赤い木の実
「――つうわけで」
空汰の声に名無は我に返った。
「部屋ん中でじっとしとってもしゃあない。サクラちゃんの記憶の羽根を早よ探すためにも、この辺散策してみいや」
今朝の夢を引きずっていたらしい。
酷く古い過去の記憶を夢見ていた気がする。それもとても刻銘に思い出していたような気がするのに、目覚めてしまった今はどこかご都合主義で、薄ぼんやりとしている。
下宿屋の前に集まった面々は、いたってシンプルな“普通”の恰好だった。
「おっと! わいはそろそろ出かける時間や。歩いてみたら昨日言うとった巧断が何かも分かるはずやで」
「サクラさんは私が側にいますから」
自室の窓を見つめていた小狼は、後ろ髪を引かれながらも嵐へと視線を戻していた。
側にいないと小狼自身が不安で気が気じゃないのかもしれない。
「その白いのも連れていくのかよ」
怪訝な眼差しの黒鋼にモコナが飛びかかる。
「白いのじゃないー。モコナー!」
「来んなっ!」
「モコナ連れてかな羽根が近くにあっても分からんからな。大丈夫、だーれもモコナをとがめたりはせん。つうかこの世界ではありがちな光景やさかい。
うし! んじゃこれ! お昼御飯代入ってるさかい、三人で仲良う食べや。ま、朝食べたわいのハニーのメシほどうまいもんはないけどなー」
小狼へと手渡された蛙型の財布に、隣にいた黒鋼が拗ねたように口を尖らせる。
「なんでそのガキに渡すんだよ」
「一番しっかりしてそうやから!」と空汰は立てた親指を突き出すと、満面の笑みを浮かべていた。
「どういう意味だよ!」
「まぁ、わからなくはないですね」と、名無は軽く頷いた。
「少なくとも、てめぇよりはマシだ」
――道中、モコナの独断で購入した林檎を手にしたまま歩き出す。その店の通りの先に大きな橋が架かっているのが見えた。半分ほど渡ったところで端の方に避けると一息つく。
シャク、とみずみずしい音が三つ。
「おいしいねー、リンゴ。けど、ほんとに全然違う文化圏から来たんだねぇ、オレたち」
ファイは橋の欄干に肘をつくと、しみじみと口にした。
手のひらサイズの丸みを帯びた形状に、天辺の窪みから生えた短い枝。真っ赤に熟れた艶やかな林檎は甘い香りを漂わせる。
小狼の世界での林檎はもっと黄色であり、黒鋼の世界ではそれを梨と言うらしい。これには名無も黒鋼に同意した。
小狼の世界の梨は赤くヘタがあり、そうなるとファイの世界ではラキの実になるらしい。
加えて、名無以外の三人ともビルやタワーや量販店といった建造物を見たことがないようだった。
結果的に、黒鋼と名無の世界が一番似通っていると言うことで落ち着いた。
「そう言えばまだ聞いてなかったね。小狼君はどうやってあの次元の魔女のところへ来たのかなー。魔力とかないって言ってたよねー」
「おれがいた国の神官様に送って頂いたんです」
小狼の頭上にいるモコナが、体が口になるぐらい大口を開け林檎を一息で吸い込む。
元通りぽよっとしたわき腹をつまんでみる。と、呼ばれたと勘違いしたのかモコナが軽快に飛び跳ね名無の頭の上に着地した。
「すごいねー、その神官さん。一人でも大変なのに二人も異世界へ同時に送るなんて。黒りんはー?」
「だからそれヤメろ!」
顔を引きつらせた黒鋼が、歯痒そうに吐き捨てる。
「うちの国の姫に飛ばされたんだよ! 無理矢理」
「悪いことして叱られたんだー?」
「しかられんぼだー」
頭上ではしゃぐモコナに名無はくすくすと笑った。
「うるせーっての!」
例にもれず名無を威喝した黒鋼が厳しい目つきでファイを見つめる。
「てめぇこそどうなんだよ!」
それは言えていると、モコナを落とさないよう目線を上げた名無は、なぜだが目線を下げていたファイと目が合った。
「そうだねー。オレも気になるなー」
目が合ったまま静止した名無に、ファイがこともなげに続ける。
「気を失ってたから、不本意で来ちゃったのかなーって」
おそらく下宿屋で目覚める前にいた場所のことを言ってるんだろう。
確かに行った覚えはないし、どういう経緯でそこに行くことになったのかも記憶してない。
「どうやってそこへ行ったかは覚えてませんが、それ以前に次元の魔女に願ったのは確かですよ」
「んー? 元の世界から次元の魔女と繋がってたってことー?」
「そうなりますね」
「そっちの方がすごいと思うんだけど――名無ちゃんが自分でやってたの?」
「いえ、これです」と首からかけている箱を持ち上げて見せた。「故人に押しつけられたもので、これに次元の魔女が映って願いを聞かれました」
「特に魔力のようなものは感じないかなぁ」
「そう言うのとは縁遠い世界でしたし無理もないのでは?」
「あなたはどうなのですか?」と腑に落ちない様子のファイに問いかけると同時に、モコナが黒鋼の肩に飛び移った。