泣き虫の雨傘

空腹の正体

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 ひたすら黒鋼をからかっていたファイが、おもむろに矛先を変える。

 土気色の顔でさくらを見つめる小狼は、今にも死に引きずり込まれそうなのに。そのぐらいさくらの周りに暗い空気がへばりついているのに。このままなら明日すら迎えられないかもしれないのに。

 そんな中、ただ一人ものともせずに、小狼の深緑色の外套に手を突っ込んだファイは生き生きとしていた。

 うわっと、小狼がうわずった声を上げる。
 背中と外套の間をもぞもぞとあさくられている小狼に、名無と黒鋼は並んで呆気に取られていた。

「なにしてんだ、てめぇ」
「――これ、記憶のカケラだねぇ、その子の」

 ふわりと揺れる白い羽根は、先端から徐々に広がり三角形のような形をしていた。
 桜色の線でハートに似た模様が描かれ、蛍火のように淡く発光している。

「君にひっかかってたんだよ、ひとつだけ」
「あの時、飛び散った羽根だ。――これがさくらの記憶のカケラ」

 ファイの手から浮かび上がった羽根が、引き寄せられるように彼女の胸へと溶け込んでいく。
 顔色がほのかに赤みを帯び、
「体が、暖かくなった……」と、小狼がほっと胸を撫で下ろした。


「今の羽根がなかったらちょっと危なかったねー」
「おれの服に偶然ひっかかったから――」

「“この世に偶然なんてない”」
 妙に頭に残る声だった。

「って、あの魔女さんがいってたでしょー。だからね、この羽根も君がきっと無意識に捕まえたんだよ。その子を助けるために」
 しんと静まり返った空気に耐えかねたのか、霧散させるようにファイは軽い声で続けた。「なんてねー。よくわかんないんだけどねー」

 ――私がこの場所にいることも、この人たちだったことも偶然じゃないとしたら。目の前にいるのがファイであることも、そんな彼に目を奪われるのも偶然じゃないんだろうか。
 と、もたげた考えを名無は、頭を振って振り払った。

 あまりにも見慣れない容姿に思考を持っていかれそうになる。

「けど、これからはどうやって探そうかねー。羽根、もう服にはくっついてないみたいだしねぇ」
「モコナ分かる!」
 ファイの腕を登頂しきったモコナが高々と小さな手を挙げる。

「今の羽根すごく強い波動を出してる。だから近くなったら分かる。波動をキャッチしたら、モコナこんな感じに――なる」

 “めきょ”と、糸目を見開いたモコナに、右側から短い悲鳴が上がった。
 壁に手をつき、もう片方は胸に当てている。心拍穏やかでないらしい黒鋼を覗きこもうとして、勢いよく振り返られ、拍子に手の甲で顔をはたかれた。

「なん、だ?」
 混乱しているのか剣のとれた表情の彼に、いくばくか胸を撫で下ろした。

「ぬいぐるみが怖いのですか?」
 モコナは見た目は完全にぬいぐるみだ。
 ぬいぐるみがしゃべると怖いと思うのは変じゃない。ただ、モコナの口から出る声音は、フォルムに相応しいかわいらしい声で、恐怖など微塵も感じさせない。
 感情を否定するようで多少憚られるものの、言ってしまえば単なるおもちゃにしか見えないのだ。

 頬をさするのをじっと見つめている黒鋼の口から、謝罪の言葉は出てこなかった。
「ぬいぐるみ? なんの話だ?」
「アレですよ。白くまるっこいのがいるじゃないですか」
「あ? まんじゅうの話かよ」
「お腹でも空いてるんですか?」

 とんちんかんな答えに顔を傾げれば、黒鋼が食い入るように見つめてくる。
 食べられるんではないかと思うほど見つめられ、たじろぎ気味にポケットを探る。
 入ってないことはわかっていた。パフォーマンスである。
 名無は順当に、困ったような顔をした。
「食べ物は持ってないですよ」

「腹なんか空いちゃいねーよ」
 ぐっと、眉間に皺を寄せた黒鋼の手が頭に伸びてきて咄嗟に身を引く。
 罰が悪そうな顔で舌打ちする黒鋼に、なんとなく元の位置に戻った。

「なにがしてぇんだ、てめぇは」
 どすっと、頭に落ちてきた無骨な手に目をしばたたく。
 音とは裏腹に全然痛くなかった。


「教えてもらえるかな、あの羽根が近くにあった時」
「まかしとけ!」
 どんっと、胸を叩くモコナに礼を言う小狼の顔がほころんでいた。

「お前らが羽根を探そうが探すまいが勝手だがな」
 遠のいていく黒鋼の手を見送って壁に寄りかかる。
「俺にゃあ関係ねぇぞ。俺は自分がいた世界に帰る。それだけが目的だ。お前たちの事情に首をつっこむつもりも、手伝うつもりも全くねぇ」

「はい。これはおれの問題だから、迷惑かけないように気をつけます」

 ――そんなに笑う?

「真面目なんだねぇ、小狼くんー」
 盛大に笑った後で言うファイに、黒鋼がふてくされたように舌打ちした。

「そっちはどうなんだ」
「んん?」
「そのガキ手伝ってやるってか?」

「んー、そうだねぇ。とりあえずオレは元いた世界に戻らないことが、一番大事なことだからなぁ。ま、命に関わらない程度のことならやるよー。他にやることもないし」
 模範解答のような答えだと思った。

 ――私はどうしようか

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