信が3回あった。1回目は比較的朝早くに。残念ながら俺はゴミを捨てに行っていたので、その着信には応答できなかった。2回目は昼下がりで、かくいう俺は津美紀のところにいたから、そもそも気づかなかった。3回目は夜にあった。まさかここまで間が悪いとは思わなかったが、俺が風呂に入っている時間だった。全てにおいて噛み合わない。
スマートフォンの着信履歴を表示した。赤い文字が上に3個並ぶ。全て同じ080で始まる13桁だった。スクロールして今までの連絡を振り返る。五条さん、学校、五条さん、病院、伊地知さん。それから。
そういうことか、と理解が追いつく。
まるで量ったかのように、着信画面に切り替わる。さっきまで悩んでいた十三桁の数列。登録していない電話番号。もう面倒臭くて無視しようと、キャンセルの赤いボタンを押しかけて、やめた。もうすぐ二十四時を回ろうとする非常識な電話の主が、もし思っている通りの人ならと思ったからだ。緑の応答をタップした。遅い時間だったから、とった。そういう非常識なひとだったけど、着信音は縋るように鳴りつづいていたから。
「はい、伏黒です。どちらさまですか」
『恵ちゃん?』
いつもより少し小さなくて掠れた声だった。面倒くさい、これから先輩になるであろう人。
「…………こんな時間に何の用件ですか」
『ねえもしかして恵ちゃんてまだわたしの携帯の番号とか登録していないの?もうそろそろ後輩になるんだよね?』
「で、マジでなんの用件ですか。昨日会ったばっかりでしょ」
『いやあ……なんか、眠れなくて』
「ふざけてます?」
『ごめんって、でも、うまく言えないんだけど、声が聞きたくて』
「…………俺でよかったんですか」
電話口の向こうでよるさんがあははと笑った。
『恵ちゃんがいいから電話したんだよ』
「これで俺は真希さんでもいいって言われたら流石の俺もキレますよ。朝から連絡入れてきて……」
『ごめんねえ』
誠意を感じない謝罪を詰ったってよかったけど、馬鹿らしくなって「で、何を話せばいいんですか」と尋ねた。
「っていうか、そんなに誰かと話したいなら誰かしらいるんじゃないですか?そっちは寮でしょ」
『寮ならね。それができないからこうして電話してるの』
「……じゃあどこいるんですか」
微かにものが動く音がする。擦れるような音の後、よるさんが「京都だよ」と答えた。
『ちなみに今のは襖を閉めた音。別に旅館てわけじゃなくて、五条の別宅みたいなとこだから音量とかは気にしないでいいよ』
いらん情報まで丁寧に報告するのはいつものよるさんだった。
「なんでまた……」
『あれ、悟から聞いてない?』
クッションにもたれかかるように、床に寝っ転がる。俺がよく言われる言葉は、やっぱりこれか。五条さんから聞いていないのか?とかいう台詞。
「何をですか?」
『明日は24日で夏油傑が言ってた百鬼夜行の日じゃん』
「ああ……それ自体はなんとなく。でもよるさんがどう過ごすとかは聞いてませんよ」
『まあそれもそうね。んーとね、わたしは京都で結界を貼る手伝いに駆り出されてるの。だからまあよっぽどのことがなきゃ死なないかな』
「そうですか、よかったですね」
『全然よかったって口調じゃないじゃん』
12月23日。明日は12月24日で、よるさんのいる京都は快晴らしい。雪は降らないらしいですよ、と電話口のよるさんに言えば、よるさんは満足そうに「やったね」と返してきた。
「いつこっち帰ってくるんですか?」
『ん〜……26、いや、頑張れば25日に東京に戻るよ』
「そうですか、じゃあ頑張ってくださいね」
スマートフォンを耳から離す。スピーカーから不満そうな、恵ちゃんさあ、あのさあというよるさんの間伸びした声がした。
『恵ちゃんさあ……それだけ?』
それだけもクソもないだろ。早く解放されるための術をよるさんとの付き合いで知っているので、スマートフォンの通話をスピーカーモードに切り替えて手に持ったまま立ち上がる。台所まで向かって、ダイニングテーブルにスマートフォンを置く。
「ケーキ、ありすぎて困ってんですよ。だから責任持って食べに来てください」
『それは恵ちゃんが食べなよ、わたし何日前の食べることになるの?』
「じゃあ聞きますけど、よるさんに、俺が毎食ケーキ食うほど甘党に見えますか」
『ギャップ萌えとかあるよね、巷じゃスイーツ男子なるものも流行ってるって聞くよ』
白々しい会話に顔をありったけ歪める。ここによるさんがいないからどれだけ正直に感情を表しても困らないのは良い。
『恵ちゃんいま変な顔しでしょう』
「どうでもいいでしょ。……いいからなにが食べたいとかあります?残ってるケーキで食べたいやつとか」
『え〜……じゃあ、モンブラン?』
冷蔵庫のなかに箱のまま突っ込んでいたケーキを確認する。開いてから記憶も蘇った。消費するという意識があまりにも強かったから忘れていたらしい。
「モンブランはないです。俺が昼食べました」
『ケチ』
「好きに食えって言ったりとっとけつったりどっちですか」
『同じ状況じゃないじゃん。ん〜……じゃあ、ガトーショコラあったよね、食べた?』
「いかにも甘いやつは手ェつけてないんでありますよ。チョコっぽいやつですよね」
『じゃあ、25日。ちょうどクリスマスじゃん、会いに行くから待ってて』
恋人みたいなやりとりだな、とは言わなかった。これを言ったら多分よるさんは来ない。来ないから、言葉は飲み込んだ。
「眠れないなら繋ぎっぱなしでもいいですよ」
『いいの?』
「どうせ明日も休みだし、俺は、どっちでも」
目を閉じて眠り続ける津美紀のことが脳裏を過ぎて、心臓を傷つけていく。罪悪感がないとは言えない。目を覚ました時、鮮やかな花が有れば幸せだろう。でも、それが薬品漬けの花じゃ虚しいと思ってしまう。目覚めた瞬間には鮮やかな生花を見てほしいと思うくらいの情緒は俺にだってある。
『恵ちゃんは結局昨日入浴剤使ったの?』
「……あ、忘れました」
『ええ……せっかく一袋お裾分けしたのに』
「仕方ないでしょ、忘れたモンは忘れた以上にあります?」
冷蔵庫から2Lのミネラルウォーターを取り出して、グラスに注ぐ。通学鞄に適当に突っ込んだ結果だ。なんとなくこうなる様な気はしていた。
『昨日のことといえばさ、わたしね、あのマフラーでひとつ嘘ついたことがあるの』
逡巡、沈黙。よるさんの声を待つ。グラスの水を飲み干して、スマートフォンと交換した。
「嘘ってなんの嘘ですか」
『なんのって……割と嘘は嘘じゃない?』
椅子の背もたれにかけたマフラーに視線が向かう。家の近所にある街灯の光が窓からまっすぐ降りている。紺色に見えるマフラーを手に取った。
『……実は、あのマフラーはわたし個人が買ったもので、真希達は一切関係ないって言ったらどうする?』
結局すぐ白状してしまうくらいなら初めから嘘なんかつかなきゃいい。よるさんは「気味悪かったら捨てていいよ」なんて軽くのたまう。何も知らないからそうやって言えるんだろう。
改めてマフラーの手触りを確認するように、畳んだマフラーを広げる。しっかりした生地で、なんとなく、触れているだけで温かかった。表面に指を滑らせる。残念でした、と明るい口調を装うよるさんを遮る。
「気づいてましたよ。始めから全部わかってました」
同じ人の筆跡のくせに、アンバランスなメッセージカード。もったいぶった順路。強調される12月22日。そうだったらいい、俺の願望があまりにも滲んで、うるさくて、聞いたら終わりそうだったからのらりくらりと見えないふりをした。
「よるさんは勝手に人の敷居に入ってきて、侵食して、振り回してくる。アンタはそういう人だって知ってますよ」
新学期が始まって、正式にこの人の後輩になったとして、よるさんはこうやって俺で遊んで、しれっといなくなって、また都合よく連絡してくる。ちょうど今日のように。今はそれがイレギュラー。イレギュラーじゃなくなったら、アンタは俺の何になってくれるんですか。特別にしてくれるなら、俺は本当になんでもいいんですよ。
「そういう馬鹿な人のことを好きになったんですから、こっちの負けですよ」
『あはは、なにそれ』
今度、会う時はちゃんと手を掴みたい。逃げられても、引っ掻き傷が残っても。揶揄われても、振り回されても、この人をちゃんと見ていたいと思ってしまった。
22.12.22
伏黒恵くん、お誕生日おめでとう!