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「おっっっせーよ小エビちゃん。オレめちゃくちゃ待ったんだけど」
「すみません、色々と準備に手間取ってまして」
案の定談話室に座って待っていたフロイド先輩はご機嫌ナナメだった。
準備に手間取ったのもあるけれど、こんなに遅くなってしまったのはグリムが中々寝てくれなかったからなのだが、遅れたのは変わらないので謝罪とともに頭を下げる。昨日と同じラフなジャージ姿の先輩は待ちくたびれたっつーの、と立ち上がる。どうやら待つのに耐えかねて今にも迎えに行こうとしていたらしい。先輩の迎えに行くは俺にとってカチコミと同義なので、迎えに来られなくて良かった…と心から安堵した。
「ほら、行くよ」
「え、あ、っうわ」
短くそれだけ言って、俺の手首を掴みフロイド先輩は歩き始める。そのペースはいつもよりも早くて、足のコンパスが違いすぎるおかげで俺は小走りだ。談話室を抜け、長い廊下を進んでいく。寮の、所謂生活スペースに入るのはこれが初めてだった。こんな時でなければあちこちを見回して寮の内装をもっと楽しみたかったのだが、生憎とそんな余裕はない。先輩にバレないよう、早鐘を打つ心臓を誤魔化そうと小さく息を吐く。俺の手首を引いてずんずん進んでいく先輩は言葉少なだった。「行くよ」と言っただけであとは何も喋らない。俺よりも高い位置にある先輩の短い頸を見上げる。表情は窺えないけれど、先輩ももしかしたら緊張してたりして。そんなわけないか、俺じゃあるまいし。
でも、なんだかんだで期待して、楽しみにしていたのは間違いないだろう。普段の先輩なら「めちゃくちゃ待つ」前に待ちくたびれてもういいやーなんて待つのをやめそうだし。律儀に俺のことを談話室で待っているフロイド先輩を想像して、それはちょっとかわいいかもしれない、なんて思ってしまった。
「ここは、」
「見りゃ分かるでしょ、オレとジェイドの部屋」
しばらく歩いて、そうして通されたのは先輩の自室だった。てっきりジェイド先輩もいるのかと思っていたが、ベッドが二つある部屋は空っぽで、床に放置されたフロイド先輩のであろう服が所々散らばっている。うーん、どっちが誰のベッドか丸わかりの部屋である。
「ジェイド先輩はいないんですか?」
「知らね。ジェイドのことはいーでしょ、今はオレしかいねーんだから」
そんなことを言いながらフロイド先輩は俺をベッドの前まで連れてくる。ベッドの上に勢いよく座り、胡座をかいたフロイド先輩は、その場に立ち尽くしている俺を見て、にい、とそのギザギザの歯を見せて笑った。
「楽しませてよ、小エビちゃん」
○
上手く切り抜ける対策を考えに考え、思い浮かんだものはたった一つだった。文明の利器に頼ることである。文明の利器とはつまり、学園長から支給された虎の子、スマートフォンだ。要はありとあらゆる性行為の知識を頭に詰め込み、見たくもないゲイビデオを見まくって(途中何が悲しくてゲイセックスの方法を調べてるんだと悲しくなったが、これも自分の未来を守るためだと納得させた)、そして必死にイメトレをしたのである。何しろまだ童貞なので、イメトレとオナニーに関しては誰にも負けない自信がある。自分のイメトレ力とオナニーの技術に賭けたのだ。
勿論、対策だけでなく戦法もしっかりと考えた。すなわち先手必勝だ。自分よりも強い相手には虚を衝いて一瞬でも優位に立ち、何とかそれを維持するしかない。昨日は完全に不意打ちを喰らったので太刀打ちできなかったが、今回はそうさせるわけにはいかない。そう意気込みつつも、心臓はこれまでにないくらいに早鐘を打っていた。本当にあのフロイド先輩相手にいけるのか、なんて今になって弱気な心が頭を覗かせるが、それを無理矢理押し込める。ポジティブなことを考えろ、俺。今日の相手がフロイド先輩だけ、というのは幸運だ。これでどちらも相手にするというのであれば昨日のようにテンパっていたはず。相手がフロイド先輩だけなら、目の前の相手だけに意識を集中させればいい。よし、と自分を奮い立たせて、俺は緊張で固くなっていた身体を動かす。
緩慢な動作で片膝をベッドに乗せると、二人分の重さにきし、と僅かに音を立てた。そのままベッドに乗り上げて膝立ちのまま先輩を見下ろす。胡坐をかいて手を後ろに付いているフロイド先輩は、軽く笑みを浮かべながらも黙って俺を見上げていた。ばちり、感情の読めない金と灰の瞳と目が合う。普段は俺の方が先輩を見上げているので、この構図は何だか新鮮だった。
「………」
そっと。顔を寄せて、薄い唇に自分から口付ける。先輩の唇は昨日と同じで少しひんやりとしていた。
あんなにドキドキしていたし、何なら今も絶賛心臓が壊れそうなくらいビートを刻んでいるし身体もめちゃくちゃ熱いしめちゃくちゃに緊張しているのだが、いざやってみると頭の片隅には妙に冷静な自分がいて、次々に的確な指示を出していく。それをどこか他人事のように感謝した。
昨夜の、ジェイド先輩にされたキスを思い出す。唇を舐めたり、柔らかく食まれたり、吸われたりと、ディープじゃないキスにも色々なバリエーションがあるとその身で思い知らされた。されていた時に腰や背中がいやにゾワゾワしたのは、それが気持ち良かったということだろう。とても不本意ではあるけれども。
だから、ネットで得た知識を参考にしつつジェイド先輩のキスを真似することにした。最初はこうだったとか、次はこうだったとか、頭の中で必死に順序立てて実行に移していく。それをひたすら何度も繰り返して少し慣れてきたかも、と思い始めたところで、フロイド先輩のことを全く気にしていなかったことに気づいた。いくら真似ができていたって先輩が楽しく?気持ちよく?なっていなければ何の意味もないじゃないか。ちゅ、と最後に触れるだけのキスをして唇を離し、先輩の様子を窺い見る。
内心焦ったが、結果的に俺の作戦は上手くいったようだ。フロイド先輩は顔を蕩けさせて、色の違う瞳はぼう、と俺を見つめていた。どうやらキスをしているうちに勝手に先輩の頬に手を添えてしまっていたらしい、すみません、と謝って手を引っ込める。
「先輩、大丈夫ですか?」
「ん、きもちい……」
「…そうですか。それは、良かったです」
良かった。本っっ当に良かった。心からの本音が出た。思わずガッツポーズをしそうだったがそれは我慢して、努めて平静を装う。とりあえず満足してもらっているようで安心した。けれど次は先輩の様子も気にしながらやらないと、これでは俺がフロイド先輩で練習しているみたいだ。
それにしても、と少し疑問に思う。昨日のあの力の強いキスもそうだったが、先輩はまるでキスに慣れていないようだった。だってジェイド先輩にキスかまされた時の俺みたいな反応をしているし。
「先輩、キスしたことなかったんですか?」
「何言ってんの?したことねーから今小エビちゃんと遊んでんじゃん」
「………」
気になって聞いてみれば、あっけらかんとした口調でそんな返事が返ってきた。したことねーから俺と遊ぶの理屈はよく分からないのだが、これはつまり……俺はフロイド先輩のファーストキスをもらったってことになるのでは………。
「小エビちゃん、もう一回しよー」
「え、んっ」
まさかフロイド先輩のファーストキスをもらうことになるなんて思ってもいなかった。ちょっと嬉しいとか思っている俺は何なんだ?と動揺する俺を気にすることもなく、今度はフロイド先輩の方から口を塞がれる。ありがたいこと(なのか分からないが)に気に入ってくれたらしい。口をくっ付ける勢いはまだまだ強いけれど、この前よりも少しだけ優しかった。
「ん、」
俺のやり方を学んだのか、先輩から角度を変えてのキスを繰り返される。ちゅ、ちゅ、とお互いの間で響くキスの音がひたすらに恥ずかしいが、ここで立場を逆転されてはいけない。今この状況においては俺が優位であり続けなければ。だから俺は次の行動へと移った。
「先輩、口、開けてください」
「、んー、ぁ」
お互いの鼻がくっつきそうな程の近い距離でそうお願いすれば、先輩は素直に口を大きく開けてくれた。少し可愛いとこもあるもんだな、そう思ったからか、そんなに大きく開けなくていいですよと言う声に笑みが混じる。
ぺろりとすっかり熱を持った唇を舐めて、だいぶ小さくなった口にそっと舌を挿し入れてみる。う、自分がする側になると緊張する…。びっくりさせてその尖った歯で舌を噛みちぎられないかとちょっと不安になったがそれは杞憂に終わった。フロイド先輩の身体はぴくりと動いたけれど、口はそっと開けられたままだ。宙ぶらりんになっていた手を、今度は意識的にフロイド先輩の頬にそっと寄せる。なぞるように柔らかな肌を撫でて、その掌を移動させていく。頬から首筋へ、首筋から耳たぶへ。ああ、右耳のピアスの金属がやけに冷たく感じる。
「あ、んぅ、っン」
「ん、…」
先輩の歯の形を確かめるようになぞってみる。ジェイド先輩の時に痛感したが、舌で触ってみると本当に鋭い。改めて人間との違いを実感する。
歯列をなぞり上顎を舐め、先輩の舌に触れようと舌を伸ばす。触れた瞬間にまたフロイド先輩が小さく震えたけれど、やがておずおずと舌を差し出してきた。擦ったり、吸ったり、舐めたり、どんなことが気持ちいいだろうか。そう思いながら舌を絡ませ合う。それに夢中になっていると、半ば膝立ちをしていたのが腰に巻き付いた手に引き寄せられ、フロイド先輩の上に座らせられた。余計に密着した身体が熱い。ん、ん、とくぐもった声がやけに甘く聞こえる。ああ、なんか頭がふわふわしてきた。内側から溶けていきそうだ。
「は、ぁ、…っホント、器用だねえ、小エビちゃん」
「そうですかね…」
はぁ、熱の篭った吐息が離れた口から漏れる。必死だった。舌を絡めてるところなんて外から見たらどうなってるのかなんて分からないし、ネットで調べてもイマイチ想像がしづらかったので、ジェイド先輩の実地訓練を受けてて良かった。…このタイミングでジェイド先輩のセクハラをありがたむなんて思わなかったが。お陰様でフロイド先輩はご満悦のようで、ちゅーすんのたのしい、なんて力の抜けた顔でへにゃりと笑った。
……キスもロクにしたことなくて、全部初めてですみたいなこの反応を見て思う。もしかしたら、いやもしかしなくてもフロイド先輩って童貞なのでは。つまり俺と同じってこと?かなり意外だ。なんか遊んでそうだったし。
ならば、とそこから導き出される推察に頭が働き出す。健全な男子高校生たるもの、エッチなことに興味があるのは当たり前だ。けれどここにはエッチなことをする相手がいない。何故ならここは男子校、女子がいないのだ。だから……百歩譲って男だが、魔法も使えず、自分よりも身体が小さくて抵抗のできない小エビな俺を程のいい練習台、いや実験台にしようとしている?異世界から来た俺ならいつかは元の世界に帰るのだから、後腐れなんてできないだろうし。貞操観念を疑うが、それならなんとなく合点がいってしまう。本当はいきたくないのだが。
「………ん?」
悶々と色々考えていたところで、何かおかしいと違和感に下に視線を遣る。するとやはりだ。下腹部に何か硬いものが当たっている。まさか、もしかしなくてもこれは。けれど先輩は気付いているのかいないのか、舌攣るかと思ったぁ、なんて上機嫌にからから笑っている。
「フロイド先輩、あの」
「んー?」
「……下、弄ったことあります…?」
「は?下ぁ?」
けれど先輩って童貞ですか?とどストレートに聞く勇気はなく、ちょっとオブラートに包んで聞いてみたのだが、それに何言ってんだお前という顔をされた。いや、俺からしたらこっちが何言ってんだなのだが。
「先輩の、勃ってます」
「ん、…あ、マジだ」
先輩は自身の下半身をマジマジと見つめ、マジで勃つんだあなんて感心した口調で呟いた。何故そんな他人事なのか。あまりにも淡白な反応だったので、これはマジで童貞かも、と確信がより強まった。それどころか…、まさかとは思いつつ盛り上がったそこを指差しながら恐る恐る聞いてみる。
「……コレ、抜いたことあります?」
「あるよ。ナメてんの?」
「ナメてないです」
流石に抜いたことはあるらしい、怒られてしまった。すみませんと素直に謝れば、先輩は小エビちゃんオレを何だと思ってんの、と顔を顰めながらも言葉を続ける。
「知識としては勿論知ってるに決まってんじゃん。自分の身体に4年間足生やして生活するワケだし?ただそーいうのに興味なかっただけ。朝勃ちとかするのもしょっちゅーだけど、処理すんのめんどいからあんまやんないんだよね。放置したら治るじゃん?」
「…………」
嘘だろ。この人シコるのをめんどいって言った?この思春期真っ盛りの年頃でオナニーの味を知らないとか、そんなやついるのか?信じられん。人生勿体なさすぎる。ていうかならなんでこんなことを俺として勃たせてるんだって話だ。
「じゃあ、何で今俺とこんなことしてるんです?そーいうのに興味ないんじゃないんですか」
「まあねー。興味なかったけど、この前ジェイドが陸の人間のセックスは気持ちいいらしいですよ、とか言うからさあ。興味出てきちゃった♡」
「はあ」
「小エビちゃんおもろいし、遊ぶついでにきもちいことできたら一石二鳥?ってやつでしょ。チョウドイイじゃん」
「はあ…そうですか…」
どうやら、俺がさっき予想していたことは何となく当たっていたらしい。だからそれにあまり驚きを抱くことはなかったのだが、…なるほど、そういうわけか。全ての元凶はジェイド先輩か。なんてことをしてくれたんだ。このお返しは何倍にして返してやろうか。と復讐を一瞬考えたところで、いや、その前にそのお返しを数倍にして返されると気付いてやめた。キリがないしすごく悔しいが絶対に勝てない気がする。
「で、小エビちゃん、オレのこと昨日の3倍は楽しませてくれるんでしょ?」
「えぁ?」
「はぁ?もう忘れたワケ?脳みそエビより小さいんじゃねーの」
「いや、覚えてますよ!ちょっと考え事してただけで…。ていうか、3倍じゃなくて2から3倍ですからね」
「ほぼ同じじゃんー」
「2倍と3倍は全然違いますってば。まあでも、言ったからにはその、頑張ります」
とりあえず、フロイド先輩がオナニーの気持ちよさを知らないのはとてもかわいそうなので──、同じ男のよしみとして教えてあげるしかないと変な親切心が湧いてきた。
もうこの際フロイド先輩の「楽しませる」は「気持ちよくさせる」と同義と考えることにする。オナるのは絶対に気持ちいいから先輩も満足してくれるだろう。それに、こちとら十数年股の下にブツをぶらさげている大ベテランなのである。足を生やして1年かそこらのバブちゃんに先手を取られては俺の沽券に関わってしまう。
フロイド先輩の言葉を訂正しつつ、期待してると笑うその口にもう一度唇を寄せた。