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「はーーー終わったあー!」
一日の最後の授業が終わりを告げる鐘と共に生徒ががやがやと騒ぎ出す。俺もその例外ではなく、ぐ、と腕を上げて思い切り伸びをした。トレイン先生が黒板に記した課題を書き写し、本をまとめて席を立つ。いつも授業を一緒に受けているエースとデュースに呼ばれる声に返事をし、一足先に放課後だ!と元気に彼らの元に向かうグリムに続いた。
「うわ、でっけーあくび」
寮に帰る道を歩きながら我慢できずにふわあ、と大きく口を開ければ、それを見たエースが揶揄うように笑った。俺のあくびが肩に乗っているグリムに移り、更に隣を歩くデュースにも移ったのか、彼も大きなあくびをする。
「いやあ、いつにも増してトレイン先生の授業が眠くてさ…」
「俺も眠かった…。水曜って一番怠いよな。ちょうど週の真ん中だしさ」
「分かる〜、週末までまだあと二日あると思うとキッツイわ」
デュースの言葉に心からの同意をすれば、俺の肩の上でグリムは「オレ様もう今日は早く帰って寝たいんだゾ…」と目を擦る。そしてくわ、と大きく口を開けて眠そうなあくびをひとつ。
「いや、お前は授業中ずっと寝てただろグリム」
「つーかナマエ、お前も頬杖付きながら寝落ちてただろ」
何ならよだれ垂れそうになってたぞ、とエースが俺の背中を叩いて笑う。
「まじか、よだれ垂れてた?!」
「垂れそーだった、ギリギリ垂れてないから安心しろよ」
「ていうか監督生寝てたのか?全然気付かなかった…」
「デュースは一生懸命ノート取ってたもんな。俺は眠気に勝てなくてさー」
気付いたら起こしてやれたのに、と申し訳なさそうに言うデュースに気にすんなよ、と返す。俺的にはその気持ちだけでもありがたい。ていうかエースのやつ、気付いてたなら起こしてくれたらいいのに、面白がるだけ面白がるんだからこいつは。
「……なあ、お前最近疲れてんのか?」
「え、何で?」
さっきまでニヤニヤ笑っていたのに、突然真顔でエースがそんなことを聞いてくるものだから目をぱちくりをさせた。俺はそんなに疲れているように見えるだろうか。
「だって明らか授業中に船を漕いでることが多くなったじゃん」
「そういえば確かにな。前はそんなに眠そうにしてるところを見なかったし、最近はよくぼーっとしてるぞ」
「オマエ、よくバスタブで寝落ちしてるだろ?コイツオレ様が起こしに行かねーと風呂でずっと寝てるんだゾ」
「そ、そうかな…。」
二人プラス一匹の言葉に何を言えばいいか言葉が詰まる。他人から言われてみて初めて気が付いた。どうやら俺は、自分が感じている以上にかなり疲れているらしい。
「うーん、……ここのところ課題と小テストが多いからかも。分かんないところが多くて、よく図書室で調べ物とかしてるとすぐ時間が経っちゃうからさ」
課題と小テストが最近多いのは事実だし、分からないところが多いのも本当だ。だけど、俺が疲れているのは勉強のせいじゃない。もっと、他の理由だと分かっている。
けれど、それをエースたちに話すことはどうしてもできないでいた。あはは、と取り繕いながら笑う俺にデュースはあんまり無理するなよ、と言ってくれたが、エースだけは納得がいかないのか、何か言いたげな表情で。
「……ま、いいけどさ。」
それだけ言って黙ってしまう。それにきゅ、と唇を噛んだ。
きっと、エースは俺が「疲れている理由」が本当は何なのか、何となく勘付いている。きっとバレるのは時間の問題だろう。そうなる前に彼らに話したほうがいいのだろうかとも思うけれど、でもこれは俺だけの問題だし、話すことで変な風に思われたくない。どうしても踏ん切りが付かずにいて、彼らとの「アレ」が始まった日からずっと隠したままでいる。
「…エース、俺は大丈夫だから」
どうしても、今はそれしか言えなかった。それにエースは素っ気なくそっか、とだけ。その返事に胸にもやもやしたものが残ったけれど、俺の言葉を最後にまるで空気が変わったように、エースの表情はパッといつもの明るいものに戻る。
「なーナマエ、放課後オレらんとこ来いよ。トレイ先輩がタルト焼くんだってさ」
「タルト?!」
「え、マジか。行く」
このモヤモヤを引きずっていてもしょうがないだろうと、途端に目を輝かせたグリムに続いて俺もエースの誘いに即答した。トレイ先輩が何かしらデザートを作る時は毎回毎回手伝わされるのだが、労働の後のご褒美は尚更美味しく感じるものだ。そして何よりトレイ先輩のタルト、美味しいんだよなあ…!!
じゅわりと口の中で涎が分泌されるのが分かる。ああ、タルトのことを考えていたら何だかお腹が空いてきた。
「楽しみだな、今回は何のタルトだろう」
「何だっつってたかなー、なんか難しい名前だったから忘れたわ」
「名前なんてどーでもいいんだゾ、ホラ、早く行くんだゾ!」
「分かったから髪引っ張るなよグリム」
俺の髪の毛は操縦桿ではないのだが、グリムはテンションが上がってさっきから俺の髪をグイグイ引っ張りっぱなしである。それに痛いと避難しつつ、寮へと繋がる鏡舎に入っていく。放課後の楽しいティータイムに心を踊らせながらコツコツと床を鳴らし、ハーツラビュルへと続く鏡へと足を向けたその時だった。
「ナマエさん」
後ろから耳に届く声に足を止める。涼やかで静かな、俺を呼ぶ声。その声の主が誰なのか、振り返らなくても分かっている。
「…ジェイド先輩」
ジェイド・リーチ。俺が疲れている最も大きな原因のうちの半分がこの人である。それに薄々気付いているエースとちょっと気まずくなった後のこのタイミングで声を掛けられるとは、もしかしてこの人狙ってたのだろうか。
こんにちは、といつもの笑みを浮かべた先輩は、ハーツラビュル寮の鏡から程近いオクタヴィネル寮へと続く鏡の前で足を止める。
「少し、お時間よろしいですか?」
「え、ああ、……はい」
「おいナマエ、」
俺に一応聞いてはいるが、いつものことながらこの笑顔は有無を言わせないアレだ。
ここで断ったら後が面倒くさくなる。そう直感的に判断して反射的に口をついて出た了承の言葉にエースが眉を寄せた。そうだよな、俺とリーチ兄弟のことを勘付いているならジェイド先輩に着いていくのはそりゃ面白くないだろうし、その前にせっかくの誘いを数秒でドタキャンしたようなものだ、エースがむっとするのも当然だろう。けれど先輩の言葉に頷いてしまった以上、これ以上変に場を拗らせるのは避けたい。
「ごめん、俺行かなきゃ。ジェイド先輩にラウンジの試食頼まれてたの、すっかり忘れててさ」
「トレイさんのタルトは僕も味わいたいところですが、生憎ナマエさんと忘れられていた先約がありまして」
残念です、とジェイド先輩は眉を下げる。いや、全然残念だとは思ってないな…。と思いつつも、即興で出た言い訳に口裏を合わせてくれたのはありがたい。
「……ふーん。じゃ、行ってきたら?」
何とも言えない気まずい沈黙が流れて数秒。繰り出されたエースの言葉には明らかに棘があった。怒っているのは雰囲気で分かる。けれどそれが何故かまでは分からないのか、デュースもグリムもどこか不安そうな表情でエースと俺を交互に見遣る。
「……ごめん」
友人を怒らせてしまった。いつもは声を荒げたりして激しく怒るエースだが、こんなに静かに怒りを表すところを見るのは初めてだった。それが俺に向けられている。怒らせてしまったと、彼らに隠し事をしていることに対する申し訳ない気持ちが途端に溢れ出す。やっぱり言ったほうが良かったんじゃないか、いやでも。
嫌な渇きだった。カラカラになった喉を振り絞った声でもう一度謝罪をするが、エースはつい、と顔を逸らして目を合わせようとはしてくれない。
「デュース、グリム預かっててくれる?」
「え、ああ……、ナマエ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
戸惑いつつも了承してくれたデュースにお礼を言って、そのままグリムを彼に預ける。デュースの腕の中に収まったグリムの、真ん丸の真っ青な瞳が俺を見つめた。
「……オレ様、オマエの分も食っておくんだゾ」
「うん、ありがとう。後でどんな味だったか教えて」
きっとグリムなりの気遣いなのだろう。それに笑って頭をひと撫でしてから、俺はジェイド先輩の方へと足を踏み出した。