最高密度の青で満たして


無機質な壁。リノリウムに似た質感の床。全てがトリオンでできた空間。軽く深呼吸をする。気道を通り過ぎる空気は熱くも冷たくもない。ちょうどいい。あまりにも身体に馴染んだ場所の空気だ。
角を曲がってきたところで風間先輩を捕まえた。別に壁にもたれかかってまって待ってたわけじゃないんですけど。これはあくまでも偶然ですけど。きっとそういう強がりも演出も見抜かれている。それでも、先日と変わらない風間先輩がそこにいた。春白、同じ呼称。けれどもやはり記憶とは少しだけ、違う。
「久しぶりですね」
「そうだな、なんの用件だ。わざわざ話しかけてくるなんて珍しい。明日は槍でも降るんじゃないのか」
「風間先輩、ランク戦しませんか」
赤い目にはわたしが映っている。時計を確認して、なんでもないかのように「いいぞ」と答えた。まるで一回サボってしまった委員会に参加しに行く後輩へかけるみたいに。自然な返事。そんなあっさりとした声だった。
「別に謹慎自体は開けてましたけど、色々迷ってて」
「三門から出るのか?」
この人の目にはどのように見えているんだろう。何が、映っているのだろう。どうして、わたしはこの人がこんなにも気になってしまうのか。答えなんて私の中に一個もあるわけがない。聞かなければ手に入れることはない。
「ランク戦してくれたら答えてあげてもいいですけど」
「わかった、10本勝負でいいか」
「はい」
「俺が勝ったら、先に俺の用事を話す。これでいいか」
昔のことはわからない。でもいま、この瞬間に風間先輩の目に映るのはわたしだった。曖昧な表情を浮かべる自分。迅の歪んだ顔が浮かぶ。なんとも言えない未来の前で、言葉を探す迅。まるで救いでも垂らすように迅はわたしに道を提示した。玉狛に移るのと三門をでるのどちらか。
トリガーを起動して、手のひらを握りしめる。久しぶりの換装だった。記憶していた通りの感覚。
先輩がわたしを見ている。換装した先輩はいつもと知らない人のように見える。わたしが受け止めなかったから、そうなった。
誰も見ている人はいない。だから先輩の始めるか、という簡素な合図で始まった。



【戦闘体活動限界】システムアナウンスが鳴る。これで六回目だった。先輩はボロを出してくれない。大きな攻撃の隙を狙ってくるばかりで、先輩の方からの大きな動きはない。勝ちを急げば捕まる。こうやって。
表情を変えず先輩がわたしを見下ろす。
「玉狛じゃなくてウチに来い。歌川もいるし、三上も菊地原もみんな事情はわかっている」
裂かれた心臓部分を埋めて、トリオン体が復活する。薄ら青い立方体の訓練室の中で、風間先輩が再びトリガーを起動する。勝てない。それが悔しい。どこからどう見ても戦略的に完全に上位互換な人だった。手数の多さで翻弄しつつ、不意をつけるだけの技量も合わせもっている。わたしは一生をかけてもこの人には敵わない。
迅は昔、わたしに才能がないわけじゃないと言った。でもやっぱり、現状を見れば、わたしには太刀川のような剣術は身についていないし、風間先輩のような鋭い読みとそれに対応できる機動力もないし、東さんのような戦略だって、これからの成長だってない。
わたしを殺そうとする先輩の所作を目で追う。悔しい。無駄がなくてとても美しい動きだった。
勧誘に対して答えないわたしに痺れを切らして先輩がスコーピオンでわたしの左薬指を切り落とす。黒い粒子が漏れる。
わたしの才が劣っていても、戦っていい。ここで生きるのなら、ここで死にたいなら、わたしの最期には先輩がいてほしい。
「風間先輩は春みたいですね」
熱くて、寒くて、鮮やかな癖に人一番厳しい春。気がついたらもう手のひらには残ってはいない、薄情な春。
風間先輩は春に似ている。やさしいところも冷たいところも、気まぐれなところだって、全部。わたしが失ってしまった青い春。青春時代なんかよりその後の時代の方が長い。まばたきのように目には見えないものなのかもしれない。けれど。
欠けた左手で落ちていた孤月を握る。
言葉が目に見えないのが問題ならば、言葉など全部、鉱石になってしまえばいい。心も、哲学も、感情も全部カラーパレットをばらまいたような、石になればよかったのに。見えなくても、せめてわたしが死にゆくその時には、言えなかった言葉を溜め込んだ肺も、哲学に通った血も、心臓も全部、石になれ。
意味を計りかねて顔を歪める風間先輩の顔を眺める。いつかなくなってしまうだろう季節に微笑んだ。
「春だったんです、先輩はわたしの春で、だから」
感情が喉に絡まって、まとまって、そのまま張り付いた。記憶のなか。風間先輩が眉を顰める。言えなかった言葉は肺の奥底に埋没して、青く、蒼く、固まった。わたしは春が好きだから、春のようなあなたが好きなんです。言えなかった。言わなかった。
最期の言葉が決まっていても、わたしの人生が終わるその時、風間先輩がいてくれるのか。それがわたしにはわからない。宛名のない言葉はやっぱり悲しいから、だから、最期は石になりたい。
「風間先輩。わたし、先輩のこと春のようだと思ってますよ」
孤月を振りかざす。利き手じゃないし指が一本足りないせいでうまく力は乗らない。風間先輩は余裕たっぷりに受けたちようにスコーピオンを変形させあしらう。もう右手に握られたスコーピオンが私の首元一ミリまで近づく。先輩、あなたにはいま何が見えていますか?
右手で先輩の腕を握った。異変を嗅ぎ取った先輩は距離を取ろうとしたけど、体勢が整うより先にわたしのアステロイドが頭上に降る。
戦闘体活動限界。目の前のトリオン体からアナウンスが流れた。
「一本取りましたけど」
「喜ぶ戦法じゃない。一歩間違えれば共倒れだぞ……あと、いいたいことがあるなら最後まで話せ。ちゃんと聞く」
「わからないんです、言えないの、覚えてる言葉じゃ、話せない」
「今すぐじゃなくていい」
風間先輩がわたしの手を握る。暖かい手のひら、熱を帯びる目の奥。ねえ、ずるいんですよ、そういうところが。これ以上すきになりたくないのに、すぐ、先輩は、こうやって。
「俺は少なくとも春だけじゃなくて毎日おまえのことを考えているし、おまえが最後の言葉を吐き切るまで待つ。それじゃ足りないか?」
せんぱい。
わたしは四音に全部を乗せ切れたかな。
「生きているうちに間に合わなければ、また奈落で全部聞く」
そういうことをあっさりと言いのける先輩のことがすきだ。どうしてそんな言葉をいえるのか全然わからない。わからないけど、先輩らしくて、泣きたくなってしまう。
「わたしは、殺されるなら先輩がいいです」
「……おまえは、また縁起でもないことをいうな」
「だから……わたしは風間隊には、身内にはなりません」
「……それくらいどうってことない」
これが恋ならばよかった。あの日の柔らかくて素敵な恋のままいられればどれほどよかったか。
「わたしは先輩の隣に立てるような、認められるような人間になりたいんです。……きっととっくに認めてるだの、部下にしても下に見てるわけじゃないとか、色々あるとは思うんですが、わたしはそんな、可愛げはもちあわせてないので」
「……添い遂げるとか、守るだとかそういうことは言えない。ガラじゃないからな」
先輩がトリガーを解除する。ただの風間蒼也が立っていた。手が差し出される。
「でも、そうだな、可愛い後輩が望むならおまえの最期を見てもいいかもな」
「あはは、またアホ言ってる……いやなら嫌って言ってくださいよ」
先輩の手を握って立ち上がる。トリガーを解除したら少しだけ立ちくらみがして、先輩にもたれかかった。平然と抱き止められるのもなんか悔しい。
これがただの恋であればよかった。何回も浮かんだ感情だった。恋のなれの果てがもっと美しければよかったのに。そうすればわたしと先輩はもっと、もっと綺麗でいられた。
「…………おまえと食べるカツカレーは美味しいからな、理由ならそれで十分だ」
先輩の肩にもたれかかる。好きだとか付き合ってくれとか、一生側にいるとか、今までたくさん行ってくれた。でもわたしは馬鹿だから、風間先輩のそんな理由で幸せになれる。
「……じゃあ、わたしより先に死なないでくださいね。死ぬまで、どうぞよろしくおねがいします」

失って初めて何かを得る結末じゃなくて、満ち足りて幸せになる結末を望んでいた。
涙は出ない。どれほど瞼が熱を持とうとも、トリオン体じゃ泣けない。
手を繋いだまま歩くのは恥ずかしかった。こういう時に限って雲ひとつなくて、空は綺麗な青色をしていた。幸いなことがあるとすれば、あたりに人がいないことと、日が沈んだばかりだったということだ。
「結局おまえは俺と迅どっちを選ぶつもりだ」
「もうちょっと言い方どうにかならなかったんですか?」
少しだけ下から逃げるな、という圧を受ける。すいたはれた云々と騒いでも、わたしの本質は何も変わってやしない。風間先輩の圧には勝てっこないのだ。
「でも、別に玉狛に行っても迅を選ぶとはならないと思うんですけど、ホラ、わたしはもともとレイジさんの弟子なわけで……」
「玉狛第一に烏丸が転属になるから、必然的におまえの居場所はフリーか迅の子守だぞ」
「なんですかそれいつ決まったんですか」
「おまえが拗ねてショゲて俺を避けてた時期だな。ついでにウチからも宇佐美が転属する」
先輩は次々びっくりする話をあげる。感じた違和感にため息をつく。この人も大概だ。空の青さをモロに受けて、青く染まった横顔を見下ろす。深い、深い青。青の溶けてしまいそうな中で風間先輩の目だけが煌々と赤く光っている。
「……だから三上の名前が上がってたんですね、なんかおかしいと思いました」
「おかしいと思ったなら聞け、おまえの悪いところだ」
優しい言葉に身体が熱くなる。知ってる、覚えてる、先輩のこういう優しいところ。
繋がった手が暖かくて、どうしようもなくホッとしている私がいた。私のものとは違う体温、質感、骨張った指。だから、ぽろりと言葉が溢れる。
「蒼也」
 名前を呼ぶと彼の赤い目が私を見た。続けて、すきです、四年越しの言葉を吐く。そして、衝動的な私を風間先輩は笑わず真剣に「俺もおまえがすきだ」と言った。世界でいちばん小さな恋だった。これでよかった。これが欲しかった。私から握りしめても、離されずに手は握られたまま。ここまで来るのにこんなに遠回りしたのに、結局は私の2音で世界はくるりと回りだした。
「先輩、今日一緒に眠ってもいいですか?」
「もう一度蒼也と呼ぶなら考えてもいいな」
「条件優しいのか優しくないのかわかりませんけどね、それ」
「そうやって誤魔化すようなら家まで送るが」
 赤い目がちらりと私を一瞥する。この人はわたしが次に発する言葉がなにか検討がついているのだ。だから、こんな不遜な態度で私を見上げる。本当にどうしようもないひとだと思う。風間先輩は常識を持っている、持っているからこそこういう駆け引きを仕掛けてくる。諏訪さんの言い分は正しい。本当にどうしようもなくて、性格が悪いひと。赤い目の中に映る私とて、ひとのことを言えないぐらいどうしようもない顔をしているけれど。
「明日、連れて行きたいところがあるんだが……いいか?」
「いいですよ、あ、デートってことですか?」
「思ってもすぐそういうことを言うな」
「昔は先輩の方がスルッと言ってましたけど……」
「……ああ、おまえが大爆笑したやつか」
「覚え方が酷い」
「あれは今でも心外だからな、せっかく人が格好つけたのにそれをぶち壊すやつの気がしれない。……まあそれ自体がガキの思考だったが」
過去を慈しむ目をしていた。幸せではあったけれど、それが美しい過去であったとは言えない。
「風間先輩が慈しむ過去の顔のわたしはどんな表情ですか」
「……笑っている」
遠くを見つめる先輩の隣で「ずっとですか?」と微笑んだ。
「ああ、ずっとだ。狂ったような、幸せそうな満足そうな………そうだな、馬鹿みたいに笑っている」
「馬鹿って、ひどいなあ」
「おまえの笑った顔が好きだからいい。たとえ死んで地獄へ堕ちても、おまえの笑う顔が好きだろうな」



「これで荷物は終わり?」
烏丸の方を見て確認すると、はい、と彼も頷いた。
「はい、ありがとうございます。助かりました。他は誰もやってくれないんで」
「あははは、そりゃそういう面子だからねえ」
「春白は俺がそんな無責任に見えるのか?」
「いや、無責任とは言ってない」
わたしの反論はなかったことにされ、出水が言葉を上塗りする。
「これは流石に太刀川さんに同意ですよ。たとえ太刀川さんはそうでもおれと由宇さんはそうじゃないですって!」
「出水先輩が一番辛辣じゃないですか」
「いや、嘘はダメじゃね?」
言葉の応酬にわたしの頬が緩む。ティーンエイジャーの明るさがそのまま部屋の空気に繋がっているみたいだった。
相変わらず雑然とした隊室の中で、珍しく太刀川が少し名残惜しそうな顔をした。基本的にはカラッとしている。わからないくらい、もしかしたらわたしの錯覚かもしれないけど。
わたしの側に立っている烏丸が、私物の入った紙袋を抱え直す。
「じゃあ春白さんよろしくお願いしますね」
「烏丸が抜けた穴くらいは埋めるよ。レイジさんによろしくね」
「おー、京介元気でやれよ」
烏丸に出水と太刀川の男子ふたりが絡む。両肩を抑えられて動きにくそうな顔をする烏丸が気の毒だ。視線が向けられる。面白い絵面を壊すほど空気が読めない人間ではないので烏丸に笑っておいた。
「まあ今生の別れってわけでもないし、そこまで大袈裟にする必要もないよね〜、環さん入るから人数とか変わんないし」
2人の絡みの後、国近の緩い言葉が続く。

出水が伸びをしてソファーから立ち上がる。書類をまとめていた手が止まって、出水の方を見る。
「せっかく環さんもチームに入りましたし、飯でも行きません?太刀川さんの奢りで」
「太刀川の奢りか、悪くはないな。あー、でも今日はちょっと先約があって」
「先約っすか、あ、彼氏とか?」
彼氏の言葉で出水が揶揄うようににやにや笑う。いないって返すのがいいのか、あれはそういうことでいいのか。少しだけ躊躇ったけど、にやけ面が目についたので「まあそんなとこ」と返す。出水よりも国近の方が身を乗り出してくる。
「え、なにそれ気になる!詳しく!」
「あー、もう時間が間に合わなくなるから行くね?時間に細かい人だからさ、あの人」
残念そうな声を背中で流しながら、少し早足で隊室を出る。



赤色が鮮やかで、まだ街から浮いている。それくらい新しい店らしい。
「洋菓子店ですか……?」
「よくわかったな」
「いや、ケーキって堂々と書いてあるじゃないですか」
わたしのぼやきには特に反応を見せず、先輩はそのままドアを開けて店内へ入った。説明がない。わたしだって急いで隊室から出てきたのに。釈然とはしないけれど、先輩はいつもこうではあるので、とりあえず先輩に習ってドアを開けた。
クリーム色の壁が目に優しい。初めてきた場所なのに、どこか懐かしい店だった。革張りのアンティーク調のカウチ。値段が書かれた手書きの文字。壁に貼られた映画のポスター。知らない。ガラスケースの中に並ぶケーキはどれも照明の光を浴びてキラキラ光っていた。知らないのに知っている。
ガラスケースのなかの洋菓子をひとつひとつ見る。
「あれ、牛乳プリン……?」
乳白色。
「気づいたか。あの喫茶店のマスターの娘さん……ウェイトレスをやっていたあの人が開いた店だ」
「……そう、だったんですね」
「フルーツサンドを作ってもらった。レシピ自体はあの喫茶店の頃から変えていないらしい。……おまえが決めていいぞ、環」
世界の果てまで行ってみたかった。行けるわけもないけれど、私はこの目でたくさんの世界を見たかった。
「あの、テラス席ってお借りしてもいいですか?」
「はい、かしこまりました。ご案内いたします」
あの日の彼女があの日よりも深い微笑みでわたし達を案内した。初めてあったあの日は、今のわたしたちより少し上くらいだったんだろう。
「きれいですね、空」
「……ああ、日が長いな」
「もう暦の上じゃ夏ですから。そんなもんですよ」
わたしと同じように空を仰いでいた先輩が、春が終わったなと呟く。
「春はまたきますよ」
「仮に80年生きるとしても、春は80回しか来ないぞ」
「なんですか突然」
らしくもなくセンチメンタルなことをこぼす先輩がおかしかった。青く染まった白い生クリームには青は映らない。でも遠く、
「おまえの誕生日も過ぎたしな、遅いがこれで祝ったことにでもするか?」
「えっ」
「冗談だ。来年二十歳だろう?その時のおまえの両親の分まで祝ってやる」
「なんかやけに含みのある言い方ですね」
先輩の言葉を揶揄うように返す。まぜっかえすなと怒られるかと思ったが、先輩はそうだな、と素直に返した。
「そういえば、アレはしばらく返せないから、これでもつけておけ」
不自然な入り出しをした先輩が、小さな箱を出した。白い箱。青いリボンがあしらわれている箱は手のひらよりも二回りくらい小さい。心当たりがなくて先輩の顔を見る。
「え、何ですかこれ」
「…………開けてみればわかる」
先輩の視線が逸れる。それから、コーヒーカップに口をつけて、空を眺めた。あまりにも不審で、口にできないくらい恥ずかしいことだということだけはわかった。箱を開ける。リボンはあくまでも飾りだったらしく、普通の箱と同じように開いた。
「あ、ピアスだ」
わたしの声に先輩の表情がさらに無表情になる。
「先輩はプレゼントにアクセサリー選ぶようなタイプだったんだな、と純粋に驚いてます」
「言っただろう、詫びだ。おまえの母親の形見を奪ったようなものだからな。返せるまではそれでもつけておけばいい」
先輩は捲し立てるとまたコーヒーを一口飲む。詫び。ようやく先輩が言った言葉を理解した。あの幾何学のピアスの話だ。
「……『あっち』の方ならもう要りません」
「そうか」
「先輩がくれた方が嬉しいので、こっちがいいです」
惑星のような、地球と月のような、大ぶりのピアスを空にかざす。プラチナらしい白銀はあたりの街灯の光を集めて反射して、チカチカと瞬く。青く染まりつつある空に光る一番星のようだった。
「目には見えない光を凝縮して、色をつけたのが宝石らしいですよ」
「……流石にその石はイミテーションだが」
「あはは!流石に本物なんて求めてないです!」
それでも嬉しい。ひとつだけはまった青い鉱石は空よりも深い青だった。
「つけてもいいですか?」
「好きにしろ」
わたしに可愛げないとかなんとか言う前に自分の方から、素直になればいいのに。そんなことを思わなくもないけれど、そのまんま帰ってきそうだからわたしは黙った。左右にそれぞれピアスを挿す。
先輩はもう見てはいなかったから、わたしも念願のフルーツサンドに手を伸ばした。昔食べたのと同じ味。
「どうした?」
「変わっていくことの方が多いので、何か、変わらないものがあると、安心しますよね。夢を叶えてお店を構えるようになっても、あの日が消えたわけじゃないの、すごいなあって」
いやでも想像してしまう。考えてしまう。彼女が夢を拾い集めながらここに戻ってきたことの意味を考えてしまう。夢。骨董無稽なわたしの夢にも。
「わたしの夢はもう叶わないんですけど、何者でもないけど」
俯けば耳元でピアスが揺れて軽く金属音がした。初めて聞く音だった。
やっぱりわたしには過去に意味が見出せない。あの夢がわたしに意味があったとは言い切れない。過去のために死ねない。けれど、けれど、わたしの人生の全てが終わる時、意味に気付ければいい。
人生はオールゴールだと思えばいいのだ。もっといえば、人生の半分以上がオルゴールのゼンマイを巻いている。ほとんどの人が自分のメロディなんて知らない。少なくとも、わたしには韻律なんて聞こえない。
「死ぬその最期の一瞬まで、隣りで生きていていいですか」
でも死ぬ直前に、わたしは聴こえればいいと思う。終わりの音。
深い青に包まれた世界の中で、先輩は当然のように「地獄までついてくるんだろう?」といった。小さな微笑みがきれいで、うれしくて、幸せで。いま、この瞬間、食べきれないぐらいの深い青の中で溺れ死んだって構わない。

22.06.16