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──そうして話は冒頭に戻るわけだ。
信じられるだろうか。誰がこんな展開になるなんて想像できるだろうか。いやできない。できるわけがない!何故俺は先輩にキス(あろうことかディープ込み)をされたのか。何故今もこうして腰を抱かれ、体を密着させられているのか。何故、何故、何故。頭に出てくるのは疑問符ばかりである。試食の話はどこいった?ニコニコしてないで何か説明してくれ。だから混乱する思考を無理矢理落ち着かせて、どうして、と言葉をかたちづくろうとした。が。
「あーーーー!!!!」
ラウンジ内に響く大きな声が耳を貫く。それにジェイド先輩が僅かに身体を強張らせた瞬間、どさくさに紛れて彼から身体を離すことに成功した。が、山盛りの疑問を聞く前に新たな問題がやってきた。
ああこの声、めちゃくちゃ聞き覚えしかない。現実逃避したすぎてぐ、と目を瞑って視界をログアウトさせたが、再び目を開けた先の状況は何も変わっていなかった。
「ジェイドずりぃ!抜け駆けすんなって言ったじゃん!オレも小エビちゃんと遊ぶ〜!」
いや、遊んではいないのだが、どこをどう見たらそう認識されてしまうのだろうか。新たな問題の正体は推察するまでもない。俺とジェイド先輩を思い切り指差した後に俺に突進してきたのは双子の片割れ、フロイド先輩である。部屋着であろうジャージ姿の彼は見たことがなかったので新鮮だと一瞬目移りしたが、俺にタックルした後にギュッと抱き絞めてきたためそんな思いは一瞬で泡になって消え去った。このタックルは何回かされたことがあるとはいえ、効果音を付けるならまさにドゴンであろう、マジでさっきの衝撃と圧が凄すぎて内臓が揺れている。そして今、俺はジェイド先輩に代わり、フロイド先輩によって後ろから完全にホールドされている。この状況………目の前にウツボ、後ろにもウツボ、完全に挟まれていて逃げ場がない。助けを呼ぼうにもラウンジは閉店しているし、……というか、この二人を前にして助けなんて呼べなくないか?無理だ、詰んだ。
「ああフロイド、ナマエさんと購買の前でばったり会ったんですよ。それで試食をと思いまして、つい」
「ふーん、まーいいよ。先越されたのは気に食わねーけど、遅かれ早かれこうなってたんだし。で、小エビちゃんどうだったぁ?どんな味?柔らかい?」
「ええ、美味しいですし柔らかいですよ」
「マジかぁ、食べでがあるわー」
「…………………」
一体何の話をしているんだこの兄弟は。俺の頭上で繰り広げられている会話の中での「試食」って、明らかに新メニューのことではなく、十中八九俺のことだよな?分からない。俺を試食とは、何を考えているのだろうか、この人たちは。最早考えることを放棄したいが、今それをしたらまずいことは目に見えている。
「オレにも小エビちゃん味見させてよ。いーでしょジェイド?」
「ええどうぞ、僕はもう味わったので」
「いやあの、ちょっと」
どうぞって何。俺の拒否権は最初からナシか。ジェイド先輩に思い切りツッコミたかったがそれは叶わなかった。彼が俺をフロイド先輩に差し出したのである。俺を見てにこお、と良い笑みを向けるフロイド先輩だが、俺はといえば思い切り笑顔が引き攣った。
「ふ、フロイド先輩…こ、こんばんは……」
「こんばんはぁ。ね、小エビちゃん、そんな恐がんなって。別にとって食うわけじゃねーんだし」
「いやさっきの会話明らかにそういう会話でしたよね?!二人してどうしてこんなこと」
「もー小エビちゃんてばぎゃーすかうるせーよ。ホントに食べてあげよーかぁ?」
フロイド先輩は大きな手でぎゅむぎゅむと俺の頬を挟む。タコみてーとけらけら笑う彼はどうやら上機嫌モードらしい、それがせめてもの救いだ。ふぁの、ひぇんぱい、と口の動きがままならない状態で先輩を呼ぶ。やめてくれないかなあ、なんて仄かな希望を籠めてフロイド先輩を見つめるが、彼はんー?なんてニヤニヤしながら生返事をするだけだ。
「じゃ、味見ね。ハイ、いただきまーす」
「ちょ、ちょっとま、ん、んんーーー!」
案の定。制止の声も虚しく、片割れと同じ鋭い歯を見せて軽やかに食事の宣言をしたフロイド先輩は、勢いよく俺の唇を塞ぐ。ぷちゅ、なんてかわいい音がしたが、唇には中々の衝撃が来た。ちょっと痛い。
フロイド先輩の唇も柔らかくて、俺よりも少しだけ冷たい。もしかして人魚はみんなそうなのだろうか。もっと別の機会に知りたかった…。
ジェイド先輩の時のようなディープなやつを想像して身を固くしていた俺だが、いつまで経ってもそんな気配はない。まるで子供のようなキスだ。キスというか、ちゅー、と言う方が表現としては正しいかもしれない。そういう経験が殆どない俺が言うのもアレだが、フロイド先輩のそれは、唇を押し付けるだけのお世辞にも上手とは言えない、正直に言えば拙いキスだった。が、それでも段々と苦しくなってきて、もう限界だとフロイド先輩の腕を何度も叩く。俺が酸欠で失神するまで続けられると思っていたのだが、意外にも先輩はパッと口を離したかと思えば、すっかりと熱くなり濡れた唇に親指で拭うように触れた。
「……ぁは、小エビちゃん、ちょー顔赤いじゃん。ホントに小エビみてー」
「はーーっ…は、」
それはフロイド先輩が俺を息ができないほど強く抱きしめながら口を塞ぐからである。さも可笑しそうに軽やかに笑うフロイド先輩に、俺はといえばまたしても空気を吸い込むのにいっぱいすぎて、先輩の言葉に何か一言返す余裕もない。今思えば口だけじゃなくて鼻でも呼吸できたのだと気づくが今更遅すぎるしどっちにしろ息はできなかったので何の解決にもならない。もうやだ、帰りたい。俺お菓子もらいに来ただけなのに。遠い目をする俺を気にすることもなく、フロイド先輩は俺の唇をほんとにやわらけーのな、なんて言いながら指でふにふにと遊んでいる。
「ちゅーしてる時思ったけど、マジで小エビちゃんの口熱いわ、火傷しそー」
「僕たちの体温が低いんですよ。ああでも、今は僕たちも熱くなっているかもしれませんね、ねえナマエさん」
「はあ………そうですかね………」
ジェイド先輩の揶揄を含んだ視線を向けられたが、それに気の抜けた返事を返す。やっぱり人魚は陸の人間よりも体温が低いらしい。ああ、きっと夏は涼しいんだろうな、なんて少し外れたことをぼんやり考えながら、この兄弟から逃れるにはどうすればいいかを考えていた。その1、ダメ元で頼んでみる。きっと無理だ。その2、取引を持ちかける。うん、あんまりというかやりたくない。その3、この双子が満足するまで相手をする。多分夜が明けるまで返してくれないだろう。だめだ全然思い浮かばない。ああもうチクショー、しょうがない片っ端から試していくしかない!
「あの、お楽しみのところ申し訳ないんですけど………俺、早くエーデュースのところに戻らなきゃ、」
まずは作戦その1、「ダメ元で頼んでみる」だ。これで戻らせてくれたら一番楽なのだが、可能性は一番低い。とは思いつつ、とりあえず口に出してみる。フロイド先輩、それからジェイド先輩に視線を遣って、申し訳なさそうな表情で、そして遠慮がちな声音で。するとジェイド先輩は俺を一瞥し、ああ、そうでしたね、と頷いた。マジか!まさか俺の願いが通じた?!多分違うだろうけど!
「フロイド、今日はこの辺でもうやめておきましょう」
「あの、ほんと俺、行かないと…遅いって怒られるし、もしかしたらエースたちに心配されてるかもなので、」
「えー?知らねーよそんなの。オレまだ小エビちゃんのことちょっとしか味わってねーし」
まあですよねー。そう返されると思ってましたよ!ジェイド先輩を説得できても、フロイド先輩を説得するのは至難の技だ。これは今夜オンボロ寮に帰るのは無理かもしれない、みんなごめん、と涙を呑みかけたが、ここで思わぬフォローの声が。
「…フロイド。僕が言うのも何ですが、お楽しみは少しずつの方が楽しめますよ」
まさかのまさかだ。何を思ったのかは知らないが、ジェイド先輩はフロイド先輩を説得しようとしてくれている!が、フロイド先輩ははあ?と思い切り眉間に皺を寄せる。いかん、ここで変に機嫌を損ねられたら帰れない所では済まされない。下手したら海の藻屑になってしまう、何か上手い手を考えなければと、フロイド先輩にホールドされたまま必死に頭を働かせる。
「ジェイドと違ってオレは少しずつとかちまちましたことやってらんねーの!オレは!今!小エビちゃんで楽しみたいワケ!」
「ふ、フロイド先輩」
「あ?」
「あの……今日我慢した方が次楽しむ時、もっと楽しめると思います!今日の楽しいを我慢すれば明日は今日の2倍、いや3倍、楽しいハズ、です……」
咄嗟に、なんとかその場しのぎにと言ってみたはいいものの、中々に説得力がない。
段々言葉が自信なさげに尻すぼみになっていく俺をジト目で俺を見つめるフロイド先輩。耐えれずに助けを求めようと視線をジェイド先輩の方にやるものの、彼は彼で笑みを浮かべて黙っているだけだ。なんなんだ、助け舟を出してくれたと思ったら放置したり!
「……ふーん。」
嫌な、嫌な沈黙が続くこと数秒。キスされていたときとはまた違う心臓のばくばくした鼓動の音が口から飛び出そうだ。ふーん、と、非常に不満げではあるが、フロイド先輩は俺を解放した。それから無言でまた数秒、相変わらずのジト目で俺を見つめ、
「明日の小エビちゃんに期待してるー。楽しませてくれなかったら絞めるかんね」
と一言残し、もうつまんねーから寝るー、と頭をがさがさ掻きながら部屋へと戻っていった。
た、助かった…。はあ、と今日一特大のため息が出そうになったが、それをぐ、と呑み込んだ。彼らの気が変わらないうちに早く寮を出てしまわなければ。
「あの、…そしたら俺、帰ります」
「ええ。それでは出口までお送りします」
そう言ってジェイド先輩はご丁寧に寮の出口までお見送りをしてくれた。ありがとうございました、おやすみなさいと心なしか早口で挨拶をして寮を出て行こうとする俺をお待ちください、とジェイド先輩が引き止める。
「約束通り、こちらをお持ちください。大事なものを忘れると怒られてしまいますよ」
「え、あ、ありがとうございます…」
「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。試食、たっぷりいただきましたから」
俺に試作品のデザートを入れた紙袋を渡しながらニッコリと笑うジェイド先輩に顔が引き攣る。その言い方…。嫌に含みのある言い方だ…。
「ではまた明日、お待ちしています。おやすみなさい、ナマエさん」
…………これ、俺から出向けってことだよね。
20200516