hope
君と手を繋いでいる、それだけでよかった。
本当に君が誰であってもよかったの。呪術師でも、悪魔でも、呪いでも、神様でも、もちろん、ただの15歳の伏黒恵君でも。そこにいるのが君でいればいい。ごめんね。わたしは本当に身勝手な女でごめん。一緒にいるたびに、たくさんのごめんばかりが生まれる。ごめんね、何も言えなくて。
「恵ちゃん」
もしもわたしが全てを忘れても、君に出会ったら同じことをするよ。これが恋なのか、愛なのか、やっぱりまだ自信はないけれど。恵ちゃんの、必要なもので満たされたちょうどいい部屋の中で、わたしは恵ちゃんの肩に身体を預けた。日差しがフローリングに一本通っている。
眠ってしまった君の、前髪で隠された額にそっと触れる。少しだけ汗ばんでいるのはどちらだろうか。わたしなのか、恵ちゃんなのか。それともどっちもなのかな。
いまこの瞬間に君が目覚めることを期待して、怯えて、でもどちらにもなれなかった。昨日のままの室内。服も、グラスも、とりあえず並べていた勉強用具も、なに一つ全て昨日と変わらず同じ場所にあった。唯一違うことといえば、時間経過とともに溶けて、グラスの底に溜まった氷の成れの果てだ。そっとベットから身を乗り出して、グラスを掴む。
机の端に追いやられていたスマートフォンとイヤホンを取り出して、右耳にだけ差し込んだ。人生を賭けて、たった一度ループをするなら、わたしも一番幸せな時間がいい。殺風景なスマートフォンの中で、酔った人みたいに浮かれた4分と48秒を再生した。
わたしは何度も繰り返す日々の中にいる。綺麗に積み上げて、それから壊す。ループは一生に一度?そんなこと言ってる場合じゃないからさ、だから、だから。もし仮に一生、同じものだけを流し続けるなら、やっぱりアウトロはイントロに美しく繋がるものじゃなければ。
そっとベットの中に戻る。やっぱり恵ちゃんは無防備に寝息をたてていて。わたしは笑いかける。君の目に映るわたしは多分、愛想笑いを張りつけているんだろうな。朝だと主張する光を全て無視して、わたしはカーテンの内側で恵ちゃんの手を握っていた。眠ったままの恵ちゃんの眉が不愉快そうに歪んで、確かめるようにわたしの手を握り返した。
世界はもう夏だった。薄いタオルケット。首の裏の汗。それでも、何かをなくしてしまわないように握り締める。世界はもう夏だと言っても、わたし達はいつまでも春を繰り返すだけだった。冬が来たらどうしようかな。それまでに全部終わっているのかな。
「よるさん」
「おはよ、恵ちゃん」
すぐに指が絡んだ。どちらが絡めたのかはわからない。でも、どちらからともなく指を固めた。どう頑張ったって同じ生命体にはなれないことはわかっていたのに。
「……なに、聴いてるんですか」
わたしの右耳を寝ぼけた柔らかい指が触る。
「今ね、同じところにピアスを開けたくだりだよ」
「ああ……すきですね、それ」
うん、の代わりに瞬きをすると、あの、春の日が過ぎる。なにもわからないふりをして、笑って恵ちゃんの手を頬に寄せた。
「ねえ、昨日観た映画の2人ってどうだった?」
「……朝起きて一番にする話ですか、それ」
「え〜、いいじゃん別に。昨日しそびれちゃったんだから」
「いやあれはよるさんが……いやなんでもないです」
都合の悪いことになるとすぐに口をつぐんでしまうのは、なにもわたしだけじゃない。恵ちゃんは
「確か……夏の、いや、砂漠だかなんだかで結婚式に参列する日をずっとループしてる男女の話ですよね」
「平たく言えばね」
「ループから出ていくために、量子力学だかなんだかを勉強して行くっていうのは、まあ、ありきたりですけど、面白かったですかね」
「あはは、現実主義者だなあ」
恵ちゃんの指がわたしの耳元の髪を撫でた。
外は、もう夏だった。
「じゃあよるさんはどうだったんですか」
「気持ちわかるな〜って」
「……どっちのですか?」
「さあ、どっちでしょう。恵ちゃんはどっちだと思う?」
でた、という顔を隠さない恵ちゃんは、やっぱり愛想がない。少しくらい愛想を振り撒いたっていいのに。嘘。わたしにくらいちょっと愛想を振りまいて欲しい。
ゆっくりと起き上がって恵ちゃんは床に散らばった黒いパーカーに腕を通す。黙ってわたしのシャツを跨ぎ、そのまま冷蔵庫の前まで行ってからやっと振り返った。起きて数秒はちょっと可愛げがあったのに、起きて15分経つと昼間より無愛想に磨きがかかる。シンクの銀色が日差しを集めている。春の日と同じように。
「アイスコーヒー飲みます?」
無糖と印刷されたパックのアイスコーヒー。右耳だけにはめていたイヤホンもスマホも机に置く。ひとまず、置いておいた。
「うん。ありがと」
「それ飲んだらさっさと出てってくださいよ」
「えー、ごめんって。つれないこと言わないでよ。ね?」
次にまた春が来るとしたなら、どうか、君にとっては良い春でありますように。ただそれだけを願っている。
未練がましくさよならの準備を先延ばしにしてしまう。でもね、君の幸せだけを思っている。弱くてごめんね。
「わかってます。……いいですよ、ゆっくりで」
23.0318