ミルクに沈めたらそれでおしまい

「せっかくあったまったのに、冷えちゃうね」
「……不眠がいいなら付き合ってあげますけど」
「やだよ。明日用事あるから朝早いもの」
恵ちゃんは本日何度目かもわからないため息を吐く。「どこまでいくんですか」というから「高紺の家」と答えた。家に戻るのは気が進まない。けれど、戻るに意味があるので従うしかなかった。恵ちゃんは平静を取り繕った。
「じゃあこのまま布団入った方がいいですよ」
「どうやって?」
わかっていたけど、わざとらしく首を傾げる。
「……暴れないで抱えられててくださいね」
「抱えるほどの距離じゃないよね、たかだか数メートルじゃん」
「じゃあ、手を引きます」
「…………エスコートしてくれるんだ?」
恵ちゃんがいつもの口調で「いい加減黙っててください」と言ってくる。先輩に対してそんなことがよくもまあ言えるなあと感心した。
「よるさん、もし、俺が……俺が術師として強くなったらアンタの家の人殴りに言ってもいいですか」
「突然なに?」
「アンタが好きだとかそういうの言ってくれないのは家に問題があるんだと思って」
「あはは、すごい自信だね。真希あたりから聞いたでしょ、ちゃんと最後まで聞いた?」
「禪院と高紺が仲悪いところまでは」
手を握って「甘いなあ」と感想を漏らす。甘い。すごく考えが甘いよ。
「じゃあ、わたしに許嫁かなんかがいると思ってるんだ恵ちゃんは」
「まあ、そうですね」
「30点かなあ。いや、そりゃ許嫁がいるにはいるけど別に一緒になるのが嫌なわけでも、恵ちゃんとの方がいいわけでもない」
点数をつければ恵ちゃんは黙ってしまう。わたしの手を引いて、ベットまでエスコートしてくれる。でもね、本当はね、違うんだよ。本当は。
「……ねえ、白いチューリップの花言葉って知ってる?」
「よるさんがそんなものに関心があったのが意外です」
「あはは、それはわかる。あのね、白いチューリップは新しい恋だってさ」
さっきと同じように腕を引っ張られるまま、恵ちゃんに抵抗をしないまま、ふたりでベットに入る。シングルベットじゃ膝同士がぶつかる。
「…………嫌味ですか?」
恵ちゃんはそんなことを言いながら、わたしの髪を梳いた。ゆっくりと、髪と髪の隙間に指を埋める。右手を離れた恵ちゃんの手のひらは、わたしの剥き出しの肩を覆う。温めるように。
好きだなあ、と恵ちゃんの顔を眺めながら思う。言えない言葉を全部流して、それで瞼を下ろした。触れたところから少し早い脈拍と君の呼吸音が聞こえてくる。
「……寝ました?」
「恵ちゃんこそ」
耳の後毛に恵ちゃんが触れたのがわかった。
「全て本当のこと話してくれなくてもいいんで、いつか、俺の方がいいって素直に言ってくださいよ」
考えておくね、と返した言葉は嘘だってすぐのわかるほど、薄っぺらな言葉だった。
だから、寝息が聞こえてきた時とても安心した。きっと君は理解してくれてない。でも、多分、これからを考えている。ごめん、ごめんね。
「ごめん、全部忘れて」
今日は泣かないで終わらせたい。泣いたって誰も慰めてくれやしないから。誰が慰めてくれたって、恵ちゃんじゃないなら意味がないよ。君が忘れても、わたしはいつかくるその日で君を待ってる。約束は守るからね。
「怖くないよ。大丈夫、安心してね」
唸りながら恵ちゃんの目が開く。いつも通りだった。青い目がわたしを捉えようとぐらぐらと揺れている。必死で、いじらしくて、かわいくて仕方がない。こんなわたしに震える手を伸ばしてくれる、どうしようもないところが好きだよ。
「君が……恵ちゃんが忘れても、わたしが全部覚えてるね。それにね、恵ちゃんがわたしとのことを何一つ覚えていなくても、わたしは何も怖くない」
視界が滲んで何も見えない。術式を発動させる。忘れて、忘れてね。満月の煩わしい夜に、
体温も、心拍も、目の色も、髪質も、頬の形も、歯形も全部忘れていいよ。
「酷い女だったって覚えていてね。わたしのことを好きだったことだけは忘れないで、これは嘘じゃないからさ」
耐えきれず重力に従って涙が落下した。恵ちゃんの頬に丸い、生ぬるい水滴が落ちた。鈍く光を集める。恵ちゃん、もう覚えていないけど、初めて好きになったのは最低な女だって言ってよ。ねえ一番酷いでいいから、一番をちょうだい。そうしたらきっと来世にでも、ごめんねって謝るし、今度こそ、こんな腐った宿命論を粉々にしよう。今度こそ、嫌いだって言って。そうしたらわたしは君が好きだって答えるから。前世から君を思わない日はないよって、スッカスカの愛を囁いてあげるね。何文字も何度でも今度こそ、を重ねる。今度こそ上手くやるから。

全部が終わっても、やっぱり涙で霞んだ視界がなかなか治らなくてわずらわしかった。激痛はない。でも古傷が雨の日に疼くように、永遠と付き合っていく痛みだった。ひとつずつ、ひとつずつ増えていく。君との思い出が増えていって、幸せな記憶が増えて、反転、そこが傷になる。どうか、わたしを忘れた君が幸せでありますように。バケツいっぱいに言えなかった好きを詰めておくね。

わたし達が本当に全部を忘れたら、きっとチューリップが鮮やかに咲いている春になってるよ。

22.06.14 / 22.12.05