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「──で、何? 話って」
放課後、オンボロ寮、俺の部屋。椅子に座ったエースが、冷たい表情のまま、色のない声で単刀直入に切り出す。いつの間にか俺の両手は硬く握りしめていて、内側にはいやな汗がじわりと滲んでいた。
「話をしたい」と、「聞いて欲しいことがある」と彼を呼び出した。
「あの日」から、エースは俺に怒っている。
話しかけても素っ気ない返事ですぐに会話を打ち切られ、デュースやジャックといる時はまるで俺がいないかのように振る舞われる。普段との違いは明白で、彼の俺への冷ややかな態度は何かあったと察されるには充分すぎる材料だった。大丈夫か? 早く何とかしろよ、気まずいんだゾ。数日の間に相棒や、共通の友人たちからそんなことを幾度となく言われたけれど、そんなの俺が一番分かっている。悲しくて、気まずくて、寂しい。
原因は分かっている。それが俺のせいなのも。
ちゃんと謝って、話をしたい。わだかまりをなくしたい。前みたいに馬鹿な話で笑い合いたい。そのためのきっかけを作るのは俺からだ。
「……この前のこと、ごめん。」
「それだけ? 謝罪はその時聞いたじゃん」
「そうだけど、ちゃんと謝りたくて。」
「いいよ別に。先約だったんだろ、ならしょうがないじゃん?」
静かに、硬い声で謝罪から切り出した俺に対して、エースの言葉はあまりにも素っ気なかった。そのあっさりとした返事は要件がそれだけならもう帰ってもいいか? とでも言いたげだ。このまま俺が何も言わなければ、今にも「じゃ、帰るわ」なんて椅子から立ち上がって部屋から出て行ってしまいそうだった。
「違う、そのことじゃなくて」
「じゃあ何」
ほとんど間もなく、むしろ言葉に被せるように返される。いつもとはあまりにも違う、そしてあの日から変わらない、棘のある声。変わらないのは視線もだ、あの日からろくに交わらない。俺はエースを見つめて、けれど彼の目線は斜め下の、古くさいフローリングの床。……寂しいけれど、もういっそ目が合わない方が良い気すらしてきた。あの気の強い真っ直ぐな赤い瞳に見つめられながらでは、どうしても気持ちが怯んでしまう。
分かっている。エースが怒っているのはそこじゃない。
さあ、言え。小さく息を吸って、胸に溜め込んで。今日一日ずっと考えて選び抜いた言葉をゆっくり、恐る恐る声に出す。
「…俺、エースたちにずっと言えなかったことがあって。最近寝不足だったのも、この前、タルトを食べに行けなかったのもそのせいなんだ。……その、」
リーチ兄弟、とのことで。その名前を出した瞬間、ぴくり、エースが僅かに反応したように見えた。それに若干揺らいだが、ここで止まっては駄目だ。最後まで言わなければ意味がない。
「あの、さ、俺──」
けれど、俺はどうしようもなく臆病で根性無しらしい。その先の一番言わなければいけない大事なところを口に出そうとしたけれど、言葉が喉に張り付いて声が付いていかない。
喉が苦しい。ここにきてリーチ兄弟としている「こと」を話したらエースにどう思われるかなんて、そんなことが胸に引っかかってしまう。話さなければエースとはずっとこのまま、気まずいままなのに。これを逃したらもう、元の気の置けない友人の間柄には戻れないかもしれないのに。分かっているのに声が鉛のように重い。早く声に出せよ、何やってんだよ、自分を叱咤するけれど、どうしても駄目で、声が竦んでしまう。
「…はあ」
結局。意を決して俺が何か言葉を発するよりも先に、エースの重いため息が部屋に響いた。力の抜けた、どこか呆れの籠ったそれに思わず体が硬くなる。
呆れられた。口の中は渇き切って、吸った息でひゅ、と空気が鳴る音がする気さえした。これ以上こんな反応をされたくない。そう思っているのに、いるからこそ体は硬直して何も言えない。微動だにできない俺を他所に、のろりとエースの目線が動いた。ああ、久しぶりに目が合った、燃えるような真紅の瞳。
「お前のそーいうとこ、すげームカつく。勿体ぶんないでさっさと言ったら。」
「……ごめん、」
「つーかさ、」
俺の弱々しい、小さい謝罪が遮られた。険のある声と共に俺を貫く視線は明らかな非難と、確かな怒気を孕んでいる。
「なんで一人で抱え込んだままにしてるわけ? …オレが、オレやデュースがいるじゃん。なんで話さねえの? オレら、そんなに頼りない?」
「っ違う、違うよ。エースたちのことを頼りないなんて思ったことない。でも、これは俺の問題だからと思って」
頼りないなんて、そんなわけないのに。エースから次々と矢継ぎ早に投げつけられた言葉にまごつきながらもなんとか否定する。だってこれはどう考えても俺の問題なのだ。エースやデュースには関係のないことだし、変なことに巻き込みたくない。だから頼れない。頼りたくない。けれど俺の言葉には、とエースが笑う。その音は渇いていて、今度こそ呆れたような笑い方だった。
「ナニソレ、自分の問題だからって一人で解決しようとしてんの? …っとに、お前さあ…」
続きはその口からは出てこない。代わりにはああ、と先程よりも大きなため息。そして何かの我慢の限界を迎えたのか、あーもうとオレンジ色のくせっ毛をぐしゃぐしゃとかき回して、エースは俺をぐ、と睨んだ。
「あのさ。こんなのらしくねーから言いたくねえけど、心配してんだよ、オレら。…お前だけの問題かもしんないけど、見てらんねーんだよ、目の下にデカい隈作って、なのに何でもないって無理に笑ってさ。デュースだって、あのグリムだってなんかあったんじゃねえかって心配してんだぜ」
「…エース、」
「………頼れよ、見たくねえんだよ、お前のそんな顔」
何かを押し殺したような、そんな声だった。堰を切ったようにあふれ出した言葉の数々を重ねるごとに、エースの表情は段々と歪んでいく。そして漏れ出たような台詞を最後に下を向いて、はあ、と再び重いため息。エースの表情は窺えない。悔しさなのか、不甲斐なさなのか、怒りなのか。唇を固く噛み締めて、それっきり黙ってしまった。
「…ごめん」
リーチ兄弟との関係が始まる前、彼らを巻き込むのもごめんだし、妙な心配も、憐みの視線も受けるのも嫌だと、そう思っていた。だから俺一人で処理すべきだと。
けれど、こうして俺はこんなにまで心配をかけさせてしまっている。エースだけじゃない、デュースにも、グリムにも。友人の、眉根を寄せて絞り出されたようなその声に息が詰まって胸が苦しくなる。結果出たのはもう何度目かの言葉。自分でも謝ってばかりだと思う。良い加減聞き飽きたのだろう、それにエースは無反応だ。それでも謝らずにはいられなかった。ここまで案じてくれていたのに、それに気付かないで無下にしてしまっていたから。
「(でも)」
それでも。心配してくれたことも、頼れよと言ってくれたことも嬉しいけれど。やっぱり当初の考えは変えられない。これは俺だけの問題で、大切な友人たちに頼るようなことではない。というかそもそもそれ以前の問題だ。
「だってこんなの、相談できるわけないだろ……リーチ兄弟とセフレ紛いのことしてるなんて」
ついにそれを口にした。ようやく言えたとほっとした反面、俺の告白に対する返答はなく、すぐさま言ったことを後悔した。我慢できず視線を落として床の木目をじっと見つめる。
だから言いたくなかったんだ。今まで曖昧にしていた彼らとの関係に名前を付けて、明確に形作ってしまった。分かっていたつもりだったが、「セフレ」という形に落とし込んでしまったことが、自分で思っていた以上にきつい。自分だけじゃない、例えエースが俺と先輩たちの関係に勘づいていたとしても、こんなの面と向かって言われたら心配とかそれ以前に引くだろう。だってセフレだなんて、しかも男同士でなんて──どうかしてる。
次に投げられるのはどんな言葉だろうか。蔑んだ視線を向けられ、「気持ち悪い」とでも言われるだろうか。どっちにしろ以前のような関係には戻れないだろう。ぐ、と熱くなっていく喉に力を入れる。そうしないと何かが溢れ出してしまいそうだった。
けれど。
「………は?」
「……え、」
俺が覚悟していた蔑みの視線も言葉も飛んでこなかった。代わりに聞こえてきたのは気の抜けた疑問符。それが予想外で思わず顔を上げれば、エースがぽかんとした顔を俺に向けていた。その表情から見るに、そのは? は意味不明だという意味のは? だ。どうやら、俺の言葉もエースが予想していたものではなかったらしい。
「何、…セフレって」
「ぇ、ぁ……気づいてるんだと、思ってた……」
戸惑いを隠し切れていない様子のエースが、どういうことだと俺に目線を向ける。まさか。さっきのは完全に失言だったと今度は違う意味で後悔したがもう遅い。だってこのエースの反応、もしかしなくても、
「いや、なんか…脅されて、良からぬことされてんだとは思ってたけど、セフレって……、」
エースの顔がひくりと引き攣る。そして長すぎる一拍を置いた後、「マジか…」と呆然とした表情でぽつりとこぼした。
しまった、……墓穴掘った。