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赫い糸
男の意図、蜘蛛の行方
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アパートのドアを押し切って、一気に三階まで駆け上がると、ニルは息を整えさえせず、けたたましくドアを叩いた。
しかし、なんど叩いても開きはしなかった。
間も無くして、空洞感のある軽い音はピタンと止まり、ニルは怪訝な顔をして、下を見やった。
(まさか、居留守でもしてるのだろうか……?)
出かけている、ということは考えづらかった。何しろ、ここから出て塔のあの時計を見たとには、まだ5時ぐらいだったのだ。あの一瞬見たアパートの時計は、4と9を指していた。今の時間は確認していないが、間違えなく30分も経っていない。
人それぞれに、様々な行動パターンがあるにしろ、このたった数十分ほどで外出をするなんてあるだろうか。いや、無いとは言い切れない。

暫くドアの前で待ちぼうけて、それから幾度かノックするも、やはり男は出てこない。それどころか、あまりにも静寂すぎて気配すらも感じなかった。こうも騒音を出していれば、住民の1人や2人、顔を覗かせる気がしていた。

先程の勢いも去り、すっかり疲れていた。ニルの気分が沈み込む頃、陽も落ちて、もう既に外は暗い。
ニルは冷たい汗を両掌に握ったまま、無動とするドアに寄りかかって考えた。
そしてニルは、ある行動を取ろうとした。
(不法侵入がどうしたものか、男は窃盗犯だ。文句は言えまい。)
放浪していたはずのニルには、もはや寸暇も余裕がなかった。まるで追われているのだ、少しでも寸暇を持とうものなら、すぐに死神に足を取られる。
空腹は心を貧しくさせると言うが、そうではないのだろう。
ニルと等しき状況で、生命の危機を感じれば誰もが躊躇のなき死神を思い浮かべ、おのずとじれったさや、焦燥を齎すのは目に見える。
ニルはとうとうドアノブに手をかけた。そして、こくりと喉を鳴らすと同時に、ゆっくりと引いた。

だが開いたとき、男はいなかった。

(そんな……やっぱりいなかったんだ)
ニルは愕然とした。一方で、男の行動が不可解なもので、疑念が湧き上がっていた。
目を転じてみるも、ワンルームのこの部屋に、隠れる場所などなかった。
しかし、まだ決めつけるには早い。
トイレや風呂場に隠れているかもしれない。

ニルは部屋に入り込んで、トイレを開け、風呂場を見た。
しかし、姿は見当たらなかった。
テーブルの上には、小さな水溜りがまだ残っている。
先ほどまでコートが置かれていた場所だが、ぽかんと消えている。
(あの上着をしっかり持っていったんだ)

まずニルは、そのことに違和感を感じた。あのずっしりと水を吸収した衣服が乾くものか。それに、乾燥機もない、風を送り出すようなものは一切ないのだから。
そんな服を持っていっても、当然、邪魔になるはずなのに、どうして置いていかなかったのだろう。
寂れた部屋で向かい合うソファー、レットル、ずさんに積み上げられた本。ここは、確かに男の部屋に相違ない。ならば、戻ってくるまで待つだけのことだ。
ニルはソファー横に積み上げられた本に手を伸ばし、男の帰りを待ちわびた。

それからしばらく、ニルは男の部屋で黙々と待ち続けた。
1……2……3……時計の針は、間もなく12時に差し掛かるところだった。
一体、男はいつまで出かけているのだろう。
気がつけば夜は更け、気が遠のけばニルは眠りについていたのだった。


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