あなたの檻に触れる

「最近のよるは様子がおかしい」
ぽつり、と座学中にパンダが切り出した。ちょうど座学を担当していた先生が学長に呼ばれたとかで席を外した瞬間だった。深刻そうに低い声で囁いたが、見た目がパンダじゃそれをやっても緊張感に欠けていた。
「アイツはいつもどっか変だろ」
「しゃけ」
「あははー、みんな言いたい放題だね……」
私達の方を見ながら憂太が苦笑いを浮かべる。言い出しっぺのパンダは静粛にしろ、とでも言うように大きく手を開いて注目を集めた。
「いや、たしかによるには常識ってやつがない。ぶっちゃけパンダの俺でもマジ?って思うことはある。めちゃくちゃある」
「呪術界で、しかも箱入りで育ったらあーもなるだろ」
「そう、だから心配なんだよ。オマエら思わないか?」
「なにが?」
心して聞けよ?とパンダが無意味に話のハードルをあげる。馬鹿らし、と私は渡されたプリントに視線を落とす。とはいえやる気なんてもんが湧いてくるはずもないから、手持ち無沙汰でくるくるとペンを指で回した。棘と憂太だけがパンダの言葉を待っている。
「最近のよるは任務がない休日に出かけるんだ……!」
そこまで引きで強調するところではない。やっぱりアホらしい話だった。
「……それは……別に……自由なんじゃ……?」
「…………ツナ?!」
「え」
首を傾げる憂太に反して棘が弾かれたように椅子から立ち上がる。そのままの勢いに引き摺られて椅子もガタガタと揺れた。
「そうだよな、棘!アイツからは男の気配がする……!」
「明太子!」
「そうかな……?」
憂太だけがうーんを目を瞑って考えている。オマエだけだぞ本気に取り込んでんの。気づけよ、とボケている頭を叩いてもよかったが、叩こうか止めようが憂太のボケ野郎具合が変わると思えない。
「よるさんに直接は聞かないの?何か事情があるかもしれないし……」
「憂太ァ〜、オマエなんっにもわかってねえな……よるはそういうこと素直に言わないんだこれが」
「そうかなあ……?」
パンダの言葉に憂太は再度首を捻る。今度は逆向きという要らないところで器用さを発揮している。私も全く捗らないプリントはやめて憂太に「よるはかなり秘密主義だろ」と助言した。
「そう、アイツは自分のことを全く話さない。悩みとかも一切。じゃあそれで学も常識もない奴ときた、こんばんは心配に決まってるでしょーが!!」
パンダの熱弁を右から左へと受け流す。
「で、本音は?」
「そっちのが面白いに決まってんだろッ!!!」
「しゃけ!」
「うーん、みんな正直だなあ……」
「みんな楽しそうな話をしてるね?」
ひょっこりとよるが顔を出す。右手でプリントをひらひらと振りながら歩いてくる。それは旗でも布でもないからそんな振り回したら使えるもんも使えなくなる気がする。
「あっいや、よるさん、別にこれは……!」
「憂太は何も言わなくていいよ。誰がなんだって?そこの色ボケのひとりと一匹は」
「もし相手が一般人のカレシなら別れた方がいいと思うぞ」
「しゃけしゃけ」
「……カレシって、そんなのいるわけないじゃん」
よるが空いている廊下側の椅子を引いて腰を下ろす。呆れた顔をしているところまでは同情する。が、ここから何が飛び出すかが全く不明なのがよるだ。
「じゃあ最近いなくなるのはなんなんだよ」
「家へ報告しにいってるの。細か〜く求められるからさ」
プリントに視線を落とす横顔はよるらしくない程に凪いでいる。
「はいはーい、毎週末行く必要はないと思いまーす」
「え〜……家に従うしかないんだからしょーがないじゃんか」
1分も立たずとシャーペンを机に置いたよるは私達の方を見てこんなこと言いたくないんだけどさ、と切り出てくる。
「みんなさ、わたしがカレシですって誰か連れてこない限り週末の予定を何一つ信じないでしょう」
野郎と畜生が黙り込む。沈黙は肯定だった。
「よるのくせに冴えてんじゃん」
「えっほんと?!頭良くなったかも」
「頭いいやつはそういう返しはしねえよ」
「かもって言ったじゃない、かもってさ」
笑うよるは視線が合う前にふいと机に視線を落とした。机に載った伸びかけの爪をカチカチと鳴らしている。


珍しいこともあるもので、どうやらよるの言った通り『彼氏を紹介するまで土日の予定を信じない』というのは当たっていたらしい。
真希ッ!という低い声と高菜!という声が立て続けに響いてくる。背後を振り返れば、歓喜と言わんばかりの表情で熱弁を振るってくる。
「今、よるが出かけたぞ!!!」
「あっそう」
「ちなみに今日アイツの任務はない、伊地知さんに聞いた」
「しゃけしゃけ」
「伊地知さんに迷惑かけんなよ。実家行くかもしれないだろ」
私の言葉にパンダがチッチッチッと下を鳴らしながら立てた指を横に振る。なぜかわからないがとにかく腹の立つ所作だった。よるもよるだ。男だ恋人だと言われた週に不審な行動をとる奴があるか。
「ちょうど出かけるよるに聞いたんだよ。そうしたらなんつったと思う?」
「男に会いに行くとはいってないだろうな」
「そう!あいつは任務つってたんだよ!!!!!!」
「高菜〜!」
「話聞いてる?」
「と、いうわけで真希、憂太、あとは頼んだぞ〜!!」
「は?」
「どしたのみんな……え、何……?」
悪魔的なタイミングで憂太が通りかかる。こなきゃまだマシだったのに。
「えっ行くってまさか……」
「行かねえよ!つーか、流石にわかるだろ、いくら馬鹿つっても一緒に生活してる奴らの気配だし、普段着だって見慣れてる、し」
パンダが背後から何かを見せびらかす。ひらひらと揺れるレース。ぼやけた青色。てろてろの生地。
「流石に着替えればわかんないって」

なんでこんなことをしなきゃならんのか。着慣れないスカートが足に絡む。足に張り付いてくるそれを引っ張った。これだから動きにくくて困る。苛立ちと無意味さと退屈さがごちゃごちゃ混ざり、止めに眠気が襲ってきた。だけど、あくびをかみ殺すのもばかばかしくなって、欲求のまま大きく口を開いてあくびをかました。欠伸一回こっきりじゃ重くぬるい眠気が鼻と眉間の間に溜まっているけど。こそこそと電柱に隠れる憂太の使命感を背負った背中を眺める。
「私ら二人で歩いてるとわかるもんだと思うんだけどな」
「う……すみません」
背中を丸めうなだれる憂太の頭をかるくはたいて追い抜かす。追いかけてくる憂太のこえを聞きながら歩く。繁華街のなかをよるは泳ぐように歩いていく。いまのところよるが誰かと連絡をしている素振りはないし、かといって時間を気にしているようにも見えない。
「本当に誰かと用事があるのかな……?」
隣に並んだ憂太がぽつりと漏らす。遠いがまだ視認できる背中を追いかける。パンダや棘だって暇を持て余しただけで、よるが嫌がるなら踏み込まない。
「誰かと予定があったらどうする?」
「そうだったら引き返すよ……!パンダくんたちには、こう、上手い言い訳して……」
「私もだ」
よるが並んだ店のひとつに入る。姿が見えなくなってすこし早足になりながら、休日の街中を縫うように歩いた。真希さん、とふわふわした浮かれ切った声がしてきて、憂太が全部いい終わる前に「憂太だといらんこと言いそうだしな」と被せた。
「よるが口割らないなら、いつかちゃんと話してくれるまで待つしかねーだろ」
私はごく当たり前のことを言っただけだ。でも、やっぱり憂太は本当に嬉しそうに笑って頷いた。
こそこそするのは性に合わないが、ここまで追てきてしまった以上、バレることが一番面倒臭い。すこし距離を取って帽子をまぶかにかぶり直す。
「真希さん真希さん、あそこ、花屋だって。誰かに花でもあげるのかな」
「うちに切り花を飾るような丁寧な生活を送る余裕ないし、十中八九プレゼントだろーな」
どこにでもあるような小さな花屋だった。
「やっぱり引き返そうよ」
「じゃあアイツらへの詫びは憂太の奢りな」
「なんでそうなるの?!」
「言い出しっぺが払うもんだろこういうのは」
「ええ……」
納得がいかないという視線を食らうが、どっちみち帰るにも手間だ。アイツの用事は知らないが、あまり早く帰っても不審がられるだけ損をする。
「よる出てくるぞ」
「あ、本当だ。よるさんブーケ買ったんだね」
店から出てきたよるは胸に花束を抱えていた。赤い花。真っ黒な制服だから余計にその色が明瞭だった。それを右手で丁寧に抱えたまま、空いた左手でスマートフォンを取り出した。
「やっほ〜真希、憂太。なんかおもしろいものでも見れた?」
視線が合う。色素の薄い瞳が細まり、私と憂太に手を振った。これは初めから泳がされていたのか。やっぱり着替えても無意味じゃねーか。
よるは憂太と私の格好にふん、と一回頷いた切り何も触れなかった。どうでもいい、という表情を隠さないよるの性質にありがたいと思う日がくるとは思わなかった。
「どーせパンダと棘でしょ」
当然だが事実を突きつけられる。
「そうだよ。だから文句があるならアイツらに言えよ」
「えー、実は真希と憂太のデートとかじゃないの?あっこんなこと言ったら流石に里香ちゃんに怒られるか」
「んな事実すらないっての」
「あははー、流石の里香ちゃんもそんなことまでしないよ」
「それはどうかな?憂太の大丈夫とかはなんか信頼が置けないけど、ま、いいや」
繁華街を抜けバス停まで辿り着く。病院前のバス停は休日の昼過ぎにもかかわらず誰も座っていなかった。辛気臭い場所だ。
「あ、ここ。小学校の任務の後にいった病院……?」
「あったね〜、真希と小学生ふたりを連れて行った時のでしょ?私は見てなかったから話だけだけど、3人皆背負ってきたんでしょ〜すごいね〜」
よるがくるりとこちらを振り返る。勿体ぶったように軽く小首を傾げて、私達の顔を順繰りに見た。さっきよるが買った花が生々しい生花の香りを放っている。
「そんでもって、ここが目的地」
『ここ』という指示語に従って建物を眺める。ここにある建物は一つだけだ。
「あ、病院……?」
ワンテンポ遅れて憂太がポツリと呟いた。

「わかったと思うけど、任務ってのは嘘じゃないよ。パンダと棘にそう言っておいてね」
慣れた手つきで手続きを取ってからよるが私達に念を押して、私と憂太の中途半端な隙間に腰を下ろす。人と密着する感覚が煩わしい。よるの分のスペースを開けるように端にずれた。
「えーと、よるさんどっか悪いの……?」
「わたし?いやいや、そんなわけないじゃん。ね〜、真希」
「なんで私がわかってる前提なんだよ」
「真希のケチ」
「何食えばそういう発想になるんだか教えて欲しいくらいだわ」
取り付く島もないことをようやく理解したよるが憂太に向き直る。よるのその後頭部が視界の端にちらちら映りこむ。
「じゃあ憂太。わたしはとても健康体だから安心してね。っていうか普通受診にきて花はもってこなくない?」
「あ、そっか。じゃあ誰かのお見舞いとか」
「ねえねえ真希、憂太って百点満点すぎるよね。も〜ほんとあらゆる態度がさあどっかのボンクラ共にも見習ってほしいよねえ」
せっかく憂太の方を見ていたのに、もうこっちに戻ってきたよるを「よかったな」と軽くあしらった。嬉しそうなのは結構なことだったが、あまりにもいらない話がすぎる。回り道をいくつしたら本題に入れるのやら。
「ねえよるさん、家族のお見舞いなら僕達いない方が……」
「それは気にしなくて平気。行ったでしょ、任務だって」
「ああ、そういえば、そうだね」
「まあ詳細は行けばわかるし、あ、ほらもう呼ばれる」
立ち上がったよるの後を私も憂太もついていく。やけに慣れている。よるの言った通りあくまでも任務で、特に他意はないのだろうか。
「そうだ、彼女寝たきりだから。そこまで緊張することないよ」
「そうなんだ……任務ってことは、その人も呪いの被害に?」
「うん。原因もわからないから定期的に様子を見てるの。……もしかしたら目を覚ますかもしれないしさ」
「オマエがいく意味はないだろ」
「……家族が奪われるのって怖いからね」
よるの目が僅かに伏せられる。あまりにも痛々しい所作に感じていた違和感がもう一度形を成す。よるの口ぶりは、寝たきりの彼女ではなくその家族への同情が滲んでいた。実感を伴って。
少し湿った空気を振り払うように「ここだよ」とよるが病室の扉を指差す。軽いノックの後、病室に入っていく。
枕元の花瓶を手に取り、水を汲む。花束はすぐそばのスツールに置かれる。
ベットには『彼女』が眠っていた。微かに胸元は呼吸に従って上下している。細く青白い病院めいた肌色に点滴の針が刺さる。
「眠ってたね」
素の場所に花瓶を戻してからよるが苦笑いを浮かべた。白い花瓶に赤い花はひどく眩しかった。
「本当に今日のは任務か?」
私の言葉に憂太が呆然として口をぽかんと開く。
「今日は任務じゃないって、伊地知さんとか日下部あたりに聞いたんでしょ」
「パンダと棘がな」
「任務だよ。他は知らなくても悟に聞けばわかる」
よるは制服の胸元を開いて、小さな護符を取り出し花瓶の底に貼り付けた。よるは自慢げに「任務終了だね」と指を2本立ててピースサインを見せつけてきた。
「……真希さん、任務じゃないって思ってるの?」
憂太がひっそりと私に耳打ちする。よるに聞かれたらまずいと思ってるのかもしれないが、どう考えてもとっくにバレている。
「あれ、二人とも帰らないの?帰ろーよ」
「ええと……そのー……」
「これが任務ならなんで伊地知さんも知らないんだよ、って憂太が」
「真希さん?!」
隣で憂太が絶叫する。ドアを半分開いてこちらを眺めるよるは、いつもの顔でこちらを見ていた。この顔を見ていると、時折見せる陰鬱さが嘘のようだ。
「私もあからさまに隠し事をされるのは気に入らない」
口元に薄い愛想笑いを携えたまま、よるは口を開いた。
「ねえストーカー諸君、本屋寄ってっていい?」
「あ、うん。大丈夫だけど……めずらしいね」
「憂太ぁ、言いたいことはわかなくもないけどそういうこそ真希とコソコソ話して欲しいな〜?」
脈絡もない提案。いつも通りといえばそうだが、あまりにも露骨で「よる」と咎めるような声が出た。
「ついてからする、というかまあ道中でもいいけど」
それだけ言い残してよるは病室を後にする。それを追うように歩く。一瞬だけ『彼女』に視線をやる。額の印。手首に巻きつけられたタグ。続く五文字。
「真希さん?」
「……なんでもねえよ。ほらいくぞ」
病室の名札を確認する。伏黒津美紀。まさかな、を何かが上塗りしていく。バス停を通り過ぎる。珍しく停車したバスの中から肩に蠅頭が撒きついた女が下車した。そのまま覚束ない足取りで病院の門をくぐっていった。

23.01.30