present






「天乃、着いたぞ。」


彼女の部屋の前に着き、とりあえずドアノブを撚れば、驚いたことに鍵が掛かっていなかった。

今は助かったが……
普段からこうなのかと思うと、正直心配になった。

不用心にもほどがあるだろう。


そう思いながら部屋に足を踏み入れた瞬間、ふわっと鼻先をくすぐる天乃の匂い。

普段はふんわりとしか感じないはずなのに、今は呼吸をするたびに確かに胸へと届いてきて、なんだか落ち着かない。


そっと足を進め、1人掛けのソファへ天乃を下ろす。

改めて見渡した部屋は、思ったよりシンプルだ。
ただ、壁や机に飾られた小物や写真立てが、確かに“女の子の部屋”だと感じさせる。


「……ベッドは、無理だよな。」


部屋の鑑賞をそこそこに、視線を落とす。

彼女がが纏っているヒーローコスチュームは泥だらけで、顔にも血痕がこびりついている。
このままベッドに寝かせるのは気が引ける。

少なくとも、俺だったら絶対に嫌だ。


「ちょっと、借りるぞ。」

そう呟き、俺はすぐ近くに置かれていたウェットティッシュを手に取る。

まずは顔からだ。
そう思って、固まった血をそっと拭ってやる。

思った以上にこびりついていて、軽く擦っただけでは落ちない。

けれど、女子の顔をゴシゴシと力任せに拭くなんて、どう考えても良くないだろう。
仕方なく落ちにくいところは、力を抜いて何度も何度も優しく拭った。



「……こんなもんか。」

目に見える範囲では、だいぶ綺麗になった。
けど、このままじゃ服は泥だらけのままだ。

ベッドの上には、柔らかそうな部屋着が畳んで置かれている。

着替えさせてやるのが一番だろう。

……だが、さすがに俺がそれをするのは、色々と問題があるよな。


「んーっ……」


そんなふうに考え込んでいると、天乃が小さくうめき声をあげ、首を横に動かした。

自然と眉間に皺が寄っている。
……寝にくいんだろうな、とすぐに察した。



「……悪い、天乃。極力、見ねぇようにするからな。」

自分に言い聞かせるように口にして、そっと息を整える。

天乃のコスチュームは、丈の短いベストに、前開きチャックのワンピース。

見た目はシンプルで、故に脱がせやすい造りをしている。

正直ありがたいと思ってしまう。



ベストのボタンを一つずつ外し、丁寧に畳んで近くの机へ置いた。
隠れていた部分が露わになると、ワンピースは思った以上に体のラインに沿っていて、胸の曲線がやけに強調されている。

……このチャックを下ろしたら、何が目に入るのか。考えるだけで、無意識に唾を飲み込んでいた。

視線を横に逸らし、意を決してゆっくりとチャックを下ろしていく。


「んんっ……」

小さな吐息が耳に届いた瞬間、条件反射のように手を離してしまう。


「……起きるなよ。」

口に出した自分の声が、やけに低く響いた。

今ここで目を覚まされたら、冗談抜きで非常にまずい。

ただでさえ、二人きりの密室――
心臓はうるさいほど暴れていて、呼吸まで浅くなるのを必死に誤魔化した。


ジーッ

と、ジッパー特有の音が静かな部屋に響く。

下まで下げ切ったところで、慎重に腕から袖を抜き、ワンピースだけを剥ぎ取った。


手に取って改めて見ると、予想以上に泥と砂で汚れている。

生地を丸め、極力汚れが散らないように持ち上げる。
それでも、細かい砂はわずかに床へと落ちた。


「……後で、ちゃんと綺麗にしてやらねぇとな。」


小さく呟き、洗面台で手を流す。
ひんやりとした水が火照った指先の感覚を少しだけ落ち着かせてくれた。



部屋に戻れば、天乃は変わらず静かに寝息を立てている。


視線を逸らそうと努めてはみるが――


無理だ。


好きな女の下着姿を、見たくないはずがない。



……悪い、天乃。



心の中でそう呟きながら、彼女を上から下までゆっくりと見下ろす。

窮屈そうに下着に収まった胸、普段は絶対に見られない足の付け根。

そして、背は低いのに、こうしてみると意外なほど長く見える足。


ほんの一瞬、呼吸を忘れるほど見惚れてしまった。




少しだけ――

許されるだろうか。



自分でも意識していないまま、その想いが指先を動かしていた。

寝息を立てる彼女へ、ゆっくりと手が伸びていく。



「っ……!」

――何やってんだ、俺は。


“少しくらいなら”なんて、そんな理由が通るわけがない。

触れていいなんて、誰が決めた。


バカすぎる。


己のしようとしたことの愚かさに気付き、慌てて引こうとしたその手――



「っ……!?」


けど、引けなかった。



小さな温もりが、俺の指先をしっかりと掴んでいたからだ。

反射的に、その手の持ち主へ視線を向ける。


そこには、いつの間にか覚醒した彼女の瞳。

丸く柔らかい黄金色が、真っ直ぐに俺を映していた。


驚きすぎて、声が一瞬喉に詰まった。


「天乃っ……」


引かれた手に力がこもり、思わずバランスを崩す。

気付けば、俺は天乃に覆いかぶさる形になっていた。


そのまま、細い腕がするりと俺の首に回る。


見下ろせば、赤く染まった頬。

視線を少し下げれば、押し付けられるように迫る柔らかな谷間。

圧倒的な視界の暴力に、俺は瞼をぎゅっと閉じた。


「天乃……離してくれねぇかっ」


絞り出すような声。
情けないほど小さく震えていたのは、自分でも分かる。


目を閉じているから、彼女が今どんな表情をしているのかは見えない。


けど――

頬にふにっと押し当てられる感触と、耳元にかかる温かい吐息。


その瞬間、背筋がゾクっと震えた。


「……と、ろき、くん」

「っ……」


柔らかな温もりが、全身に触れてくる。
行き場を失った腕は、ほんの一瞬だけためらったあと、静かに彼女の背中へ回されていた。


「へへっ……とろろきくん!」

元気すぎる声と同時に、急に体がずしっと重くなった。
何事かと目を開ければ、呂律の回らない天乃が、まるでコアラみてぇに器用に両足を俺に絡ませて、抱きついていた。

落ちねぇように、背中に回していた腕をそっとお尻の下に移し、支える。


「とーろーろき!」


楽しそうに笑うその顔は、ご機嫌な子供みてぇで……
おまけに頬をすりすりと擦り寄せてくる仕草は、正直可愛いと思ってしまった。


いつもの彼女とはあまりにも違う姿に、俺は動きを止めたまま固まるしかなかった。


「とろろき、ちゅっ!ちゅーは?」

「っ……いや、は?」

もお!と頬を膨らませた彼女の両手が、俺の頬を包む。
そのまま近づいてくる愛らしい顔――。

止められねぇ。



「まっ……ん!?」


柔らかな感触が唇に触れ、息が止まる。
それは俺の事をお構い無しに軽く触れるだけじゃなく、暫く塞がれた。


「……へへ!」


唇を離した彼女が、見るからに嬉しそうだった。


満足げに笑うその顔。

……けど、天乃はまだ満足してねぇらしい。

今度は唇だけじゃなく、頬やこめかみ、額……
顔中に、触れるだけのキスを次々と落としてくる。


「……っ」


チュ、チュッ……小さく可愛い音が耳から脳まで直撃して、くらっとする。

同時に、下半身の熱がじわじわと膨れ上がってくるのを、必死で押さえ込んだ。

このままじゃ、マジで理性が保たねぇ。


合間に覗くその表情は、あどけなさと――
どこか妖艶な笑みが混ざっていた。


「とろろき……」


コツン、と額がぶつかる。
グリグリと額を擦りつけてくる仕草は、まるで恋人同士みたいで……

いや、実はそうなんじゃねぇかと錯覚しそうになる。


至近距離で数秒見つめ合い――
そして、彼女がそっと瞼を閉じた。


……俺からしろ。そう言ってるのがわかる。


状況なんて理解できてない。


でも、今にも切れそうな理性を捨てて、俺は本能のままに唇を近づけた。





――けど。




……天乃には届かなかった。







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