未来はいつも
腰に差した刀は相変わらず重い。月明かりばかりが異様に明るい夜は、油小路に潜む俺たちを見つけ出そうと必死だった。奥まった影に隠れて、実行隊であった原田や永倉を含む以下十数名が、獲物に手を置いて息を潜めている。先頭で待機していた原田とは、昼間から今まで、大した会話はしていない。相対的に永倉ばかりが口を開いているような状況になっているが、ただ険悪であるようなそういった雰囲気ではないからこそ、永倉も黙している原田にはとくに何も言わなかった。
「……俺は正直、お前が名乗り出てくれて助かったとも思ってるけどな」
最後尾で待機している永倉が、隣でしゃがんでいる俺を一瞥してからそう言った。
軒先に隠れた月が、色濃い闇を広げている。彼は前にいる組員から顔を背け、さらに声の調子を落として苦笑した。
「……もしもがあったら、後味が悪くなるからよ。――余計にな」
「……永倉さんのためと思えば、俺ももっと身軽になれるかも」
「誰のためだって構いやしねえよ。どのみち、こいつは斬るだけだからな」
ぽんと彼の大きな手が置かれた柄は、擦り切れていた。彼の刀の柄は、俺の物よりも一回り太い。それなのに、永倉の手が置かれただけで、ひどく細くしなやかに見えるのだ。
――砂を踏む音が聞こえた。
先頭にいた原田が手を挙げる。それと同時に、右手を建物側に向けてひらりと返した。視線は俺を見つめていた。
「裏から回れって、ことですかね」
「――彼奴を、頼んだ」
「前言撤回します。やっぱり俺のためです」
行ってきます、と告げて立ち上がる。足音をできるだけ鳴らさないように砂利を踏む。原田たちが飛び出したのを耳で知りながら、俺は迷路のような小路を走り抜けた。事前に永倉にこのあたりの道を叩き込まれたので、御陵衛士を回り込めるような道順を脳裏に展開する。ここを右に曲がれば、あとは剣戟の音をたどればいい。
暗い家々の間を抜けると、左足がわずかに砂利を捉えそこねて膝が抜けた。眼前で、渋い色の袂を見た。
「……最悪な……っ!!」
刀を二本下げた男が四人ほど、そして手前に、派手な赤髪と緩やかな青い髪の男が二人。奥の男四人は前方を見据えたまま、二人だけが、声を上げるより前に既にこちらを見ていた。
「よぉ、久しぶりだなァ。そんなに足音鳴らして、お前監察向かねェな」
「……不知火……! っここに、千鶴はいないよ」
赤髪の男、天霧は諌めるように不知火に視線を送ったあと、男四人を連れて向こうの明るい小路へ身を晒しに行った。
つまりは想定上の最悪な結果になったというわけだ。彼らの餌が新選組か御陵衛士かは考えたくもないが、おそらく取り囲む人数はさらにいることだろう。新選組が隠れていたように、彼らもひっそりとそこにいたのだ。そんな状況で、鬼が二人である。
平助どころじゃなくなったな、と思わず笑ってしまいたくなるほどには退路がない。既に響く剣戟は大きく、聞き慣れた声の怒号が飛び交う。俺は腰の刀に添えていた左手の親指で、鍔をわずかに持ち上げた。
「あの女鬼にも用はあるが、こいつァ仕事だよ、仕事」
「ふうん、めずらし」
「ついでに、お前も殺せたら用事も終わる」
警戒心を解いたつもりはない。油断していたわけでもない。ただ、鼓膜を震わす音が近いところであがった。
数瞬の間の後、膝から崩折れる。月明かりを跳ね返す白い砂利が、黒く染まっていた。
「だからそこで死んどけ」
「! ……っが、は」
こちらを向く銃口からたなびく白煙が視界を遮る。背中を向けて歩き始めた不知火の背に抜いた刀は、地面を突き刺した。熱い鉛が、腹の中で内臓を引きちぎる感触に、せり上がってくるものを吐き出す。
――足でまといには、ならないつもりだったのだけれど。
刀を支えに、そして壁に寄りかかりながら、立ち上がる自分に笑った。これでこそ、化物だと。一歩進んでいくごとに、自覚する。痛みは引いていく。頭は冴えていく。
小路の先で、誰かの死体が転がり落ちた。
「平助」
長髪だけが軽やかになびく。血の海に乱れる戦場で、小柄な体躯がさまよっている。血の跡を引く俺に気づいたどこかの誰かが振り上げてくる剣を目で追いながら、その奥でこちらを見た藤堂も映した。
「う、ぐあ!」
蹴り飛ばされた男が、地面に転がる。打ち付けた右肩が、奇妙に上方へと外れていた。
「なんで、……!!」
息を上げる彼が、しきりに呻く今しがた転げた男をみやって口を閉じた。一瞬、彼のために、音が止む。原田の何かを言った怒声が、水中を通ってきたように曖昧だった。
「何をしている藤堂! 我らを裏切るのか!」
藤堂の背後で、揺らぐ声が上がった。その声は次には呻きに変わったが、立ちすくむ藤堂の名をもう二度叫んだ。
「――オレは」
混戦していた。御陵衛士か割り込んできた第三者かわからない男が向かってきたのに数秒反応が遅れた彼の服を掴んで後方へ放り、俺は白い手で刀を振り抜く。すり足でかわされた一撃の隙を突くように、男は最短で刀を振り下ろす。刃で受け止めれば刀身が折れかねない。もつれこむようにして、胴体へと体を押し込み、共倒れした間もなく刀を突き立てた。骨を貫き、それは心臓を刺す。彼の血か俺の血か、地面にゆっくりと染み込んでいった。
「――っ馬鹿!」
「うわ」
今度は俺の左腕をひかれ、その反動に藤堂が飛び出して振りかざされた刀を弾くと相手の左肩から斬り伏せた。
ひどい息切れの合間に、彼は確かに、名を呼んでいた。原田の、永倉の、新選組の羽織を着た彼らの名を。そして、俺の名を呼んで、振り返る。
「そういやあ敵だったっけな、オレたち……」
ゆらゆらと、蝋燭の炎よりも頼りなく細い声で、彼は呟いた。
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