来はいつも

居場所は黒鳶色に還る 2 / 3


急須の注ぎ口から伸びる白い煙を目で追っていた。口から漏れる息は、夜になれば白く見える。もうすぐ年も明けるのかと思うと、もしかしたら俺の時間というものはこの吹いてはすぐに消える湯気よりも淡く早いものなのかもしれない。
整然と並ぶ仄温かい湯呑に茶を回し淹れながら、無視できない視線に口を開いた。


「……なにか、間違えた?」
「えっ」
「すごく見られているような、気がするんだけど」


注ぎ終えた湯呑を盆に移し、狼狽える千鶴を横目見る。彼女は視線を左右に泳がせながら、盆の縁を指でなぞっていた。


「……春さんの、夢のせい?」


台所を後にする俺の背につられて、彼女も盆を抱えて廊下を歩く。冷たい板目の感触を、素足の指先が捉える。歩くたび渇いた皮膚のすれる音を聞きながら、言葉を探して、無意識の刺を忍ばせる。


「うん。でも、いつもと同じ、嫌な夢だった」


無意味な憧れは疾うに捨てたはずなのに。彼女に対するものは、綺麗なものばかりではない。春の夢を見るたびに、彼女たちにはない異常性を突きつけられている気がして、荒んでいく。吐く言葉も、白い吐息のように、冷たく無色なのだろうか。
曲がり角で僅かに彼女を見やれば、何か言葉を吐き出そうと唇をまごつかせていた。――千鶴が嫌な奴であれば、最初から俺はここにはいられなかっただろうが、もしそうならばとふと思う。彼女が好きだからこそ、吐き出す言葉の刺々しさに気づいては後悔する。
気づいたときに違う何かを重ねれば、もしかすればその刺は丸くなるかもわからないのに。決まって、黙り込んでしまうのだ。


「……」


――ここには、もういない方がいいのかもしれない。無闇に誰かを傷つけてしまうのなら、柔らかく温かで少し寒いままの記憶で残しておきたい。
すぐそばで、その考えに彼女は笑いながら頷いていた。
残すといったところで、いったいどこに残るのだか。ふうと吐いた溜息ごと、その気配を吹き消してしまえればどれだけ楽になるだろう。
似たような景色の続く廊下を右に折れたその先の襖を、開けるよりも先に開かれた。


「総司」


柱に寄りかかっている沖田の姿勢からして、部屋から出ようと思っていたわけではないらしい。


「どれかに茶柱立ってるのかな」
「普通に僕の優しさだとは思わないわけ?」
「今日は天気がいいから外に洗濯物干してあるんだけど」


すっと一瞬据わった目で見下ろされたので冗談ですよと笑いながら返せば、ひょいと盆から湯呑ひとつが奪われる。よもや頭にかけられたりなぞは、と反射的に肩をすぼめれば、意地の悪い笑みでありがとうと言ってきた。冗談一つ言うのも一苦労だ。聞こえないように漏れた吐息に、千鶴だけはほんの小さく笑っていた。


「……さっきはごめん、でも本当、大丈夫だから」


彼を見ると、言わなければいけないことがあるのならと、そう背中を押された気になる。千鶴はわずかに瞼を上げたあと、ゆるく首を振って目を細めた。


「ううん、でも、私に何か出来ることがあるなら、なにかしたいって、思うよ」


そう告げてから上座の方にいた井上や原田に茶を配りに行った彼女のそばに、まだいたい。本当は、まだここにいたいのだ。


「そうそう、それで、誰が坂本を殺したんだって?」


永倉が音を立てて茶を啜り、俺たちが入ってくる前の会話の先を井上に再度持ちかけた。
俺と千鶴は配る相手であった土方と近藤がいない以上盆は空かないので、とりあえず畳の上に腰を落ち着ける。二人をみやりつつ、井上が珍しく眉尻を下げて、原田を見た。


「それがなあ、あんたなんだよ、原田君」
「えっ」


隣から飛び出した声と彼の発言とに驚いて跳ねた肩に、後ろで襖に背をあずけていた沖田が手を置いた。


「なんだ、左之さんが斬ったんだ? 僕も呼んでほしかったなあ」


思わず見上げた先にある彼の顔は、いつもほど青白くはない。紛れもない冗談、といったような軽口な沖田の言葉に、原田は腰に手を置きながら頭を振った。


「馬鹿言え。問題の俺の鞘はここにあるんだぜ? 話にもならないな」


面倒そうに言う彼に井上は微笑しながら頷くが、仲間内だけで理解し合っていても意味はない。新選組としては幕府から手を出すなと言われているようで、世間からの信用からすれば、彼らとしてはなんとも言い難い状況のようだ。坂本坂本と名字だけを言われても話についていけず彼らの会話を見送っていたが、ふいに山南ならわからないと言った沖田の言葉に空気が凍った。
外気の寒さのせいだけではない。ここにいた誰もが、眉根を寄せて糸を張った。


「山南さんは大丈夫なのか? 俺らから見ても、最近の夜の巡察はやり方がひでえぜ……」
「俺らで気をつけるしかねえよ。羅刹隊の存在を表に出すわけにゃいかねえし」


ぎゅうと腿の上で拳を作る。彼とはめっきり廊下ですれ違うことも少なくなった。最後に会ったなかではっきり覚えていることといえば、羅刹の姿の印象があまりに強い。紅い瞳に白い髪。――ああそういえば、羅刹も紅い瞳だったか。揺れる波紋が朝の記憶を浮かび上がらせた。どきりと、心臓が高鳴る。思考する回路をせき止めたのは、突然現れた近藤と土方、そして、黒い人影だった。


「斎藤!? ……なんでここにいんだよ!?」


黒い着流しに白い襟巻きが色彩に乏しい。伸びる手足も顔の色も青白いせいか、瞳の澄んだ青色だけが浮き出て見えた。その立ち姿に見紛うことはなく、俺も永倉と同じように二、三の瞬きのあとに思わず目をこする。彼は相変わらず、そこに立っていた。
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