来はいつも

居場所は黒鳶色に還る 3 / 3


敵を欺く前に、まず味方からという。つまり斎藤がこの場にいるのはそういうことらしい。間者として伊東派につき、内部情報を新選組に横流しする。成る程、だから土方は斎藤と藤堂が離隊した時に、「斎藤はともかく藤堂まで」といったのだろう。藤堂は、本当に伊東についていったのかと、わかっていたはずなのにどうしても少しだけ寂しくなった。今彼が戻ってきたところで、以前の新選組には戻りようもないのだけれど。――そも、以前の新選組の方が良かったと言ってしまっていることは、彼らにとってもただの侮辱にしかならないのかもしれない。比較的穏やかで平和であったのは、確かに以前の新選組の方だったけれど。
――とにかく、斎藤が戻ってきたということで思い起こされるのは、暗殺という単語である。


「……伊東の奴は幕府を失墜させるために、羅刹隊の存在を公表しようとしてやがんだ。……その為に薩摩と手を組んだって話もあるな」
「そして、より差し迫った問題が一つ。伊東派は新選組局長暗殺計画を練っている」
「局長……こ、近藤さんを……!?」


千鶴の言葉とともに、背後いる沖田の殺気が物々しさを増した。先ほどの原田が坂本を殺したという話もどうやら御陵衛士が関わっているらしい。坂本龍馬と固有名詞が出されたことで、彼が如何程に時代の重要人物だったかを思い出す。そんな彼が紀州藩の三浦という人物からの依頼で新選組に殺されたという噂によって、どんな輩が動き出すやもわからない。斎藤はひとまずほとぼりが冷めるまではその三浦を警護することになるようだ。


「伊東甲子太郎……。羅刹隊を公にするだけでなく、近藤さんの命まで狙ってるときた」


冷たく硬い声だ。鬼の副長と畏怖された呼び名を彷彿とさせる、無感情な声。そうして、彼は抑揚のない声音のまま、他者の殺害を促した。やむを得まい、と苦々しく言った近藤の言葉によって、それは決定される。憶測ではなく、彼はそうして殺されるのだ。


「まず、伊東を近藤さんの別宅に呼び出す。接待には俺も回る。その後、伊東の死体を使って、御陵衛士の連中を呼び出し……斬る。実行隊は、永倉、原田。おまえらに頼む」
「で、土方さん。僕は誰を斬ればいいんですか?」
「おめえは寝てろ。変な咳をしやがるし…体調も悪いんだろ。まだ数日は斎藤もいるから、相手してもらってろ」
「……恨みますよ、土方さん…」


そっと横目見た彼の手は、ひどく細い。俺の髪を梳いた指先の頼りなさを知っている。あの手では、もう満足に刀も握れないだろう。もう、彼は人を殺さなくて済むのだ。あんな感触を、もう二度と味わうこともない。そのほうがいいと思うことは、彼の意思をないがしろにした我儘なのだろう――。それでも、そのほうがいい。きっと。
部屋に置かれた刀を思い浮かべる。夢の中で――彼女が握っていた、刀だ。陽月の持つそれと柄の色だけが違う。対の、刀。


「土方さん。御陵衛士の…平助くんは、どうするんですか……?」


助ける、と言いかけた永倉の言葉を遮って放たれた言葉が千鶴の瞳を見開かせた。歯向かうようなら斬れ。ただ一言そう残すと、彼は部屋を出ていった。去り際の背中に声を荒らげた彼女を、近藤が諌める。頭を垂れた千鶴に苦笑して、それから彼は永倉と原田に向かい合った。


「永倉、原田。局長ではなく近藤勇として頼む。……平助を見逃してやれ。……できるなら、戻るように説得して欲しい」


彼の願いに、二人は頷いた。藤堂は新選組と名を改めるよりも前からの仲間だったと聞く。三馬鹿の仲の良さは、三人だからこそ、成り立つのだろう。
けれど、薩摩藩と御陵衛士が手を組んだということは、薩摩藩に属する鬼のことが気がかりだ。もしも鬼と出くわしたら、藤堂を助けたいと思うのが原田と永倉の二人だけでは心もとない。二人以外の組員が混戦の中斬りかかってしまっては、助けることなどできない。


「近藤さん、俺も、実行隊の方に回してはいただけませんか」
「何言ってんだ、お前は屯所で留守番してろ」


いの一番に頭を横に振った原田にならって、永倉と近藤が険しい顔をする。汚い仕事なのだと、千鶴と俺とを見つめながら、諭すように言った。


「……平助と約束したんです。それに、敵が御陵衛士だけとは限りません。新選組の計画がバレれば、薩摩藩が加勢に来るかもしれない。いざってときの保険にはなると思いますし、足でまといにはなりません」


頑張れといった。頑張るといった。それぞれが望む場所で、望むように、進むために。彼が何も言わなければ、沖田との仲直りだって、きっと進まずにはいかなかったかもしれない。鴨居にぶら下げた彼の土産の風鈴の音は、今も耳に残っている。くれた言葉の温かさを、知っている。理由なんてそれだけだ。藤堂のいる新選組を、もう一度見たいだけなのだ。


「……わかった」
「っ近藤さん……! ――俺は反対だ。池田屋の時の怪我以上に、死ぬかも知んねえんだぞ」
「――死なないよ」
「そんなの分かんねえだろうが!」


原田の静かに荒げる声が、背中の傷口を撫でる。同室だったからだろう。お互いに、それはなんとなく感じている。さがった眉尻を人差し指で掻いてから、口元は笑みを浮かべるしかなかった。


「死なないんだよ、左之さん」


その一言で彼は押し黙った。千鶴の俺の名を呼ぶ声が、ぽつりと静かになった部屋に響く。春を知っているのは、おそらくこの場においては、原田と千鶴くらいなのだろう。永倉の浮かべているものは、どちらかというと疑問に近い。原田が黙ったことで、近藤はもう一度俺を見てから二人の指示をよく仰ぐようにと告げた。
それから千鶴が、伊東の接待に回りたいと身を乗り出した。鬼とは言え、直接的な排斥力を持たない彼女にやはり先程と同じように否定する空気が流れたが、頑なだった彼女の意思に折れる他なかった。

そうして、話し合いの場は解散となった。斎藤は組員からの目を避けるように、近藤と部屋を出ていった。永倉が先に部隊の編成をしてくると続けて部屋を後にし、残された原田と千鶴、沖田、俺の四人の間に微妙な空気が流れていた。――春のことを、話題にされたくはなかった。だから、皆が座り込む中で一番に立ち上がる。見上げた原田の表情は、変わらず険しいままだった。


「……行こう、左之さん。永倉さんと、決めることもあるでしょ」
「……いつまで、隠すつもりだ」
「――左之さん」


本当に、人を見透かすのがうまいのだ、彼は。全てを話したわけではないのに、彼はまるで何もかもを知っているようにこちらを暴いて話す。それもやはり、数年越しの相部屋相手、だからなのだろうか。


「……死なないなんて、嘘だろうが」
「左之さん!」


随分と久しぶりに大声を上げた気がする。顔を上げた視線の隅に、沖田を見た。
喉がひりひりと痛んで、呼吸するのも苦しい。――ああ、なんでだろう。また、胸が空く。


「やめて、ください。おれは、まだ――」


言いかけた言葉を飲んで、竦んでいた足を必死に動かした。引き止める制止の声を振り切って、重たい襖を開け放つ。真昼の暖かな日差しが場違いなほど柔らかい。
後ろ手に閉め切った襖から離れて、その柔らかな日溜まりにつられるように縁側へと足を運んだ。
笑えるほどに遠い青空が、広がっている。


「……まだ、人でいたいんだ」


何も知らない彼が名を呼ぶたびに、名前はここにいるのだと思えるのだ。規則正しく乱れる心臓の音の人らしさを、知るのだ。この感情の行き場に名などなくても、それを持っているだけで、人であれる気がするのだ。
だから、きっと。この影の黒々しさに似た中身の異形さなど、知られてはいけない。名前の名を呼ぶ意味が、代わってしまう。ここにいるこの自分だけの名前でいたいから。


居場所は黒鳶色に還る

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