present



17


- 少し過去の話 -
※途中で現代に戻ります。




私にとって、絵を描くことは、好きを通り越して呼吸するのと同じくらい自然なことやった。


小さい頃は、絵の教室にもちょっとだけ通ってて。
ただ楽しくて描いてただけやのに、気づけば先生に褒められて、何かの賞ももらったりして。


そんなんの積み重ねで、家には賞状とかトロフィーとかが飾ってある、ちょっとした自慢のコーナーがあるんよ。

もちろん、自分の描いたもんを褒めてもらえるのは嬉しかった。
それが誰かの心に届いたってことやし、それって、すごく幸せなことやと思う。


せやから、中学同様に高校も迷いなく美術部に入った。

もっと上手くなりたいし、もっと描きたい。
理由はそれだけで十分やった。




「天音ちゃん、今度のコンクール絶対選ばれるで! すっごいやんか、この絵!!」



そう声をかけてくれたのは、同じ美術部の子。

真っ白なキャンバスに向かって筆を走らせてた私の横で、作品をのぞきこんできた。



「そうかな? ありがと。」


自然と口元がゆるむ。


今回は、私なりにかなり気合い入れて描いた作品やったし、確かに手応えはあった。

テーマは「心象風景」や。
色も構図も、何日も悩んで試して、ようやく形になったもんやった。






けど―――



私は、選ばれへんかった。






あれだけ時間かけて、悩んで、迷って、それでも納得いくまで描いた絵やったのに。

結果は、ただの一次通過もなし。

名前すら載ってへんかった。




今まで描いてきた作品は、どれも何かしら評価をもろてきた。

けど今回は…ちゃうかった。



この、胸の奥にズシンと沈んだような感覚。

悔しいとか、悲しいだけじゃない。


どこかで誰かを羨んでる、妬ましい気持ち――



こんな自分、知らなかったし、知りたくなかった。





それからやった。

私は絵を描かんようになった。


……ほんまは「辞めた」って言い切れたら、まだカッコついたんやろうけど。


そうちゃう。

描きたくても、筆が動かへんの。



あんなに好きで、自然と手が動いてた絵が…まったく、描けへんようになった。




「天音、今日も部活行かんの?」

「うん。今日も帰る。」

「そか...ほな気をつけて帰ってな!また明日!!」

「うん、部活頑張ってな〜」



そう言って、教室のドアを開けて出ていく凌ちゃん。
軽く揺れる短めの髪が、夕陽に透けて綺麗やった。


私はその背中を、ぽつんと見送った。



教室には、もう私ひとり。




時計の針がカチ、カチって音を立ててるのがやけに耳に残る。


皆もう帰ったか、部活行ってるんやろな。




私が部活に行かんようになって、もう一ヶ月近くになる。


絵を描けんくなってから、私の心にはぽっかりと穴が空いたような気がする。


なにしてても、どこか上の空。


なんも感じへん、なんも残らん。



ただ、ぽっかり。



そんな感じ。





別に、コンクールのために描いとったわけやない。

賞とかトロフィーが欲しくて筆握ってたわけでもない。


それはちゃんと分かってたつもりやった。


けど――

心のどっかでは、そういう評価とか、認められることを目的に描いてた自分がおったんよ。

それにも気づいてしもた。



私は、いったい何のために絵を描いてたんやろ。



描くことが好きで始めたはずやのに、いつの間にか、「うまく描かなあかん」とか「結果を出さな」って思うようになってて。


絵に対するの「好き」が、どっか行ってしもたんやろな…。




静かになった教室の窓際、いつもの席に腰かけて、外をぼんやり眺めた。


グラウンドでは、野球部の子らがノックの練習してる。

白球が高く跳ねて、誰かがそれを全力で追いかけとる。

校庭の端では、陸上部が一列になってハードルを飛び越えていく。


どの子も、汗まみれで真剣で――

なんか、眩しいくらいやった。


そのキラキラした姿がまぶし過ぎて、私の中に溜まってた黒いもんが、どろどろっと溢れ出しそうになった。


悲しさでも、妬ましさでもない。

もっと重くて、苦しくて…でも言葉にできへん。


私はそっと唇をキュッと噛み締めて、感情を飲み込んだ。



「……帰ろ。」



ポツリとそう呟いて、立ち上がったその瞬間。



ガラッ

教室のドアが勢いよく開いた。

びっくりして思わず振り返ると、そこに立っとったのは、運動着姿のクラスメイト………北くんやった。



「……なんや、まだ帰ってへんかったんか?」


「あ、うん……でも、もう帰るとこやで。」



それが北くんとの、初めての会話やった。


クラスは同じやけど、席も遠いし、グループワークとかも一緒になったことなかったし、正直、話すきっかけなんて一度もなかった。

だから、こうして普通に話しかけてくれたことが、私にはちょっと意外やった。



「き、北くんは……部活?それとも、忘れもん?」


そう聞いてみたけど、すぐには返事が返ってこんかった。


北くんは、教室の自分の席に近づいて、机の中から何かを取り出した。
小さな袋に入ったマスクやった。


そのマスクを無言で口元につけてから、ようやく私のほうを見て、ぽつりと返してくれた。


「体調、ちょっと悪いねん。…帰らせてもろてる。」

「えっ、大丈夫なん? なんか手伝えることある?」


自然と一歩、彼のほうに近づいた。
けどその瞬間、北くんは片手をピッと出して、止まれ、のジェスチャーをした。


「風邪かもしれへん。近づいたらあかん。」

「あ、ご、ごめん……っ」


言い方がピシャリとしてて、思わず胸がキュッとなった。
勝手に心配して、ずかずか近づいて、…私、ちょっとお節介やったかも。


そもそも、話したこともないようなクラスメイトから急に距離詰められて、北くんからしたら迷惑だって思っても無理ないねんな…。


そう思って、下を向いてしもた時。


「……すまん。言い方、きつうなってしもたな。……心配してくれて、ありがとう。けど、ちゃんと休むから大丈夫や。」


その声は、さっきとは違って、ほんの少し優しかった。

俯いてた顔を、そっと上げた。

北くんは、照れくさそうにちょっとだけ眉を下げて、私のこと見とった。






「お大事に。」

そう言うて、私は教室のドアのとこから北くんを見送った。

夕陽が差し込む教室には、改めて誰もおらんくて――

差し込む橙の光がやけに長く伸びてて、なんや寂しさだけが広がってる気がした。



その空気に引きずられるようにして、心の中の黒い感情が、またじわっと浮かび上がってくる。

無意識に、手をギュッと握りしめた。



……あぁ、なんでやろ。

私、なんでこんなふうになってもうたんやろ……。



考えても、答えなんか出えへん。


ただただ、私は唇をキュッと噛みしめて、感情を押し殺すしかなかった。

そんなときやった。



――タッタッタッ…!


廊下の奥から、誰かが走ってくる音が聞こえてきた。

驚いて顔を上げると、勢いよく教室の前で立ち止まったのは……さっき帰ったはずの、北くんやった。


「えっ、北くん? 体調悪いんちゃうん……?」


思わず声を上げた私に、北くんは何も言わず、握りしめた右手をグッと差し出してきた。


「……これ。」


また一歩、手を差し出してくる北くん。

私は戸惑いながらも、そっと両手を差し出して、その手のひらの下を受け止めた。



「……心が元気ない時も、ちゃんと休むんや。」

「っ……」



彼の言葉と一緒に、私の掌にぽとん、と置かれた小さな飴が2つ。


パッと顔を上げた時には、北くんはもう背を向けてて、すぅっと廊下の奥へ消えていった。

その背中に、何か声をかけようと思ったけど、結局何も言えんかった。

ただ、彼に言われ言葉だけが胸に残った。


「……心が、元気ない時……」

ぽつりと、小さな声で復唱してみる。



その瞬間――

さっきまでずっと堪えてたはずの涙が、どっと溢れ出した。

ぽた、ぽた、と廊下に小さなシミをつくっていく涙。

唇をきゅっと噛みしめても、もう止まらへんかった。

あぁ……そっか。

私、今……




心が元気ないんや。



私はその場にぺたんと座り込んで、夕陽に照らされながら、しばらくの間、泣いた。


その夕陽は、ぽかぽかと背中を包み込んでくれるみたいにあったかくて、心の奥の冷たくなってた部分が、じんわりと溶けていくのを感じた。







それから、数日が経った。

私は「心の休暇」ってことで、学校をお休みした。

ほんまはズル休み、って言われても仕方ないんかもしれへんけど……

でも、私にはちょっとだけ、ほんまに大事な時間やってん。


絵とちゃんと向き合いたかったんよ。

逃げるんやなくて、ちゃんと、自分の気持ちと向き合ってみたかった。


せやから、休んでる間は美術館に行ったり、図書館にこもったりして、いろんな「芸術」に触れてみた。


静かで、誰にも急かされへん場所で、「私、ほんまに絵が好きやったんかな」って、何回も自分に問いかけた。


答えが出たかどうかって言われたら、よう分からん。

でも、ちょっとだけ、心の中のぐちゃぐちゃが整った気がしてん。


ついでやけど……
家にあった、あの自慢のコーナーは、全部お父さんの書斎に移すことにした。


別に「過去にすがりたくない」とか、そんな大げさなもんやなかった。

……なんやろな。

ただ、今の自分には、そこにそれがあることがちょっとしんどく感じたんやと思う。


だから、ちょっとだけ場所を変えてみただけ。

きっとまた、ちゃんと笑って見れる日が来ると思うから。







心の元気がちょっとずつ戻ってきた私は、久しぶりに学校に復帰した。

いつもよりちょっと早く家を出て――
私はまっすぐ、"彼"がいるバレー部の体育館へ向かってた。


途中、ちょうど体育館の横んとこの水場で、彼ーー。

北くんが何か作業してるのが見えた。


迷わず、私は声を掛けた。


「北くん!」

「っ……なんや、今日はえらい早い登校やな。」


相変わらず普通に話してくれるその声に、私はなんや安心して、思わず顔がにやけそうになった。


「北くん、この間は……ほんまにありがとう。」


そう言いながら、ポケットから出した飴をギュッと握って、そっと彼に差し出した。


一瞬、きょとんとしながらも、ちゃんと受け取ってくれて、
そのあと北くんは、ふわっと、あの優しい笑顔で微笑んでくれた。


「……お互い、元気になれて良かったな。」

「うん……北くんのおかげやで。ほんま、ありがとう。」


言葉に嘘はひとつもなくて。
心の奥から出た感謝やった。

だから自然と、私は満面の笑みを浮かべていたと思う。


「…………。」

「ん?どしたん?」

「……いや、すまん。……朝から、ええもん見れたなって思って。」


なんのことか正直よく分からんかったけど、北くんのその言葉が、なんやちょっと照れくさかった。


「朝練、頑張ってな。」

そう言って私が背を向けたあとも、心の中はずっとぽかぽかしてた。


それから、、

私が北くんに、恋するんはもう時間の問題やったと思う。










「天音、どうしたんや? 顔がニヤけとるで。」

「ん〜?……ちょっと昔のこと思い出してん。」

「なんや、おもろいことでもあったんか?」

信介は首をちょこんと傾けて、優しい顔で私を見てくる。

「ふふ、内緒。」

「なんやそれ、気になるなぁ。」


くすっと笑ってごまかしたけど、ほんまは教えてあげてもよかったんかもしれへん。

けど、今はまだ、私の胸の中にしまっておくことにする。



大好きな人との最初の記憶――

大切に、抱きしめておきたいから。





実は北くん、いつの間にか主人公のことを救っていたんですねぇぇ








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