泣き虫の雨傘

不可解な力

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「そこ、寝るなー!」
 突然の空汰の怒鳴り声に、居眠りしていたらしい黒鋼が飛び起き、つられて名無の肩も飛び跳ねた。心臓がばくばくとうるさい。
 少女を庇う小狼の前で、立ち上がったファイは背後の壁を睨んでいた。

「なんの気配もなかったぞ!」と、動揺した黒鋼が室内を睨むように見渡す。「てめぇなんか投げやがったのか!?」
 後頭部を押さえて空汰に食ってかかる黒鋼に、ファイが冷静に指摘した。

「投げたんならあの角度からは当たらないでしょー。真上から衝撃があったみたいだし?」
「びっくりして自分で頭打っただけだったりして」
 ぽそっとつぶやいた名無に黒鋼が殴りかからんばかりの勢いで詰め寄る。

 ――え、そんなに怒らなくても
 白旗だと、両手を上げてぶんぶん首を振ったところで、空汰の声が黒鋼を抑止した。

「何って、“くだん”使たに決まってるやろ」
「クダン?」
 奇妙なイントネーションのどこか言い慣れない、たどたどしい響きをもった声が複数重なった。

「知らんのか!? そっかー、おまえさんら異世界から来たから分からんねんなー。この世界のもんにはな必ず巧断が憑くんや。漢字はこう書く」
 後ろ手にあるホワイトボードに横書きされた“巧断”の文字。

「あー、なるほど」
 黒鋼が頷くと、あっけらかんとした様子でファイが笑った。
「全然、わからないー」
「モコナ読めるー!」
「すごいねぇ、モコナは」

「小狼は?」と、モコナが頭を撫でていたファイの手から離れる。
「うん。なんとか。えっと――」
「なんとなくは」と、名無はモコナを持ち上げて答えた。

「黒鋼と小狼と嬢ちゃんの世界は漢字圏やったんかな。んでファイは違うと。けど聞いたり、しゃべったり、言葉は通じるから不思議やな」
 空汰が一人頷きながら、パペットの口に挟んでいたペンに蓋をする。

 名無は箱の代わりにモコナの頬を押したりつついたりと弄んでいた。
 ――他の人から見ても不思議なら、本来ならファイと言葉が通じないってことなんだろうか。違うはずなのに、ますます似通って見えてきてしまう。


「で、巧断ってのはどういう代物なんだ? “憑く”っつったよな、さっき」
 黒鋼が悪人面で先をせかすと、鈴を転がすような声が部屋に響いた。
「例え、異世界の者だとしても、この世界に来たのならば必ず巧断は憑きます」

「サクラさんとお呼びしてもよろしいですか?」と、桜の枕元に膝をついた嵐が小狼に断りをいれ、話を続ける。「サクラさんの記憶のカケラが何処にあるのか分かりませんが、もし誰かの手に渡っているとしたら――争いになるかもしれません。今、貴方たちは戦う力を失っていますね」

「どうしてそうだと?」と、ファイが笑みを浮かべたまま、探るような目で問いかける。
「うちの嵐は元、巫女さんやからな。霊力っつうんが備わってる。ま、今はわいと結婚したから引退したけどな。巫女さん姿はそりゃ神々しかったでー」

「実は――次元の魔女さんに魔力の元を渡しちゃいましてー」とファイが、
「俺の刀をあのアマ――」と黒鋼が思い返して腹立たしげに歯噛みしていた。

「おれが、あの人に渡したものは力じゃありません。魔力や武器は最初からおれにはないから」
「やっぱり貴方は幸運なのかもしれませんね」

 ――魔力に刀に、霊力に巧断。そして、呪われた箱に、次元の魔女。どうも本当に不可解なことに遭遇しているらしい。


「この世界には巧断がいる。もし争いになっても巧断がその手立てになる」
「巧断って戦うためのものなんですか?」
「何に使うか、どう使うかはそいつ次第や。百聞は一見にしかず。巧断がどんなもんなんかは自分の目で、身で、確かめたらええ」
 不敵にどこか誇らしげに空汰が笑った。


「さて、この国のだいたいの説明は終わったな」
「あれでかよ」と黒鋼が一人ごちる。

「で、どうや。この世界にサクラちゃんの羽根はありそうか」
 腰を曲げた空汰にモコナが目を閉じた。
「ある。まだずっと遠いけど、この国にある」

「探すか、羽根を」
「はい」と、小狼が深く頷いた。
「兄ちゃんらも同じ意見か?」
「とりあえず――」
 ゆるんだ笑顔でファイが同意し、黒鋼は仏頂面でモコナを見下ろした。

「移動したいって言や、するのかよ。その白いのは」
「しない。モコナ、羽根が見つかるまでここにいる」

 ――うーん、取り残されてる?
 立ち上がり、むくれている黒鋼を見上げれば、身長差から自然と上目遣いになった。

「強要しないんですね」
「あ?」
 心外と言うよりは、奇異なものを見る目だった。
 多少見慣れているとはいえ、まだ傷つく心を持ち合わせていたらしい。

「しねぇよ。めんどくせぇ」
「見た目にそぐわず事なかれ主義なんですね」
「てめぇは見た目にそぐわず物騒だな」
「それは、おしとやかに見えるということですか?」

 無言の断固たる否定とはこのことだろうか。渋面を貼りつけたような顔が、しばらく名無を見下ろしていた。

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