The infinite world



初夏の花屋と彼の話


「俺、花屋さんに行くのはじめて」

 ここ数日で既に何度目かになる七竃の宣言に、そうね、とれんは頷き返す。数歩先を歩く七竃の歩調は跳ねるかのようで、これから訪れる花屋をよほど楽しみにしているらしい。

 きっかけは、れんが花屋で購入した八重桜。買ったはいいが、自分の手元に置いておく気にはなれなくて、アパートへ帰ってからも飽きずに眺めていた七竈へと譲り渡した。空木に花瓶を借りたり、手入れの方法を調べたりと、甲斐甲斐しく世話をしているのを見ていたこともあり、花屋に行きたいと言い出したことには驚かなかった。
 予想すらしていた発言ではあったが、せめて桜の季節が終わるまではと、理由をつけて先延ばしにしてしまったのは、失敗だったかも知れない。季節が進んですっかり暑くなった道を歩きながら、れんは少しだけ後悔した。
 まだ初夏だというのに、照りつける太陽は既に真夏の顔で、火傷の痕を隠すと同時に日焼け対策にと羽織った薄手のパーカーですら邪魔に感じる。異常気象と言っても過言ではないこの暑さも、ムンドゥスが関わっているせいなのだろうか。

 普段より長く感じる道を歩いて、ようやくたどり着いた《アンジェリーク》と看板の掲げられた店の前で足を止める。選んだのは、八重桜を購入した花屋。一度足を踏み入れていることもあり、大体の品数や雰囲気もわかっている。売り物としても桜の季節は終わったようで、店頭を飾るように並んだ花は、爽やかな色をした紫陽花に変わっていた。
 安堵するように息を吐いて、れんは七竃を見上げる。

「今日は、お見舞い用のお花を選ぶのよ?」

「うん。れんのお兄さんと、唄ちゃんの分だね」

 二本の指を立てて確認する七竃に頷いてみせれば、任せて、と自信満々に返された笑顔に不安を覚える。先日も空木に買い物を頼まれて、キャベツとレタスを間違えたと聞いたばかりだ。
 今回、花屋へ行きたいという七竈の要望を叶えると同時に、金銭を扱うことに慣れていない七竈の買い物の練習も兼ねている。練習である以上、基本的には七竈に任せようと思っているが、店には一緒に入ることにしていた。いざというときには横から口を出せる状況ではある。面倒くさいことにはならないだろう。

「ごめんくださーい」

 心配するれんを余所に、呑気な声と共に七竃は店の中へと進んでいく。少々お待ちください、と店の奥から返ってきた男性の声に、男の人だ、と七竃は少し驚いたように呟いた。彼の中では、花屋の店員さんは女性のイメージであるらしい。

「すごいね、れん。花がたくさん!」

「そうね、花屋だものね」

 興味深そうに店内を見回す七竃の背中越しに、声が聞こえた店の奥を伺えば、僅かに慌てるような物音。声を掛けたことで、急いでいると思わせてしまったのかも知れない。

「お待たせしました」

 数十秒と経たずに売場へ駆け込んできた店員は、前回、八重桜を包んでくれた男性だった。花屋の店員という職業が似合わない風体の彼に声を掛けられて、失礼ながら驚いたのは記憶に新しい。一度会っただけの客など覚えてはいないだろうが、ばっちり目が合ってしまって、誤魔化すように会釈をする。
 落ち着きなく店内を見回していた七竃も、店内を一通り眺めてひとまず満足したようだ。事前に確認したことを思い出すように、えーっと、と前置きをして男性店員へと話し掛ける。

「病院のお見舞いに花を持っていきたいんですけど、どれがいいかなーとか……お兄さんに相談してもいいですか?」

「……もちろんです」

 率直な七竃の問いかけに、ぎこちない表情を浮かべながら了承した彼は、恐らく接客が得意ではないのかも知れない。前回は八重桜に気を取られて気が付かずにいたが、会話の様子を傍から見ていると、一挙手一投足に神経を使っているのが感じとれる。
 客に文句でも付けられたことがあるのだろう。れん自身もアルバイト先で同じような経験があるだけに、同情してしまう。かといって、ほぼ初対面の相手に対して、楽にしてくれて構わないと伝えられるほどの社交性を、れんは持っていなかった。
 多少の申し訳なさを感じながらも、七竃との会話を黙って見守る。七竃の説明は子供同然の拙いものだったが、男性が聞き返しては必要な情報を補足してくれる。れんが口を挟む必要はなさそうだ。
 安心したところで、改めて店内を見回す。春から初夏へと季節が移ったことで、並べられた植物は前回とだいぶ様変わりしていた。早咲きの品種なのだろうか、既に向日葵も並んでいる。
 そんな小さな発見に感心しながら、ゆっくりと店内を一周し終える頃には、七竃も花を選び終わったようで、店員の男性が花を束ねているところだった。

「七竃、決まったの?」

「あ、れん!こっち来て、見てみて」

 確認するように声を掛ければ、ぱたぱたと七竃に手招きをされる。促されるように男性の手元へと視線を移せば、手際よく丁寧に束ねられていく上品な花々が目に入った。大人っぽい雰囲気や色合いは、兄へと選んだものだからだろう。もうひとつ、唄が喜びそうな色合いで可愛らしくまとめられた花束が、包装も済んだ状態で机の上に乗っていた。

「素敵ね」

「ね、綺麗だね。花とかよくわからないから、全部お兄さんに選んでもらったんだー」

 ねー、と同意を求めるように男性へと首を傾げる七竃。まさか話を振られるとは思わなかったのだろう。彼から返ってきたのはひきつったような愛想笑いだったが、七竃は気にした様子もなく、作られていく花束を興味津々といった様子で眺めている。
 装飾用のリボンが取り出されたところで、そうだ、と何かを思い出したように七竃が声を上げた。

「俺、もうひとつお兄さんに相談が……」

 そこまで口にして、しまった、というように口をつぐむ七竃。れんを振り返り、考えるように首を捻る。

「えーと、ね。何て言うか……お兄さんと内緒話したいから、悪いんだけど、れんは外で待ってて? あ、でも暑いよね」

「大丈夫よ、日陰で待つから」

 言葉を探す様子を見せながらも、結局は素直に頼む七竃に、れんも詮索することなく頷き返す。花束にリボン結ぶ男性に頭を下げて、一足先に外へ出た。

 じりじりと肌を刺す陽射しを避けるように、声が聞こえてしまわないように、店から少し離れた木陰で立ち止まる。
 話が気にならないと言えば、嘘になる。七竃が隠し事をするのはれんが知る限り初めてのことで、彼が花屋の店員にする相談など想像もつかない。
 しかし、どのような内容であれ、誰かを困らせるような相談ではないのだろう。彼は《七竃》なのだから。

「…………違う」

 彼は、《七竃》ではない。
 当たり前のように《七竃》を前提に、七竃の言動を図ってしまった自分を戒めるように、火傷の痕が残る右手を目の前にかざす。この醜い痕を刻んだ炎で、彼は焼かれて死んだのだ。

 ──《七竃》は、もういない。

 何度も言い聞かせているのに、理解もしているはずなのに、ふとした拍子に七竃を彼と重ねてしまう。
 そして、その瞬間を七竃は感じ取っているだろう。そんな時、彼が決まって困ったように笑うことを、れんは知っているのだから。

 知っているのに、どうすることも出来ない。
 何ヵ月経っても変えることのできない心の内を変える術を、目蓋の裏に焼き付いた彼の姿を消し去る術を、知っている人がいるのなら。

「……どうか、教えて」

 耳に届いた自分の声は、どこか遠く、途方に暮れた迷子のようだった。





fin. 2019/09/19

thanks!!


⇒ 花屋の店員=宍戸 守詩(翡奈月あみ さま)

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