苛烈が頬になじんだら
「ほんとに中学生なんだね。それ制服?そんな明るい色のブレザーなんて実在するんだ」
「面倒くさい絡み方やめてもらえます?そもそも、なんで校門の前いるんですか。不審です」
「だいたい本音だよ。制服って見慣れなくて」
「不審だ、つってんだろ」
意外そうに首を傾げるその人にうんざりする。校門の前で仁王立ちが目立たないわけがない。実際、通り過ぎる人たち全員が俺や彼女に容赦ない好奇と不審をぶつけていく。
「とにかく校門の前はやめてください。他にあるでしょ」
「どうして。別にいいじゃない、家より学校の前のほうが怖くないでしょ」
怖くない怖い以前の問題だと考えてるのは俺だけらしい。
「高紺さんですよね。ちゃんと名乗られてないので名前がうろ覚えなんですが」
「それもそうね。普通に、よるでいいよ。名字なんて関係ないよね」
「はあ……。それで、何をしてくれるんですか」
彼女より斜め後ろを歩く。知らない人の歩く速度に合わせるのは難しい。
「何って、ラーメン食べるんだけど……恵ちゃんお腹すいてないの?」
「……は?」
口をつぐんでメニューを受け取る。メニューを渡されたことも、いま飯を食うことも、この前と話が違うということも、まあ雑多に言いたいことがあった。メニューを受け取るだけ受け取り、高紺さんの方をみる。
「……あの、さっきから言ってますけど『恵ちゃん』てのなんですか」
「おいしいんだよ、ここのラーメン。おすすめはね、つけ麺か〜、豚骨かな。味噌は人それぞれって感じ」
「…………はあ。じゃあ、それで」
カウンターに二人並ぶ。差し出された水の一つを彼女が俺の方にスライドさせる。いやそうじゃなくて。
カウンターテーブルに伸びた水滴から視線を外す。異議を唱えるより先に彼女が空気を読まずポケットをまさぐる。
「あ、お金なら気にしないで。丁度棘......同期からクーポンもらったから」
クーポンと彼女は不釣り合いだった。うれしそうにクーポンをくるりと指に巻き付ける。彼女はいかにも自慢気にクーポンをテーブルに置く。
「普通に笑えるんですね」
「恵ちゃんはわたしのことなんだと思ってんの?」
「面倒臭い人」
即答。彼女は、ふは、と上っ面だけ愉快そうに声を上げた。
「高紺さんて、よくわかんないですよね」
「……あのさあ、実は、わたし苗字でよばれるのダメなんだよね。というか誰も高紺なんて呼ばないし、いろいろあるし慣れないの」
「だから何ですか」
店内は熱気がこもっている。グラスの側面を拭って気を紛らわす。冴えない顔をした自分がぐにゃりと歪む。
「よるでいいよ。来年からはどうせ後輩になるし今から慣れておいて悪くないんじゃない?多分悟も似たこと言ってたでしょ」
おまたせしましたー、という脳的な声と共にどんぶりが置かれる。俺の返答を遮るような形で彼女は食べようかと笑う。割り箸を手渡されて、また押し切られる。事実として、ラーメンの匂いは何も口にしていない腹にとって非常に魅力的だった。
「いただきます」
「いただきます」
声が揃う。近くもなく、遠くもない先輩と食べたラーメンは、想像よりも美味しかった。
「恵ちゃん箸の持ち方綺麗だね」
隣にどんなひとがいて、どんな言葉を投げられてもこのラーメンには罪はない。飲み込んで、彼女の質問を上から塗りつぶす。
「あの、さっきも聞きましたけど、その『恵ちゃん』っての何ですか?」
「何って、君、名前はふしぐろめぐみでしょう?だから恵ちゃん。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「聞いた俺が間違いでした」
「期待させたなら謝るけれど、わたしは君が思うよりずっと単純に生きてるよ」
「すみませんが初めから期待も何もしてません」
事実を言っただけなのに、彼女はまたあはは、と声を上げて笑う。
この人は何も知らない。きっと、これからも何かを知ろうとはしないことだけを理解する。だって、俺の箸の持ち方なんて話をする人だから。俺にこういう任務をうけることがあるなら、事前に可能な限り情報を得ておこう、とだけ決意する。反面教師。
俺は、諦めることにはなれている。
「津美紀さんてどういうものが好きだったの?」
「…………なんでアンタにそんなこと言わなきゃいけないんですか」
「恵ちゃんのいう素性がわからない人にはどーたらこーたらってやつ、わからなくもないなって。でも、残念ながら私に呪術高専の高紺よる以上に語るべく情報はないから、せめて誠意でも見せようかと」
「それのどこが誠意なんですか」
「ラーメンごちそうするのも誠意のひとつのつもりなんだけどなあ」
根本的に何かずれている。でもそれを口にするほど親しくもなければ、近しくなる気もないのだ。
恩着せがましくいわれたせいで、途端に目の前のラーメンがゴムと油の浮いた水にしかみえなくなった。このひとのこういうところは五条さんに似ていてどうにも好きになれない。受け流すことには慣れているが拷問と大差ない。
「じゃあわたしが質問するから、『はい』か『いいえ』で答えてくれる?」
「勝手にやるんでしょ。別に、逆にややこしいんで普通に質問してくれますか」
まあそうなんだけど、と彼女は悪びれもなく答える。
「津美紀さんは勉強は得意なひとだった?」
目の前で揺れる湯気を見ながら応答する。
「まあ、成績が悪かったって話は聞きませんでした」
「いいなあ、わたし座学苦手なんだよね。漢字はともかく数字がややこしくて……。じゃあ次、なにか部活動に参加していた?」
「……入ってなかったんじゃないですか」
「曖昧だね」
割り箸をスープの中につける。なにかしていないと質問に答えることができなかった。なにかしていないと、自分の唇の動きと声帯と脳が同時に同じものを発してしまいそうだったから。
「俺が帰宅するときにはいつも自宅にいたし……入ってたとしても、文芸部とか、毒にも薬にもならない部活だと思いますけど」
「そう。恵ちゃんはなにかしてたの?部活とか」
水を飲み干す。本当はグラスにあった氷まで口にいれたかった。でも、そこまでして答えたくないことだと思われるのも癪で、「部活には入ってません」と吐き出した。
「津美紀さんの得意なことってなにかあるの?……例えば、料理とかさ」
「料理は、まあ、いつも津美紀がやってくれてました」
「あ、素直だ。すごいな、津美紀さんってわたしと同じ年なのに、毎日料理してたんだ」
なにも答えたくなかった。相槌もなにも求められたくなかった。だからまた麺をすすった。彼女はそれ以上俺に質問しなかった。
何も知らないことだけが明るみになっただけだ。
俺は一体、津美紀の何を見ていたんだろう。典型的な善人だと勝手に決めつけて、ガキみたいにめいいっぱい反抗して、家族だって認めずに突き放して。こんな気持ちが悪い俺みたいな奴を、受け入れてくれた善人だったのに。本当なら、もっと幸せになれる人間だったのに。元はといえば、俺の親父が津美紀の母親に出会わなければ、津美紀はこんな目に合わなかった。
「恵ちゃんはさ津美紀さんが目覚めたらどうしたい?」
彼女のその質問は聞こえなかったことにした。店内に流れるラジオは、何度目かのラブソングを流し始めた。どこに行っても流れているその音楽は軽いだけで、なんの薬にもならない。帰り道のときめきを唄う。わからない。夕方の浮かれた気持ちなんてわかるわけがない。
ラーメン屋の暑苦しい雰囲気とは不釣り合いな音楽を聞いているふりをする。どうせ俺たちは呪うことしかできない。きっと隣のこのひとも同じだ。世界で一番遠いラブソングを他人事として受け流す。
誰に責任を問うこともできない沈黙から逃れたくてつい早足になった。横目で彼女の様子を伺う。箸の持ち方の指摘をしたときと、恵ちゃんと呼ぶときと、初対面。なんの変化もない無味乾燥とした横顔。いや、クーポンを見せてきた時はもう少し、人間らしい表情だったか。
ふらふらと車道側を歩く彼女の腕を掴む。ちょうど真正面からヘッドライトが差してきて、そのまま俺の方へ身体を寄せる。
「危な……。この通り車結構来るんでで真っ直ぐ歩いてください。目の前で轢かれたら寝覚め悪いんで」
「…………あー、ウン、ありがと」
「なんですか」
「いや、えと、ありがとうって、ことで」
二台目の車が横を通り過ぎる。俺と彼女も一瞬だけ白いヘッドライトを浴びた。白い光。あれはテールランプなんかじゃない。赤はどこにもない。この路地には信号はないし、ポストは駅前だ。
「もう車行ったから、だいじょうぶ」
彼女が俺の腕を払う。赤い首筋、熱っぽい手。
合わない視線に、夕方から溜まっていた感情に溜飲が下がる。たしかにラーメンは美味しかったし、学校よりも家に来るほうが遥かに面倒くさい。
「ここから電車だと厄介じゃないですか。俺としては今日で終わりでいいんですけど」
「伊地知さんが着てくれるし、この後もう一個任務だから心配しないで」
「呪術師なんてどこがいいんですか」
そりゃ決まってるでしょ、と彼女が今日一番の愛想笑いをした。
「金払い」
正直な言葉を鼻で笑ってやる。
「嘘だと思う?これが本当なの、お金を貯めて少しだけ、何に使おうかなあって考えるのがすきで。どこかに行ける気がしない?」
俺が足を止めると彼女も足を止めた。愛想笑いは崩さぬまま、彼女は俺を宥めるように語る。「ま、小さい子がやるおままごと気分でもいいんじゃない?」本心か言い聞かせているだけかわからない。このひとは一体誰だ?自己紹介が足りないとか、そういう問題ではなくて、今日、この瞬間に初めて彼女と目が合ったような気がした。愛想笑いと隔てて、その先。
「お金ってあっても困らないから。いっそのこと、全てを金で買えれば楽なんだけどね」
「それだけですか?」
「それ以上でもそれ以下でもないよ。あ、もう伊地知さんいるね、じゃあ、恵ちゃんは不服かも知れないけれど、じゃあ『また』」
間違えた、というかのように俺を振り切ろうとする。今じゃなければいけないと思った。だから、伊地知さんの停めた車に乗り込む前に、俺は彼女を呼び止めた。「よるさん、思ってたより可愛げあったんですね」よるさんが立ち止まる。
街灯の下で振り返ったよるさんの顔を俺は夢に見るかもしれない。それほどまでに、ここ数日で一番痛快だった。街灯の下では隠しようなどないから、よるさんの耳の色がよく見えた。ざまあみろ。今日は五条さんに電話をする気になれない。腹もちょうどよく満たされてるし、まあ、終わらせるにはあの人の吠え面をもう少し見た後でもいい。赤い耳と、負け惜しみのような「恵ちゃんっていい性格してるよ」なんて言葉がやけに耳に残った。
22.03.15