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リーチ兄弟に「試食」されてから一夜が明けた。

昨日の寮からの帰り道で、アレは何だったのかとか、どうしてだとか色々考えていたけど結局結論は出なかった。考えに考えすぎて、気付いたらオンボロ寮に戻ってきていたくらいだ。
案の定あまりにも戻りが遅かったのでエースたちには怒られたけれど、死んだ顔かつ無言でモストロ・ラウンジの紙袋を差し出せば、「お前大丈夫か?」と心から心配された。全く以て大丈夫ではない、例えるなら死期が1日伸びただけである。


「また明日、お待ちしています」。昨日の帰り際、ジェイド先輩の言葉を思い出してうう、と言葉にならない呻き声が出る。つまり、今日も俺はまたリーチ兄弟のもとに試食されに行かなければならないのだ。なぜかというと俺をホールドして離そうとしないフロイド先輩に「今帰らせてくれれば明日俺が2倍3倍楽しませます」(意訳)と提案したからなのだが。その場はそれで何とか収まったものの、結局一番やりたくなかった取引を持ちかけ、それが成立してしまったことにひたすら後悔をしている。ちくしょう。
が、起きてしまったことを悔いても仕方がない。これからどうするかを考えるのみだ。このままではまずいと俺の本能が告げている。かつてない貞操の危機だ。何とか上手く振る舞わなければ、童貞どころか処女すら散ってしまうかもしれない。正直な話、異世界で好きでもない人間、しかも男と…、なんてまっぴらごめんである。さすがに初めては好きな人としたい。
ということで、リーチ兄弟セクハラ対策としてまずは色々と整理をすることにした。昨夜の出来事について、努めて冷静に考えてみたのである。アレは一体何だったのか。どうしてあの二人は俺にあんなことをしたのか。その時は次から次へと突拍子もなく予想だにしないことが起こったので頭がこんがらがっていたけれど、一晩寝て思考をリセットしたことで分かってきたことがいくつかある。
まずは状況だが、ジェイド先輩の言葉を借りるのならば、あれはどう考えてもあの双子が性的な意味で俺を「試食」しようとしていたわけだ。二人にキスをかまされた上に、兄弟で交わされていた会話を考えれば経験のほとんどない俺でもよく分かる。フロイド先輩が「先を越されたのは気に食わないが、遅かれ早かれこうなっていた」とも言っていたので、つまり二人して俺を性的な意味で食べようと計画していたわけだ。まずその事実自体に頭が痛くなった。状況は把握できたが何故あんなことをしたのか理解ができない。
まあ、その肝心の何故かは本人たちに聞けば良いとして。状況を整理したところで問題へと思考を向ける。そう、問題は今日をいかに上手く切り抜けるか、だ。何たって俺はフロイド先輩を昨日の2倍から3倍は楽しませなければいけないのである。楽しませるってどうすんだよ俺。キス以上のことをしろってか。女の子ともしたことないのに。
うんうんと唸っていると、俺の机で何やらしていたグリムにうるせーゾ!と怒られてしまった。

「オイナマエ!さっきからため息ばっかりなんだゾ」
「ええ?そうかな…」
「そうだゾ!うるせーから勉強に集中できないんだゾ」
「え、勉強してたの?」

どう見てもノートに落書きしているようにしか見えないのだが。と思ったが、集中できねーから落書きしてたんだゾ!と怒られた。そりゃすまない。謝りつつグリムの頭を撫でれば、やめろーーー!と嫌がられた。その割にはいつもゴロゴロ喉鳴らしてるけどな、とは言わないであげておこう。

「なあ」
「ん?」
「……オマエ、昨日アイツらとなんかあったんじゃねーのか?」
「、なかったって言っただろ、試食に協力した代わりに試作品をもらっただけだよ」

一瞬どきりとして息を呑んだが、何でもないことのように装った。グリムの言うアイツらとはリーチ兄弟のことだ。昨日何があったのかは今俺がもう一度グリムに説明した通りで、昨夜エースたちへの事情説明にセクハラをかまされたことは一言も言及していない。彼らを巻き込むのもごめんだし、妙な心配も、憐みの視線も受けるのも嫌だからだ。これは俺自身の問題だから俺が一人で処理すべきだし、何とかしてみせる。

「平気だって、グリムが心配するようなことは何もないよ。でもありがとう、心配してくれて」

グリムの真ん丸の青い瞳が俺を見つめる。何だかんだで案じてくれるこの小さな相棒に笑みを漏らして、ふさふさの毛並みをゆっくりと撫でる。だからやめるんだゾ、とまた怒られたが、いつもより少しだけ長く撫でられていてくれた。
大丈夫、きっと何とかなる。自分にできることをするしかないのだ。ならばやることは一つ、ちょっと勉強してくるとグリムにそう告げて席を立った。



いつものように夕ご飯をエースたちと食べ、他愛のない話をして。その時に面白いお菓子を手に入れたから遊ぼうぜなんてエースに誘われたけど、宿題をやるからと断った。監督生は真面目だなあとため息混じりに返されたが、それをデュースが俺たちも宿題やらないと、一日じゃ終わらないぞ、と嗜めて。それから始まるいつもの会話の応酬に若干引きつった笑みで返した。俺だって宿題しないとヤバいのだがそれどころではない。宿題以上にリーチ兄弟に貞操を脅かされていることがヤバいのだ。まあ、そんなこととは口が裂けても言えないのだが。

そうして時間はあっという間に過ぎていく。エースたちにじゃあなと手を振ってグリムと二人、寮へと戻って。それからは準備の時間だ。もしかしたらということもあるかもといつもよりも入念に体を洗って、入念に歯を磨いた。その時点で変に心臓の動悸がヤバかったのだが、夜が更けていくにつれてそれがますますひどくなっていった。
そして時計の短針がてっぺんに近付いた頃。グリムのすぴーひょろろという可愛らしい寝息を確認し、しっかりと眠ったところを見計らって静かに寮を出る。昨日よりもかなり遅い時間だが、バレないようにするには致し方ない。
早くオクタヴィネル寮に着いて欲しいと早足で歩く。試験前のドキドキのような妙な緊張からいち早く解放されたかった。思わず変なことを考えそうになってああ、と言葉にならない声を出す。始まってしまえばあとは必死になるだけ、だから今は余計なことを考えるのをやめよう、ますます緊張するだけだ。平常心平常心、そう心の中で呟きながら、その足はやっと鏡舎へと辿り着く。流石に時間が遅いからか、土曜の夜とはいえ生徒の姿もほとんどない。石でできた建物の中はひんやりとして外とはまた違う涼しさだ。天井の窓から差す柔らかで冷えた月の明かりで影ができ、こつ、ローファーの音が反響して消えていく。オクタヴィネル寮へと続く扉を潜る前に、とはあーーーー、大きく息を吸って吐き出して。よし、と自分を励ますように呟いて、鏡の中へと足を踏み出した。