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「っぁ、ナマエ、さ、」

耳に届くのは僅かに震えるジェイド先輩の声。やってくださいねと言った時、フロイド先輩にしては珍しく迷っていたようだけど、意外と真面目にやってくれている。フロイド先輩に髪型や服をもう一人の片割れのものにわざわざ直してもらって行為を再開させているわけだが、これが中々に新鮮だ。最初からフロイド先輩だと分かっている分、じっくりと先輩のことを観察できる。
それにしてもフロイド先輩は真似が上手い。じゃあ始めましょうかと言ってキスから始めたこのごっこ遊びだが、キスの合間に漏れた吐息は紛れもないジェイド先輩のもので素直に感心してしまった。先輩を押し倒した体勢で改めてまじまじと見てみれば、細かな小さい仕草だってジェイド先輩そのものだ。やってくる快感に耐えるように睫毛をふるりと震わせるところも、熱っぽい息を吐くところも、そして舌をねっとりと絡め合う、濡れるキスも。

「ぁ、っん、んぅっ」

背中に手を回され、もっとと強請るように求められるキスに応じながら、一度閉じたボタンをもう一度開けていく。ブレザー、ベスト、そしてワイシャツ。姿を見せた白い鎖骨に唇を落として、下へ下へと唇を這わせて。白いシャツの下に隠れる胸元に手を忍ばせれば、先輩の薄い身体がぴくりと跳ねた。

「っん、そこは、…っかんとくせ、さ……」

ジェイド先輩が胸を触られるのが好きだと言ったからか、そこに触れると先輩が息を呑む。無意識なのか、それとも意識的なのかは分からないが、少なくとも反応はしてくれている。それに笑みを浮かべて先輩を見上げれば、彼は眉を下げてきゅ、と唇を噛み締めた。

「ん、気持ちいいです?ジェイド先輩好きですもんね、胸触られるの」
「ぁ、っや、すきじゃな、っんぅ……っ!」
「うそ、腰ちょっと揺れてますよ、」

ゆらゆらと緩慢に動く腰を撫で、もう片方の手を下腹部へと持っていく。そこにあるのはズボン越しでも分かる確かな感触だ。

「ほら、ね、勃ってる」
「ひぅっう、も、やだ、ナマエさ、っ」

先輩を上目遣いに見上げれば、その頬は瞬く間に赤く染まっていく。普段とは違う可愛らしい様子に思わず頬が緩むのが分かる。もじもじと恥ずかしげに内腿を擦り合わせる先輩に口づけをして、ぴっちりと閉じられたせいで太腿に挟まれた手を動かす。膝裏に近いところから付け根の際どいところまで撫で上げれば、口を離した合間にっひ、なんて引き攣った声が漏れた。

「ん、っんぅ、ぁ…っん、」

深いキスをすることはせず、先輩の柔らかな唇を堪能する。ちゅ、ちゅ、と音を立てたところで唇を離して、けれどお互いの鼻先がくっつきそうな程の距離で先輩を見つめる。先輩のオッドアイは潤んで、どこか縋るように俺を見つめ返していた。

「ジェイド先輩、どうしたいですか?」
「ぁ…」
「してほしいこと、教えてください」

いつもの言葉だった。先輩たちする時に俺がよく使う言葉。けれどその台詞を口にした瞬間、先輩の顔がくしゃりと歪んだ。

「っ、やだ、っやだぁ……!」
「え、っ」

ぼろぼろと次々に瞳からこぼれ落ちる大粒の涙。そしてほぼ同時に口から漏れ出す泣き声。その反応に身体が石のように固まった。

エッウソ、泣かれた……………!?

「せんぱ、っ嘘、ちょっと」
「やっ、っぅ、やだっこえびちゃんのばかっ!さわんなぁ……っ!」

反射的に先輩に触れようとしたが、身体を捻らせて避けられてしまう。これをされたのは初めてした時以来、やばいこれはガチのやつだ。さっきまでの熱が嘘のように引いていく。うそ、うそだ、まずいぞこれは、どう考えても俺が泣かせたってことだよな?!

「ふ、フロイド先輩、」
「ジェイドじゃなくて、っオレのこと見てよぉ」

変な焦りと動揺でばくばくと鼓動を打ち始めた心臓を無理やり無視して、恐る恐る先輩の名前を呼ぶ。するとえぐえぐと泣き、しゃくり上げながらそんなことを言われてしまった。それにええ?と声を漏らしはしなかったが、正直困惑する。だってそれは、先にそれをやったのはそっちだと思うのだが…。

「あの、だって、自分でジェイド先輩に化けてたじゃないです、か……」
「エッチする時までしなくていーよ!バカ!!」

途中で自信がなくなり語尾が段々小さくなっていった俺の言葉は遮られ、ぐわっと大口を開けられて怒られてしまった。その泣き顔を怖いと思うことはなかったけれど、すごい剣幕だったので思わず肩を竦めてしまう。「先輩、こういうプレイがしたかったんですよね?」なんて数分前に言った自分を呪いたい。どうやら今度の推測は当たりどころか大外れだ。まさか俺の一言がきっかけでフロイド先輩を泣かせてしまうなんて。どうすればいいんだ、どうしたら泣き止んでくれるだろうか。何を言えばいいか分からず固まっておろおろするばかりの俺だったが、しばらくして少し落ち着いてきたのか、フロイド先輩は嗚咽を混じらせながらもボソボソと話し出す。

「小エビちゃんが、ったのしそーだから、じゃあオレもって思ったけど、っシてる時にジェイドのマネなんて、ぜんぜん、たのしくねーし……小エビちゃんオレのこと呼んでくんねーし、っぅ、ひっ…やだぁ……」
「フロイド先輩、」
「やだって言ったのに、っ小エビちゃんのバカ…」
「………」

またバカって言われてしまった。けれどそんなことを気にも留めないくらい、ぐすんと鼻水を啜り上げながら弱々しく吐き出された言葉に何にも返せない。そういえばやだって言われてたじゃん、と先程までの行為を思い返す。あの「やだ」は、いやよいやよも好きのうちだと思っていた。それに、正直なところ今までにない行為だったのでちょっとだけ、いやかなり悦に浸っていた自覚はある。だから気にも留めなかった。相手の意思を確認せずに、自分ばかりが楽しいからと嫌がる相手を無理矢理してしまった。最悪だ。ああ、これは完全に俺が悪い。

「…ごめんなさい」

いつの間にか強く噛み締めていた口の力をなんとか抜いて、喉にへばりついていたその言葉をようやく口にする。絞り出したようなその声はか細くて情けない。けれどごめんなさいだけの一言だけでは足りない気がして、何か言わなければと俺から顔を背けたままの先輩に向けて口を開く。

「……俺、先輩がそういうことをしたいのかなって、思ったから…。でも途中から俺が楽しんでて、…嫌がってるの、気付けなくてごめんなさい」
「………」
「もう、変なことはしませんから、……」

足りないとは思ったけれど、もうこれ以上は何も言わない方がいいと口を噤んだ。どう言っても言い訳がましく聞こえてしまうし、何も気づかなかった己の鈍感さと、ちゃんと言葉にできない自分の馬鹿さ加減に嫌気が差すばかりで。もどかしく自己嫌悪で、眉を寄せてぐ、と喉の奥に力を入れる。顔を自然と俯いて、フロイド先輩の姿は視界から外れ、目に映るのは太腿の上で握り締めた拳と、シーツの皺ばかり。フロイド先輩は何も言わない。重い、痛い沈黙がのしかかっていく。

「………ちゃんとオレのこと呼んで」
「あ……」

ぼそり。それからどれくらい長い時間だっただろうか、やがて耳に聞こえてきたか細い言葉にパッと顔を上げる。フロイド先輩がいつの間にか俺のほうに顔を向けている。泣いていたせいか少し目が赤いけれど、どうやら泣き止んだようだった。

「オレの名前呼んで、ちゃんと、続きして」
「はい、…フロイド先輩」

すん、と鼻を啜りながら、けれど色の違う瞳は真っ直ぐに俺を見つめている。それに頷いて、そっと先輩の細い肩に触れる。先程のように拒絶されないことに安堵した。

「……ん」

それからこっちへ来て、と言うように。寝転がったままの先輩が俺に向かって手を伸ばす。求められるがままに身体を倒し、手を伸ばして泣きはらした目元をそっと撫でた。それにくすぐったそうに目を細めた先輩が俺の後頭部に手を回し、そのまま引き寄せる。合わせた唇は涙のせいかちょっとだけしょっぱい味がした。

「ん、っ……ん、ぅ」
「…フロイドせんぱ、っん」

いつものキスだ。触れるだけのそれを数回交わして、離れた拍子に名前を呼べば再び唇を塞がれる。やがて先輩の腕が背中に回ったかと思えば、長い足が俺の足にするりと絡まった。まるで甘えるようなその仕草に思わず頬が緩んで、先輩にもっとしてあげたくなってしまう。唇へのキスを止め、頬や目元、こめかみに唇を押し付けていく。そして耳に口づけを落とした時、先輩の身体が僅かにぴくりと震えた。

「んぁ、っだめ、小エビちゃ、」
「ん、耳、だめですか?」

先輩の好きなところにキスを落としたけれどいやいやと首を振られて避けられる。それにどきりとまた嫌な汗が流れかけたが、どうやら嫌な訳ではないようで。

「耳はまだいーから…もっとちゅーしたい」
「ん、……わかりました」

きゅう、と胸で音がした。眉を下げ、頬を染めて俺にねだるフロイド先輩がどうしようもなく可愛く思えてしまった。そのおねだりに応えるべく、耳にキスを落としてからもう一度口へ。もっと、の言葉通り口を開けてきた先輩の口内に舌を差し入れ絡め合い、先輩の口の中を優しく撫でる。

「ん、っんぅ、ぁ、…っんぁ、」

そうして深いキスに意識が蕩け、先輩のん、ん、と漏れる声に甘い艶が混じり始めた頃。
がちゃりと、開くはずのない鍵が回される音が部屋に響いた。

「は、…」
「ん、っあ、アズール」

まさか、と思った時にはもう遅い。部屋のドアが開いた音と共に飛び出たフロイド先輩の言葉に、思わず入り口の方に顔を向ける。そして入ってきた人物に文字通り身体を固まらせた。柔らかい絨毯を踏みしめて入り口に立つオクタヴィネルの寮長──アズール先輩は誰もいないはずの客室にいる俺たちが視界に入ったのか、シルバーフレームの眼鏡のブリッジを上げてあからさまに顔を顰めた。

「……フロイド?お前こんなところでなにし、て…………何してるんですか」

ばちり、思い切り目が合ってしまった。ベッドの上で制服をはだけさせたフロイド先輩と、その先輩を押し倒している俺。状況を察したのか、俺とフロイド先輩を交互に見るアズール先輩の表情が段々と険しいものになっていく。そして。

「無断で一泊一万マドルの寮室に入って何をしているかと思えば……監督生さんは、余程の覚悟がおありのようだ」

声が出なかった。最悪だ。