まちがいだらけのままごとだけど
「よるさん、何か本でも買うの?」
「昔読んだ本。宮沢賢治のさ銀河鉄道の夜ってあるでしょ?」
「あれかあ。でもなんか脈絡ないね……?あ、ごめん」
よるはお得意の愛想笑いを浮かべながら「正直だなあ」と応答する。
「じゃあ今度は脈?にそって離すけど、本当にわたしとしてはさっきいった通りなんだよね」
「家族が奪われる云々ってやつか?」
「そ、やっぱり辛いじゃない。わたしなら耐えられない。救える手段があるならなんでもするよ。っていうか……まあ、わたしは、した」
少しでも大きい商店にはたいていチェーン店系列の本屋が入っている。平積みされた話題書のコーナーを通りぎ、児童書という看板を追う。
「具体的には、何かしたのかよ」
「……ここに、呪術高専に来てることとか?」
「家族のために?」
「まあ、広義的には」
絵本のコーナーを通り過ぎる。
「真希なんか怒ってない?きのせい?」
「オマエの秘密主義がクソ面倒くさいとは思ってるな。その質問も猶更腹立つ」
「ねえねえいまの聞いた憂太〜!?ひとが慣れないなかいっぱい話してやってるのにさ〜!」
「こういう時だけ憂太に縋るな」
私とよるのやりとりを静観していた憂太が仲裁するように、まあまあとなだめすかしてくる。どっちもどっちという腑抜けた態度にも腹はたったが「公共の場だし」という憂太の情けない声に私が根負けした。
「あっそうだ。ねえ、よるさんの家族ってどんな感じ?」
「……弟がいるよ。一つ下と五つ下のおとーとがふたり」
よるの言葉を聞きながら、いつかに見た高紺の家を考える。よるがいたのは覚えている。あれが高紺の家で、家に何度も繰り返し生まれてくるおひいさまだ、と指差す母。あの一行に弟なんていただろうか。同じ年ごろかそれより幼い子供、よるのことは見かけた記憶があるが。母が言う。ああなんて家を愛している子なのかしら。乾いた羨望。
「なんだっけ忘れちゃったなあ……ああ、そうだ本が好きだった」
「へえ〜!」
「かわいかったな、お姉ちゃんに呼んであげるって宮沢賢治持ってきて、つっかえつっかえよんでくれたの。だから今はすっごい頭良くなってるんじゃないかなあ」
私は憂太とよるの会話をただ隣で聞いていた。
「本当にすごく、かわいかったよ」
その言葉にこもった実感は嘘ではない。少なくとも私はそうだと信じている。
よるは本を抱えるように笑う。ちいさな子供を抱くような手つきだった。銀河鉄道の夜。その文字が確かにそこにあった。ブルカニロ博士編入り。知らない文字をよるが懐かしそうに撫でる。
「あれ、真希と憂太、よると一緒に帰ってきちゃったのかよ」
「すじこ」
寮でいまかいまかと待ち構えていたらしいひとりと一匹がこちらにあからさまにがっかりした表情を見せた。
「だってなにもやましいことなんてないもん」
「つっまんねえ〜」
「パンダのくせに人間で愉悦するとは許されざる行為だよ」
「……よる、オマエそれ意味わかっていってる?」
「え?まあ、なんか、こうさ……雰囲気で」
「雰囲気かあ〜!」
結局それからも悟によるの任務がどうなっているのかは尋ねなかった。だから、ともつづけることができるし、たとえ真実を全て知っていたとしてどうすることができたのかなんてあったのか。
まあ結論からいえば、バカは死ぬまで治らないということだ。やっぱりよるは何も言わずに任務に行って大怪我をこさえて帰ってきた。最近多いな、と誰からともなく呟いた。目の傷と制服をずたずたにして数か月も経っていない。どうやら今度は足を折ったらしい。そういう時に限って硝子サンは遠出している。本当に馬鹿なやつ。
「真希さん、よるさんのお見舞い行った?」
「お見舞いっていうか医務室だろ」
「まあそうなんだけど……」
暇だろうし差し入れ持って行こうよ。憂太の言葉に流されたはいいものの、何をもっていくべきか。よると違って花には明るくないし、なにか今から買いに行く甲斐性はない。部屋をぐるりと見渡した。この前買ったリンゴが目についた。お見舞いといえばフルーツ。これでいいか。籠の中から一番真っ赤なリンゴを手に取った。
開きっぱなしの医務室のドアからふたつ影が伸びている。
「ちょっとちょっと、恵ちゃん包丁の使い方下手すぎ。実は不器用なの?」
「ガン見されてたら難しいですよ」
「そんなの言い訳だよ、もともと下手そうじゃん。わたしがやろっか?」
よるが恵の手からリンゴと果物ナイフを回収する。よるにしては珍しく、するすると器用にりんごの皮が剥かれていく。ふわりとした微笑みを浮かべてよるが「恵ちゃんて格好つけだねえ」と呟く。愛想笑いではないもの。
「真希さん入らないの……?ってあ、」
憂太の声によるが顔を上げる。
「真希と憂太じゃん。そんなところで惚けてないでこっち来なよ」
弾かれたように恵が私達の方を見る。状況的に何もおかしいところはないのに、あからさまに不味い、という表情を見せた。
「どーも…………」
強張った頬、小さい声。何を戸惑っているのか。
「伏黒君も来てたんだね、よるさんと仲良かったんだ」
「別に、良くはないです。この人に振り回されてるだけで」
「あはは、恵ちゃんはいつまでも学習しないよね」
オマエがいうかという言葉を言ってやってもよかったが、それはやめた。よるの視線が私を通りすぎ、恵に収束する。なんの躊躇もなく医務室に入っていく憂太の背中を見た。そういうことか。赤い花、赤いリップ、それからリンゴ。
私はなんとなく見ていられなくなってその場を後にした。なぜだか見ているのが痛々しくて。
一度だけアイツの部屋に入ったことがある。私と同じ間取りの部屋。それでも、よるの部屋は私の部屋より広く感じてしまった。
必要最低限。生活感は床に転がるミネラルウォーターのストックと机に散らばった書類、起き抜けの乱れた状態のまま放置されたベットくらいだった。何もいらないと唱える声が聞こえてきそうな部屋。
アイツの部屋には鍵がかかっていなかった。不用心という感情と、もう一度確認したい感情がせめぎ合った。簡単にドアノブが回る。無くなりかけているミネラルウォーターのペットボトル。整えられた布団。小さな鏡と化粧水。それから、件の本。
もう一度よるの所へ行ったときにはもうすでに誰もいかなかった。
「真希〜、なんでいなくなっちゃうの?憂太も恵ちゃんも不思議がってたよ」
「悪かったよ」
「暇で暇でしょうがないのにさ……真希と恵ちゃんが親戚なのは知ってたけど、おもってたより親しそうでびっくりした。なんで悟も津美紀さんの護衛をわたしに頼んだんだか」
いつもより饒舌だった。横顔だけではよるは一体なにを考えているのかなにもわからない。
「よる、そんな暇ならこの前買った本でも読んどけよ」
「この前……?」
「ほら」
部屋からとってきた本を差し出す。喜ぶでもなく。感謝するでもなく返ってきたのは困惑だった。よるの指がブルカニロ博士という文字列をなぞり、首をかしげる。四六判の硬い表紙に印刷された二匹の猫にもなにも思い出せないようだった。
「こんなの買ったかなあ。真希のやつじゃないの?」
「……もういい」
「え〜よくないよ。怒ってるじゃん、やだよ怒る真希。前も言ったけどさ」
「もういいっていってんだろ。私が怒ってようか泣いていようがよるには別にどうってことないしな」
どうだっていい。よるにはよるの事情がある。私には私の事情がある。そこに何の違いがある?だからよるが誰を好きでも、誰のために生きていても、そばにいない弟に全部を捧げていても何も異論を唱える気なんてない。ないからこそ。
「真希が怒ってる理由当てたげよっか?」
よるに腕を掴まれた。
「わたしが弟のこと忘れたから怒ってるんでしょ」
「そこまでわかってんなら、全部分かれよ。私が怒ってて何か問題でもあるわけじゃないだろ」
「わたしは……わたしは真希には知っててほしい。何も忘れたかったわけじゃなくて、本当に、大事な思い出だから、だからだってことだけわかってて」
暗くなった医務室はさらに薬のまざった匂いが強くなる。嗅覚ばかりが過剰になって、よるから死体の匂いがしてくる。手が離れる。
「忘れてももう一回買ったらさ、逆に忘れても大事だったってことになるでしょ?」
なにが嬉しいのかよるは本を胸に抱え込む。まるで割れ物にでも触れるように。幸福だといわんばかりのその表情に顔が歪んだ。
「そっかあ銀河鉄道の夜……そうか」
はじめてプレゼントをもらった子供というのはこんなものなのかもしれない。全く知らない癖にそう思った。きっとよるのことだから大切にするだけして読もうとしない。
「とりあえずこれは私が預かってやる」
よるの手から本を拾い上げる。大事なもののために捨てるその痛みを私は忘れないから。
「捨てるよりずっとマシだろ」
よるの顔の張り巡らされた愛想笑いが、決壊する。嬉しそうに、でも苦しそうによるは呼吸をした。出した返事は殆ど吐息ばかりだ。それでも不思議なもので、よるの言いたかったことはわかった。不器用なありがとう、によるの頭をやさしく小突いた。
◇
心許なさそうにフラフラしている見慣れない背中を見つけた。見慣れない、とはいうが全く知らない奴ではなかった
「恵か、こんなところで何してんだよ」
「……禪院先輩」
「だから名字で呼ぶんじゃねえっての。まあ今回だけは置いておいて……なんか用でもあるんのか」
「いや、まあ……別に」
視線が泳ぐ。普段の恵らしさとはかけ離れたその様子にハハっと笑った。
「よるなら多分桜ん木のとこにいるぞ」
「……何もよるさんを探しているとは言っていませんが」
私は禪院先輩で、アイツは『よるさん』なのか。不敬さもここまでくると一周回って面白く見えてくる。揶揄うように、恵の表情を見てやる。
「意外だったな」
「何がですか」
「恵は色ボケするタイプじゃねえと思ってたから」
恵は変わらずポーカーフェイスを貫く。別に恥をかかせたいだとか、笑いものにしたい訳ではないからそれ以上は踏み込まない。
「まあよるとオマエがどんな関係であろうといいけど、泣かせてもいいから責任もってちゃんと面倒みろ」
恵が視線をそらしてぼそりと呟く。
「…………犬猫じゃないんですから」
「似たようなもんだろ」
「真希さんにはそうかもしれないですけど、俺にはそう思えませんよ。犬や猫に失礼でしょ」
どいつもこいつも言い訳を見つけるのだけは上手い。しない言い訳をみつけるだけで上達する癖に、傍にいたいとか大切だとかそういうことになると突然馬鹿みたいに突っ立っている。
「よるはまた派手にケガしてきたから様子見てこい。大丈夫そうならこっち連れてきていいしダメそうなら部屋に突っ込んどけ」
恵は仕方ないという顔をして去っていく。走り出したいのをこらえるようにも見えたし、ここまできて悩んでいるようにもみえる足取りだった。
……それは私も同じか。
「恵、やっぱりよるのこと泣かすなよ」
返事はない。気付かないふりだった。
再建されたばかりの癖に、校舎の廊下といえば歩くたびに軋む音がしてくる。舌打ちをひとつ。すぐそばを歩いていた憂太が少し肩を縮こませて、すぐにあははとふにゃけた笑いを浮かべた。笑い事じゃねえ。
「あ、真希さん真希さん!綺麗に咲いてるよ桜」
「見りゃわかんだろ」
「そうなんだけど……そうじゃなくて。あ、あそこのいるのってよるさんじゃない?」
ほらほらと犬のようにはしゃぐ憂太に倣って窓の奥を見る。黒い制服に黒い髪。よく知ってる背中だった。
「……だからどうしたんだよ」
ごく普通の景色にしか見えない。進んで学校の花壇で花を育てるようなやつは当然桜にはしゃぐ。落ちる桜の軌道を見ているのも馬鹿馬鹿しくなってきた。天気も良いし朝練でもすれば良かったか。
「あ、ほら」
弾かれたように憂太が指を刺す。よるの目線を追いかける。やっぱりその先にアイツがいた。
「やっぱり仲がいいんだね」
「アイツらの前では言うなよ、それ」
憂太に釘を刺して、踵を返す。どうしてウチにいる男共はこうも揃って、色ボケ野郎なんだか。憂太まで影響された、と考えたところで立ち止まる。改めて後ろを振り返って憂太の人畜無害アピールの効いた顔を見つめる。ああ、そうだ。もともと憂太というアホは好きだった女子に呪い倒されるようなやつだった。途端に考えていた全てがゴミクズになったのを理解してしまった。アホらし。
「オラ、憂太ちょっと鍛錬に付き合えよ」
「えぇ〜……」
「負けたやつは飲み物奢れよ、全員分な」
「飲み物って……ん〜絶妙なライン」
初めは煮え切らない返事を寄越してはいたが、最終的に憂太は唸りながら了承を告げた。最後に桜の木の下にいるふたりを見た。いつかのような、感覚はもうなかった。何もわからないのに、なぜか、今度は安心して見れた。よるの頭上にはなびらがひとつおちる。はらはらと散る中でひとつだけそこにとどまる。恵はよるの頭上の花片を指でつまむ。不器用でおぼつかなかったが、なにか愛しいものでも拾い上げるように。
まるで全て満ち足りたような春下がりだった。
「真希、何も言わないで」
深夜、控えめなノック。ドアを開けた瞬間によるが私に抱きついてくる。包帯がほどけたが、あらわになる肌には傷跡一つなかった。この前まで血をにじませていたのに。
顔を胸に押し付けてくるよるの震えた指先と、嗚咽を聞く。部屋着なんだけど、という言葉をかける暇さえなかった。ざわつく理由を今更思い知る。幸せなくせに痛い。痛みながら、涙を流しながら何かのために身を切り売りする馬鹿な人の心理を知っていたから。なんでもないって、大したことじゃないと強がりを自分に言い聞かせることしかできないやつをわたしは嫌という程知っていたはずなのに。
それでもいまだに残る血の匂いを嗅ぎながら、私はよるのつむじに触れる。
恵、本当はオマエの役目なのに。絶対に泣かすなって言ったろ。
23.01.30