愛していたいよ痛いんだよ


「改めていうが、俺はおまえが好きだ。今後、俺にはおまえくらい特別に思える人間はできないと思う」
真剣な表情だった。今にして思えばデート、と口にしたのだって風間先輩からすればなかなか思いきった行動だったのだろう。あの頃見えなかったものが見える年齢になった。でも、やっぱりそのぶん、聴き取れなくなったものもたくさんある。
自分のこと、先輩のこと。これからのこと。
それでも今日、この喫茶店だけは高校時代と変わらない空間だった。細かいところは変わっている。わたし達以外の客がいないこととか、マスターが独りいるところだとか。壁に貼られていたポスターも全て剥がされていて、画鋲の穴の分、少しだけ凹んでいる。
もう二度とここに来ることはない。マスターが寂しそうに、でも満足そうにわたしと先輩に向き直る。最後の客として、行儀良くわたしたちはそれぞれコーヒカップに口をつけた。
知らないはずなのに、懐かしい味がした。ブラックコーヒーの中にわたしの顔が映っている。微笑みのない、険しい顔。ソーサにカップを置く。この窓からも無骨なボーダー本部が見える。のっぺりとした大きな基地。
「ごめんなさい。私には、まだ、その気持ちに応えられません」
 赤い目はゆっくりと瞬きをした。どこまでも先輩の目はまっすぐで、それが心地よい反面、足元がぐらぐらとする。だってわたしには何もない。今のままじゃダメだから。
口にしたらこの世界が壊れてしまうように思えて、わたしは何も言えない。
 ねぇ風間先輩。あの日のことを覚えていますか?私と先輩が、ただの満たされた子供だった日のこと。どこかに行けるものだと、そして帰ってくる家は、ここにあると疑っていなかった、そう遠くはない日常。今のカタチではない日常について。
 あの日について聞いてみたい。青く、痛々しい、それでいて強烈なエネルギーをはなっていた、昔のあなたに。きっと今の先輩じゃ思いせないたった1秒を。
 目の前にフルーツサンドが置かれる。席を離れるわけにも行かなくて、わたしは先輩の顔を盗み見た。
「気にしないでいい。別におまえとどうにかなりたくて言ったわけじゃない。そうだな……ケジメのようなものだ」
 晴れやかな顔だ。迷いのない、とても先輩らしい表情。眩しくて目を細める。そうですかと答えるわたしは笑えていただろうか。先輩は笑っている方がいいと昔言った。わたしには真面目な顔は似合わないとも。笑っているから、あなたが言うように笑っているから、あまり遠くへ行かないで。
好きだと言われるのは初めてではない。その度に言われる言葉にある意味が違うような気がして、わたしはいつもそう言えばいいのかわからない。わからないことばかりだった。
「それから、歌川をよろしく頼む」
「……歌川って、風間さんのところの新人王候補で……あの、落ち着いた方の彼ですよね。え、全く要領を得ないんですが」
「それは本人から聞いてくれ」
「意味がわからないんですけど」
水面に波紋が広がるように、水が波打つ。でも数秒すれば、何事もなかったかのように、水面はいつも通りの顔をしている。わたしも先輩も、結局、変わらない。ただ、この関係につく名前は恋ではない。


あ、似ている。先輩と真っ直ぐわたしを見るところだけは似ていた。だからやっぱり印象は決して悪くはない。
「春白さん、オレに射手トリガーの使い方を教えていただけないでしょうか」
誰かに教えを乞うことはたくさんあった。特にわたしは。迅、小南、レイジさん。この辺りには未だに頭が上がらない。現に勝てないし。勝てないからログを見返して延々と練習するか、レイジさんが言っていた基礎を振り返る。それがわたしの今までだった。それを全て壊すように歌川遼くんはわたしの世界に割り込んできた。
「射手トリガーの使い方なら本職の子に聞いた方が確実じゃない?……いや、そもそも風間隊って近距離特化型部隊でしょ。仲間内で使える時を探した方がいいんじゃないの?ほら、宇佐美ってシュミとか好きだし……」
相談する相手を間違えているんじゃない?と続けようとしたら、歌川くんが深々と頭を下げる。
「そういう話も含めて、オレは春白さんに教わりたいんです」
「ちょ、こんなところで……話なら聞くからラウンジに行こう、歌川くん。ね?」
「あ、はい。そうですね……配慮が足りなくてすみません」
「歌川くんは悪くないから、立ち話ってのも、あれかなって思っただけだよ」
いくら今はちょうど他に人がないとはいえ、ボーダー基地内だ。誰が通り掛かってもおかしくない。流石に年下の、しかもわたしより実力がある子に頭を下げさせるなんて、何を言われるかわからない。これをネタにして楽しむような人がいないわけではない。例えば、太刀川とか出水とかあの辺りも射手の子。
ラウンジで二人向き合った。歌川くんは話に聞いていた通り穏やかな人だ。とても年下には思えないような。
「オレたちの部隊は春白さんの言った通り、近距離攻撃で連携に比重を置いてます。菊地原のサイドエフェクトを存分に活かした連携。このコンセプトでA級に上がれたし、でも、それだけじゃA級じゃやっていけないと思うんです」
中学生らしくないな、と思う。わたしが中学生のころはこんな明確にやるべきことなんてわかっていなかった。
「それで、歌川くんは万能手を目指そうと思ったと……それがなんでわたし……あ、レイジさんの弟子だから?」
「あ、そうなんですか」
素直な反応に口がほころぶ。違ったか〜と言いながら、一応補足しておく。
「玉狛のことはやっぱり詳しく知らないよね。一応わたしの師匠はレイジさん。玉狛支部ができるまでは一緒だったから」
「てっきり風間さんの弟子か何かかと思ってました」
わたしのグラスの中で氷が溶け始めている。風間さん。彼がそういうのは間違いなく彼の隊の隊長だ。
「……どうしてそんなこと思ったの?」
「あ、オレの勝手なイメージです。風間さんは、よくランク戦のログとか見てたときに、春白さんのとかも研究してたので……。あ、オレ自身結構参考にしてて」
歌川くんはそこで言葉を区切る。
「意外だなあって、思ってる」
「オレがですか?」
「いや、そっちじゃなくて……風間、さんがわたしを評価してるっぽいの、知らなかったからさ」
歌川くんはあはは、と笑う。嫌味のない気持ちいい笑い方だった。そこは少年らしい健全さがあった。落ち着いているから余計に彼の小年らしさは好印象だ。わかりやすくいうと悪い気はしない。太刀川の顔が浮かぶ。アイツに足りないのはこれだな、と思ったし、わたしが迅と関わるのも同じかもしれない。やっぱり、こんな良い子に頼りにされると答えたくなる。
ほとんど氷が溶けて薄まったアイスティーを一口吸い上げる。
「わたしの戦い方は難しいものじゃない」
グラスの側面の水滴を指で拭ってから、歌川くんの方を見る。
「一応わたしはレイジさんに基礎……もう歌川くんが身につけているような攻撃手の動きとか、トリオンキューブの分割と攻撃のパターンを教えてもらったの」
頼って来てくれた後輩に精一杯答えたいと思った。風間先輩がどうとかではなく、ただ純粋にこの子に渡せるものがあるか考えてみたくなった。わたしには何もない。迅はトリオンがどうとかいうけど、今じゃ出水や二宮みたいなトリオンが強い人もいるし、中高生でサイドエフェクト持ちのトリオンの方が将来有望だ。
「そうだね……ここ数年のログで見るような戦い方っていうのは、わたしがこう、周りとランク戦をやりまくった結果だから、あまり参考になるか分からないけど」
「大丈夫です。究極的に言えば春白さんのスタイルとオレの求めるスタイルは同じではないとは思います」
歌川くんが言いたいことはわからなくもない。攻撃手のスタイルを邪魔しないで射手をやるのはなかなか苦労するだろう。特に、風間隊なんて超近距離部隊じゃそうだ。歌川くんの顔を見る。高校生になったばかり。眩しい。
「賭けに近いかもしれないけど、それでよかったら」
「あはは、自分で選んだので後悔は言いません」
「頼もしいね〜、じゃあわたしにできる範囲で協力するよ。色々考えてもランク戦するとかトレニーングするとかになって地味とは思うけど」
自信がないせいで卑下する言葉ばかりが出てくる。でも、歌川くんはそれを認めてくれる。



遼との練習は楽しい。もともと彼は運動神経がいい上に、センスも高いのか教え初めて数回で射手トリガーの扱いにもなれた。遼からでる要望やちょっとわたしが気になった点を指摘するだけ。それを師弟関係と呼ぶのは流石に過剰じゃないの、と思うけれど遼がいうにとても役立っているそうなので、わたしは彼の師匠、ということになっている。どう考えても基礎を堅実にさせたのは遼本人の努力と先輩の指示の賜物だ。
「お疲れ様〜、今日はこの後ミーティングとかある?ちょっと時間伸びちゃったけど……」
「ミーティングの方は大丈夫です」
「ほら、菊地原とか」
「菊地原は……そうですね。いてもおかしくはないですけど、アイツはいつもあんな感じなので気にしなくて大丈夫ですよ」
遼の言葉に思わず笑ってしまう。そんな扱いでいいのか。トリガーを解除して訓練室を出る。
「でも遼センスあるね、ミスしたり読みを外してもすぐ建て直せるのは大事だよ」
「ありがとうございます。環さんは読み外すことがあまりないですよね、風間さんなんかも割とそうな気がするんですけど、どうやってるんですか?」
「流石に……風間さんが何やってるかまではわからないけど、少なくともわたしは色々な人の研究が多いかな」
「研究、というとログを見て確認する感じですか?」
遼の質問に「ちょっと惜しいな」と笑う。遼の表情を確認する。正直ここから先にはかなり気持ち悪いところかもしれない。けれども、わたしは曲がりなりにも彼の師匠なのだから、聞いて欲しい、そう思ってしまった。
「ログはもちろん、今までのトリガー構成とか、今までどういう隊を組んでどういう立ち回りをして来たか振り返るの。人柄と癖とどこに自信があってなくて何を課題をしているか、そういう推察を立てておく」
「……それって記録に残っていないのもありますよね?」
「そうね、だからあまりお勧めしない。ストーカーっぽいし」
「でも人を分析するということは参考になります。なるほど」
真面目な横顔にわたしはもう一つ助言をする。遼のこの誠実さが眩しくて、溶けそうなのにそれが一番ちょうどいい。
「人を分析することもみんななんとなくはやってるね、でも、ログだけじゃなく、実生活ではどう見えるか。ギャップはどのくらい?ってことを意識すると違うと思うよ」
「なるほど……」
よくできた弟子は「持ち帰って考えて見ます」と微笑む。
「じゃあご飯でも食べてく?三上に教えてもらったばっかりの美味しいラーメン屋あるんだけど」
「いいですね、オレは是非行きたいです」
「警戒地区から近いからこの時間なら空いてるから行けないかな、菊地原は」
ラウンジに差し掛かったところで、菊地原が「遅い」と口にした。その文句が広がる前に宇佐美が菊地原を押さえ込む。戯れる二人の奥に風間先輩が平然と座っている。
「まだ帰ってなかったんですね」
目があってしまったので、先輩に声をかける。あの日以来正面切って会うのを避けていたからか、背中の筋肉が緊張して固くなっている。
「ああ。よかったら飯でも行かないか?」
「…………わたしもですか?」
「逆に聞くが、俺がおまえの目の前で歌川だけ誘っていく非常識な人間に見えるのか?」
「いや、見えませんけど……」
「なら異論はないな」
今度は菊地原くんの視線が断れ!の圧をかけてくる。彼は社交的じゃないから親しくないわたしという不純物が混じることに不快感があるのだろう。実際問題わたしからすらば完全にアウェーだ。宇佐美や遼、先輩そう個人単位で見れば普通に嬉しいお誘いだ。ただ、風間隊という複数形になるとどうも調子が狂う、というだけで。先輩の目を見る勇気が湧かない。
「環さんとラーメン食べに行こうって話だったんですけど、どうですか?」
「おっ、いいね〜アタシは賛成!」
宇佐美が元気よく手をあげる。宇佐美の溌剌とした声は広いラウンジによく響く。菊地原が独りいやそうな顔をみせた。反応まで全て想定内ではあるけれど、ここまであからさまにされるといっそのこと清々しくもある。
「風間さんがいいならぼくも行きますけど」
渋々といった様子で菊地原がつぶやく。
「これからいく時純粋なラーメン屋なので牛乳もカツカレーもありませんけど、大丈夫ですか?」
「おまえの中の俺はどうしてそんな極端なんだ」
「なんとなく……」
「ラーメンくらい俺でも食べるぞ、何も俺だって3食牛乳とカツカレーというわけではない」
わたしと先輩のやりとりに菊地原の顔が益々歪む。宇佐美がわたしたちの間を取り持つように、まぁまぁと割り込んでくれた。
「じゃ、これから5人で行きましょう!」
先輩から目を逸らす。先輩はそれを咎めない。

22.06.16