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後日。
金曜の放課後、ジェイド先輩に共有されたスケジュール表通りにオクタヴィネルへと赴く。今日の行先は寮長部屋だ。扉の前に行き着いて、いつもの通りにノックを二回。こうしてアズール先輩の部屋に入るのにもあまり心構えが要らなくなってきた。慣れてきたのは良いことなのだろうが、自分がますます泥沼にずぶずぶハマっていっているのを実感してしまう。ふう、と自然とため息が漏れたのはきっとそのせいかもしれない、なんて考えていれば、程なくして大きな足音がカツカツと聞こえてくる。が、部屋の扉を勢いよく開けて俺を迎え入れたのはアズール先輩ではなく。
「小エビちゃん、待ってたよお」
「………あれ、フロイド先輩?」
なんでアズール先輩の部屋にフロイド先輩が? 眉を顰めて戸惑う俺に、フロイド先輩はギザ歯を見せて楽しそうに笑い、そのまま俺の手首を掴んで部屋の中へと引き摺り込む。
「こんにちは、ナマエさん」
「え、ジェイド先輩も、」
部屋にいたのはフロイド先輩だけではなかった。部屋の主人であるアズール先輩は中央に位置するベッドに腰掛けており、そのそばにはジェイド先輩が腕を組んで佇んでいる。背中を見せていたジェイド先輩はこちらを振り返って会釈をしてくれたが、頭の中はどういうことだと困惑中で返す余裕がなかった。今日の相手のはずであるアズール先輩はといえば、俺を一瞥して何かを察したのか顔をしかめ、その整った眉を寄せる。
「……お前たち、まさか」
「はいはい、小エビちゃんこっち来て〜、アズールの隣座って」
「え、ちょっと、あの」
そのまま手首を引っ張られ、フロイド先輩の言う通りアズール先輩の隣に座らされる。俺とアズール先輩の目の前には、立ったままにこにこ、にやにやと笑みを浮かべる双子の姿。これで俺も察した。この顔、ろくでもないことを考えている時の顔だ。思わずひくりと口角が引き攣る。そしてこの瞬間を待っていたかのように、ジェイド先輩がそれはもう楽しそうに口を開いて。
「せっかくの機会だ、アズールに教えてあげようかと思いまして」
「みんなでエッチしよっか♡」
「………………。」
やっぱりろくでもないことだった。どういうことですか? なんて聞くまでもなかった。もしかしなくてもあの時の嫌な予感が的中である。
「………本っっ当に余計なお世話だな」
リーチ兄弟の至極楽しそうな様子とは裏腹に、アズール先輩は喉から搾り出したような声で苦々しく呟いた。これこそ苦虫を噛み潰したような表情というような苦々しい顔である。一方で俺はといえば、自分でも少し意外なほど冷静だった。二人の思いつきで今まで散々ろくでもないことに付き合わされているのが功を奏したらしい。だから今になって驚いたりだとか、げんなりはすることはなかったが、む、と口を結んで難しい顔をしてしまう。
「あの…流石に四人でするのは厳しくないですか……?」
フロイド先輩の「みんなでエッチしよっか♡」という言葉を聞いて、真っ先に思ったのがそれだった。四人でするところが想像できない。だって俺がリードする側として(される側になる気はないつもりだ)、全員の相手をするのなら一人対三人ということになってしまう。どう考えても体が足りなくないか? それ以前に二人を相手にするのも苦労しているのに、三人となると意識が回せない気しかしない。だが俺の疑問の意図をしっかりと察してくれたのか、ジェイド先輩はその点に関してはご心配なく、と補足を入れた。
「今回僕たちはあくまでもアズールのサポートをすることが目的ですので、ナマエさんはアズール一人に意識を集中していただければ」
「ああ…なるほど…?」
「待ってください、どこがなるほどなんですか」
確かに、双子がサポートに回ってくれて、俺がアズール先輩一人に集中すればいいのならできそうではある。ジェイド先輩の説明に思わず頷きそうになってしまったが、その前にアズール先輩にしっかりと突っ込みを入れられてしまった。
「ナマエさん、納得しないでください。どう考えてもおかしいでしょう、四人でするなんて。というかそれ以前にお前たちに教えてもらう必要なんて全くないが?」
アズール先輩は強い口調で忌々しげにため息を吐くが、それにジェイド先輩はおや、本当ですか? と首を傾げる。そしてそんな言葉の後、フロイド先輩が平然とした顔で爆弾を投下した。
「だってアズール、今までに何回かしてんのに全部くっつけるだけのちゅーしかしてないんでしょ? ホントにそのままでエッチできんの?」
「は、」
「ナマエさんにも契約≠ネらきちんと果たさなければとは言いましたが、それにしても僕たちと比べてあまりにも遅いので……もしかしたら一生エッチできないのではと心配なんですよ」
「な、……っうるさいな‼ 何をしようと僕の勝手だろう‼」
まさに売り言葉に買い言葉である、アズール先輩が見事に煽られ始めた。さっきまで澄まし顔だった先輩は、リーチ兄弟の言葉によってみるみる取り乱していく。顔を真っ赤にしてニコニコリーチ兄弟に大声で噛みつく姿はいつぞやに見た光景だ。相変わらず茹で蛸みたいに顔が赤くなるなあと先輩が元気に喚く様をしばらく傍観していたけれど、不意にその矛先が俺の方に向いた。
「ナマエさんも守秘義務というものがあるでしょう! 契約内容のことをペラペラと喋るのは信用をなくしますよ⁉」
「へ、っあ、すみません、質問攻めにあってつい……」
「ついって何なんだ⁉ 口が軽すぎませんか⁉」
「ご、ごめんなさい…」
ぐりんと勢いよく顔をこちらの方に向けたアズール先輩に問い詰められる。勢いに呑まれてほぼ反射的に謝ったが、確かにどこまでやったなんて完全にプライベートな話だ。先輩と仲の良い、かつ関係をシェアしているリーチ兄弟に聞かれたからといって、それに答えるのは俺もデリカシーに欠けていた。と思ったはいいものの、きちんと謝る余裕がない。胸ぐらを強い力で掴まれ、更にはぐらぐらと強く揺らされて謝罪の声もゆらゆら揺れる。アズール先輩意外と力が強いな。首ががくがく揺れるんだが。追及されるがまま、首振り人形のようになっている俺をジェイド先輩が見かねたのか、「待ってください」とアズール先輩を止めて間に入ってくれた。た、助かった…。
「ナマエさんを怒らないであげてください、どうしてもとお願いしたのは僕たちなんです」
「そーそー。ウブなタコちゃんは小エビちゃんと上手くできてんのかなって気になったからさあ」
「ええ上手くいっていますよ‼ 上手くいきすぎて困っているくらいだ‼」
「それ、ちゅーだけの話でしょ?」
「、っそれは、」
ずばりと言い放ったフロイド先輩に、アズール先輩が声を詰まらせた。その僅かな間を逃さないかのようにフロイド先輩は続ける。
「つーかアズールさあ、小エビちゃんと陸の交尾≠オたいんでしょ? 交尾ってちゅーだけじゃできないんだよ? 分かってんの?」
「…フン、馬鹿にしないでください、そんなの分かっているに決まっているでしょう。僕はお前たちとは違うんだ、ひとつひとつ丁寧にこなしてるんですよ!」
「丁寧すぎじゃね?」
「しつこいと嫌われますよ」
「先に進むのが怖いの?」
「それとも自信がないのでは?」
「…この、……っ‼」
「あの、二人とも、もうそこら辺で…」
どうやら、色恋のこととなるとかなり立場が逆転してしまうようだ。先輩たちに畳み掛けるようにして繰り出される言葉に、アズール先輩が顔を真っ赤にしてついに泣きそうになってきたのでやんわりと止めに入る。二人はそれ以上煽るような言葉を口には出さなかったが、にやにやとした笑みは崩しはしない。
「いいじゃん、オレらが小エビちゃんとしてるとこ見ててよ」
「初心な貴方も、そうすればキスの先もどうすれば良いか分かるでしょう?」
「っお前たち……さっきから言わせておけば好き放題…」
ぎり、と歯ぎしりさせて先輩たちを睨み付けるアズール先輩だが、言わずもがな朱に染まったままの顔では迫力は半減している。それに今更怯むような二人ではない。フロイド先輩は「落ち着きなよタコちゃん」なんて先輩を宥めてから(煽りにしか聞こえないが)俺の隣に座った。そして俺にくっつき、その長い腕を俺の体に絡ませる。するりと見せつけるように体を這う大きな掌は行為のそれを思い出させて、顔に熱が集まっていく。
「ねえ、アズール」。フロイド先輩は甘ったるい、猫撫で声で先輩の名前を呼ぶ。俺が呼ばれたわけじゃないのに、それにどくりと心臓が鳴った。
「アズールも一緒に気持ちよくなろ、小エビちゃんとのエッチ、気持ちいからさあ」
「……っだから僕は」
「意地張んなよ」
何かを言いかけたアズール先輩を、フロイド先輩の揺るがない、低い声が遮った。
「したいんでしょ? 小エビちゃんとエロいこと」
ね、なんて、まるで言い聞かせるように。アズール先輩へと向けられた声は俺の耳元で囁かれ、その低音が俺の鼓膜を甘く震わせる。
「……っ、」
フロイド先輩の言葉に、アズール先輩は口を噤む。何を言うべきか困っているのか、迷っているのか、窺うように向けられた眼鏡の奥の瞳と目が合った。潤んだ海色の瞳に、眉を下げ赤らんだその頬と、結ばれた薄い唇。その表情に見えたのは羞恥や焦り、そして怒り。それから確かな期待と、欲の色も。
多分、先輩はしたいんだ。なら、とこの後のことを考える。このまま先輩が頷いたら、いや、意固地になって頷かなくてもなし崩し的に行為に入ってしまうだろう。始まったら、俺はアズール先輩一人に集中して、ジェイド先輩とフロイド先輩は俺たちの行為に口出しをする。つまりそれは、とそこまで考えて気付く。先輩とキスをする様も、その先も──、見られるということか? アズール先輩との行為を、二人に?
「……待ってください、」
気が付けばそう言っていた。体に巻きつく腕にやんわりと止めるように手を添える。俺に止められるとは思っていなかったのか、フロイド先輩がきょとんとした顔で俺を見た。
「あの、見られるのはちょっと…抵抗があるというか、」
「は? なんで? オレらでする時見られてんじゃん。オレかジェイドに」
「それは、そうなんですけど…、それとこれとは別というか……」
曖昧としているのは分かっているが、どう言葉にすればいいのか分からない。フロイド先輩の言っているのは、その場にいるもう一人に見られて恥ずかしいとかそういうことだと思う。恥ずかしくないわけがない、双子と三人でする時も羞恥は勿論ある。でも始まってしまえば二人を相手にすることで考える余裕なんてなくなるから、そんなことを気にしている余裕がないというのが事実だ。
でも、今回は俺とアズール先輩がしているところを、行為に参加していない「第三者」である双子にしっかり見られてしまう。そう考えると羞恥もそうだが、今までにない確かな抵抗を感じてしまった。二人に見られると考えると、どうにも胸がモヤモヤする。変だ。大体が今までこんなこと、感じたこともなかったし考えたことなかったのに。
「…んだよ、それ」
「…え?」
それは、温度のなくなった声だった。吐き捨てられた言葉に思考が引き戻されたと思ったら、すっと体の熱が離れていく。
「……飽きた。帰る」
「え、っあ、フロイド先輩……」
どうしてだとか、疑問の声をかける暇もなかった。冷たく尖った声でその二言だけ。俺の曖昧な返事に深い皺を眉間に刻んだフロイド先輩は、ベッドから離れ、憮然とした表情のまま大股で部屋から出て行く。
バタン、扉が締まる大きな音が静かな部屋に響き渡った。
「…………」
戸惑いよりも先に来たのは、先輩に対して申し訳ないと思う確かな罪悪感だった。それがどうしてかは分からない、けれど俺はまた、まずいことを言ってしまったのだ。
前回も似たようなことはあった。フロイド先輩が行為の度にしていることが何なのか分からなかった時。その時は「バカ」と言われて拗ねられただけだったが、今回は度が違う。明らかに怒っていた。少し時間が経てば機嫌が治るとか、そういう感じではなかった。ざわざわ、心がざわつく。どうしよう、どうすればいい? 謝らなきゃ、そう思うのに体は硬直して動かない。
「……仕方がありませんね」
沈黙を破ったのはジェイド先輩の言葉だった。小さく息を吐き出して、何も言わずに片割れが消えていった部屋の入り口に向けていた視線がこちらに戻る。
「フロイドのことはそのままにしておきましょう。今日のところはもう戻っては来ないでしょうし。この場はひとまず僕とナマエさんでやりましょうか」
「ぇ、…待ってください、結局やるんですか?」
「ええ、勿論。まさかこのままおざなりになるとでも?」
「なるわけないでしょう?」。ジェイド先輩が艶やかに微笑んで、先ほどまでフロイド先輩が座っていた場所に腰を下ろす。ジェイド先輩は怒ったフロイド先輩に慣れているのだろうが、あんな反応を初めてされた俺はどう気持ちを対処すればいいのか分からない。正直この状態でやりたくはない、けれどジェイド先輩はそんなの知ったことではないとばかりにジリジリと距離を詰めてくる。
「ちょ、ちょっと、ジェイド先輩、本当にやるんですか?」
「ふふ、貴方も往生際が悪いですね。それではもう一人の当事者に聞きましょうか」
そう言ってジェイド先輩は俺越しにもう一人の当事者≠ヨと言葉を投げかける。
「ねえアズール。貴方はどうしたいですか?」
「………。」
が、先輩はその問いかけには何も答えない。黙ったまま、先輩の前髪で俯いたその表情は窺えなかった。が。
「………見る必要なんてありませんよ」
「……は、ぇっんぶ、っ⁉」
一瞬だった。数秒の沈黙の後ぼそりと独り言のように呟かれた言葉の後に、強い力で胸ぐらを掴まれ先輩の柔らかい唇がぶつかる。
「どうすればいいかなんて、そんなの見なくても分かりますから」
ああダメだ、また辺な方向に拗れていった。