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「話せば長くなるんだけど」。話す前にそう断りを入れれば、エースは「じゃあ何か飲み物飲もうぜ、喉渇いた」と若干疲れた表情でそう言った。キッチンまでの道のりを往復する間交わされた会話は一言二言とほとんどなかったけれど、その時の口調や雰囲気はいつもの彼に戻っていて、ああ良かったと不謹慎だが少し嬉しくなってしまったのは秘密である。
そうして。数分の小休憩を入れた後、俺は全てを話した。一部始終、オクタヴィネルの三人組と「セフレ」になった経緯を全て。俺のしどろもどろになりながらの下手くそな説明をエースはちゃんと聞いてくれていたが、話が進むうちにその表情は段々と苦々しいものになっていき、話し終える頃には顔を覆って無言である。男同士、更には友人の生々しい部分も含んだ話で引かないのは無理だろうと覚悟はしていたが、まあ予想通りの反応だ。それに俺も俺で顔を覆いたくなったが、耐え難い長い沈黙の後に俺に向けられたのは、そうか、という沈んだ声と心底同情した表情だった。
「……まあ、そりゃ、話せないか…」
「……デュースには絶対に無理」
「…無理だわ……だからオレだけを呼び出したってわけね…」
なるほどね、と続けたエースは何やら納得したようだった。その口ぶりからするとどうやら自分だけ呼ばれたことに多少の違和感を持っていたらしい。もちろん最初はデュースにも話そうと思っていたが、何しろ彼は市販の無精卵からひよこが孵ると思っていた程の純粋無垢なのである。セフレをしているなんて汚れた話を打ち明ける決心がどうしてもつかなかった。デュースにはまだピュアでいてほしい。
「いやぁ…まさか、リーチ兄弟とセフレだとはなァ……」
「…引かないの?」
話に一区切りがつき、二人並んでベッドに腰掛けてぽつりぽつりと交わしていた会話の最中のこと。不意にエースがどこか遠い目をして呟いて、それに躊躇いがちに聞いてみる。
俺が彼らとのセフレ事情を話し終えても、エースはあからさまな嫌悪を表したりはしなかった。まあ隠しているだけなのかもしれないが、それをわざわざ聞く俺も俺だなと思いつつ、やはり好奇心には勝てなかった。エースは俺の問いにうーん、と言葉を濁し、逡巡した様子を見せながらも口を開く。
「いや、…引いてないって言ったら嘘になるけど、同情の気持ちの方が遥かに勝ってるっつーか。オレらの時みたいに強制労働させられてんのかと思ってたんだよ。予想の斜め上かっ飛んでいったわ」
「はは……」
斜め上すぎて最早笑えてきた、とエースは軽く笑いを溢す。まあ強制労働と言われればある意味強制労働だろう。性的な労働がガッツリ入ったやつだが。そんなことを思いつつから笑いをしていれば、俺の様子を見てエースはつーか大丈夫なのか? それ、と若干前屈みになって尋ねてきた。どうやら同情よりも心配が勝るらしい。ああ、やっぱりエースは優しい。改めてこの世界でこんな良い友人を持てて良かった。そうしたら「何ニヤついてんだよ気持ち悪い」と気味悪がられたが。
「聞いた限りだと半ば脅しから入ったようなもんでしょ、それ」
「まあ、うん」
「何だよその煮え切らない返事。今は違うわけ?」
「……最初は、半ば無理やりだったと思う、けど。今は……分かんない」
「は?」
怪訝な顔をしてどういうことだと先を促すエースに、俺も唸りながらも続きを考える。
「無理強いはされてない、と思う。実際先輩たちも無理矢理するつもりはないみたいなんだ。やりたいって言われる時に圧はあるけど、多分俺が嫌だって言ったらやめてくれる。でも」
「でも?」
「……よく考えたら俺、先輩たちとするの、今までなんだかんだ嫌だと思ってなかった気がして……」
「……マジかよ」
頬杖をついていたエースの顔がかくんとずり落ちた。マジかよ、それは俺自身に向けても言いたい。自分の気持ちが自分でも信じられない。この前フロイド先輩に「まんざらでもないっしょ?」と言われてから落ち着いて考えてみたが、気後れしたことも、気が滅入ったこともありつつも、確かに先輩たちとの行為を心底嫌だと思ったことはなかったのだ。それに気付かなかったのは、先輩たちが逃してくれないからこの行為はしょうがないことなんだと、彼らに責任転嫁して逃げようとしない自分に言い訳していたから。本当に自分の気持ちが分かっていなかったのか、本当の気持ちに気付きたくなかったのか、自分がそんなことをしていた理由はまだ分からないけれど。
でも気付いた今はどうだろう。先輩たちとの行為をどう思ってる? 一度考えても答えが出なかった問いを、もう一度自分自身に尋ねてみる。
……嫌だとは思ったことはない。それどころか、…今は寧ろ、
「……うーん、フロイド先輩も、ジェイド先輩も…意外とかわいいと思ってしまっている自分がいる……」
「ちょ、うっわ先輩のそういうの聞きたくないからマジでやめて! 想像したくない!」
「ええ?」
神妙にそう言った俺に、エースは口を押さえてうげえ、と何かを吐きそうな勢いで制止してきた。そんなに拒否反応を示すほどか? と思ったが、エースはフロイド先輩と同じバスケ部で割と接点があるから何か思うところがあるのだろう。特にフロイド先輩は普段性的な雰囲気を感じないだろうし…というか同性に性的な何かを感じることもあまりないか。ないな、普通。
「つか、ナマエがソッチだったのかよ…」
「ソッチってなんだよ、俺は女の子が好きだよ!」
「そういうことじゃなくてさ、何? 男役? ってことだよ!」
「ああ……?」
エースの言葉に目をぱちくりとさせる。男役。つまり攻める方ということか。エースの心底意外そうな顔からして大方俺が女役だと思われていたのだろう。別に棒を突っ込んでいるわけではないので男も女もないと思うが、攻め受けと分けてどちらが受け身っぽいかと言われたらそれは先輩たちの方だろう。
「だって嫌だよ俺、初めては好きな人としたいし」
「あーまあ、それは分かるけど……。でもさ、その初めて=A先輩たちにどれくらい奪われてんの?」
「………」
言われてみれば。
ファーストキス、ファーストディープキス、その他諸々。考え出したらキリがなくて何も言えなかった。俺、なんだかんだで奪われすぎでは。ちょっとしたショックで黙ってしまった俺を、エースがじ、とどこか表情の読めない顔で見つめる。
「…じゃあ今は?」
「え、今?」
「今はどう思ってんの? 童貞を先輩たちに奪われてもいいわけ?」
「…え、つまり?」
「だから、先輩たちに突っ込んでくれって頼まれたらどうすんのって聞いてんの。言わせんなよアホ」
一瞬混乱して理解ができなかった俺に、羞恥からか顔を赤らめたエースに「知ってんだろ」と悪態を吐かれた。知識がないわけじゃない、こうなる前に万が一のこともあろうと予備知識として男同士のやり方を調べていたから。エースもエースで知らないわけではないらしい。
「んーー……どうだろう、」
初めて先輩たちの部屋を訪れた時は、一度受け身に回ったら終わり、隙を見せたら絶対に食われると思っていた。「初めて」は好きな人としたいという思いもあったし(今もそれは変わらないが)、それこそ最初の方は終始優位に立ち回ろうと気を張っていた。今はそこまで気を張る必要はなくなったけれど、それにしたってそんなこと、考えたことなかった。
もし彼らに「欲しい」と言われたら、俺はなんて答えるのだろう。
脳裏に過るのは快感を強請る甘やかな声と、俺を見つめる蕩けた顔。思い出せばぞくりと腰が疼く。それに顔が熱くなって、それを隠すように眉を寄せた。……ああ、俺、思った以上に、
「……ケツに突っ込まれるのは絶対に嫌だけど……突っ込むのは……即座に嫌だと言わない自分がいる……」
「……マジで大丈夫?」
「………。…とにかく! そんなわけで俺は大丈夫だからさ」
自分で自分の気持ちの変化に着いていけない部分については大丈夫ではないが、そんなこと言ってもエースにますます引かれるだけだ。無理矢理話を逸らせば、顔を顰めたエースにどんなわけだよ、と突っ込まれた。
「オレはお前の行く先が不安でしょうがねーよ」
「まあまあ、そのことは後で考えるから。とにかく先輩たちとはあくまでも合意の上だし、今までみたいに節操なしにやるってことはなくなったから、エースたちを心配させずに済むと思う。」
「ジェイド先輩がスケジュール立ててくれたし、俺の負担も減るよ」とにへらと愛想笑いしながら続ければ、何かを察したのかエースはもしかして、と俺を見る。
「……今まで先輩たちに拉致られてたのって、全部」
「……うん。何も言わないでほしい、頼む」
「…………」
今度こそ無言で心底同情するような顔をされた。
○
「…で、このことなんだけど」
変な空気を何とかしようと話を断ち切って別の話題をと窺うように切り出せば、エースからはため息混じりに「分かってるよ」と返事が返ってくる。さすがエース、話が早い。
「誰にも言うなって言うんだろ? まーこんなことデュースに言ったらどんな反応するか…面白そうではあるけどさ」
「お願い! 幸いデュースはあんま感づいてなさそうだし、こんなこと話せるわけないから…これ以上心配かけたくないんだ」
「あーそれオレに言うの? オレだって散々心配してたんですケド。」
「う、」
片眉を器用にくいと上げ、若干不満げなエースにぐうの音も出ない。
「それは、本当、申し訳ないって思ってる………でも、エースだから話せたんだ」
「………」
「いつもなんだかんだ言って相談とか乗ってくれるし、助けてくれるし、実は優しいし、」
言葉通り、エースだから話せたことだ。それにこうして誰かに話すことで心が軽くなった気がするし、話した相手がエースで良かったとも思う。だが、それを伝える前に顔を真っ赤にした本人に「やめろ!」とデカい声で制止されてしまった。なんでだ。
「よくそんな小っ恥ずかしいこと言えるなお前は!」
「いやだって本音だし…」
「あーもう分かった、分かったよ! 言わない! オレとナマエの秘密な!」
「あーーッエース様‼ 大感謝! ホントに感謝‼ ありがとうございます!」
やはり持つべきものは友である。改めてエースが友人でいてくれていることに感謝した。半ばヤケの投げやりな口調だったけれど了承してくれた友人に文字通り平伏する。が。
「その代わり」
「え」
その代わり。ただでは終わらなかったエースの言葉に顔を上げる。エースは腕を組んで、真顔なのかなんなのか、表情の読めない顔で俺を見つめていた。まあ誰にも言わないでくれるのだ、エースのことだし、ある程度のことを要求されるのは頷ける。どんなことを要求されるのだろう、週二でジュース奢ってぐらいがありがたいが、なんて友人の言葉を少しどぎまぎしながら待っていたけれど、
「──オレも仲間に入れてって言ったら、どーする?」
でも。そうして言われたのは全く予想もしていなかったことだった。
薄く笑って、エースは何も言わない。
「へ、……ぁ、」
「なあ、キスしてくれる? ナマエ」
その一言に思考が止まる。仲間に入れてというのは、つまりそういう意味だ。いつもの茶目っ気のある表情は仕舞われて、向けられるどこか静かな笑みにどくりと心臓が波打つ。その顔を見て本気だと、そう思ってしまった。
きし、古いベッドが軋む音。体重がこちらの方へと傾けられ、段々と顔を近づけられる。突然のことに思考回路がショートした俺は反応すらできない。その間にもエースとの空間は無くなっていき、鼻先がくっつきそうな近さに自然と息が止まった。
このままじゃ唇がくっついてしまう。何かしないといけない、けれど何も考えられない、頭が麻痺して真っ白で、体が動かない。
熱を帯びた、ルビーのように赤く、力強い瞳。その熱が伝染るように俺の顔もぶわりと熱くなっていく。
ああだめだ。これ以上は無理。お互いの肌の温度が感じられるくらいの距離にとうとう耐えきれず、力強く目を瞑ってしまった。
「……っ、」
が、いつまで経っても覚悟した感触はやって来ない。それに恐る恐る目を開ければ、視界いっぱいに広がっていたのは、エースのいつもの悪戯っぽい笑みで。
「……なんてね」
「…………は?」
「ウソウソジョーダンに決まってんじゃん! そんな間に受けんなよ!」
さっきまでの見たことのない表情は嘘みたいに消え去って、ぱっと雰囲気を砕けさせたエースはケラケラとさも可笑しそうに笑った。更にはツボに入ったのか、「お前のキス待ち顔ばっちり見たわ」なんて苦しそうに腹を抱えて爆笑である。一方の俺は胸を押さえてそれどころではない。
「っっっとに、タチの悪い冗談やめてくれよ……!」
「顔赤いぜナマエ、ドキドキした?」
「ドキドキどころじゃないよバクバクだよ‼」
それこそスポーツカーのエンジン並みに心臓が派手な音を立てている。体の活動が一瞬止まっていたのではと感じるくらい今更変な汗がぶわっと全身の毛穴から吹き出してきたし、顔がカイロになったみたいに熱い。ああもう、こいつ! なんてやつ! はーっと息ができなくて溜め込んでいた空気を思い切り吐き出した。そんな俺に何を思ったのか、エースはすっと目を細めてぽつり。
「ほんっと、お前そういうところだかんな」
「何が⁉」
「いや、揶揄い甲斐があるなってこと!」
顔をしわくちゃにして、眉を下げて。にやにやと意地の悪い、けれど心底楽しそうな笑顔を浮かべる友人に、俺は一生勝てないのかもしれない。