未来はいつも
俺が初めてこの世界に落ちてから、早くも一週間が過ぎようとしていた。ヒーターもストーブも無いこの時代の朝、しかも京は盆地と言うこともあって、凍死するんじゃないかというくらいとても寒い。
俺は閉め切った障子から部屋の隅に遠ざかり、羽織に包まって縮こまっていた。
昨日、一昨日はこんなにも底冷えするような寒さではなく、それに原田が一人居た分だけまだましだった。人間が一人いなくなっただけで、こうも変わるものなのか。
俺はくしゃみを一つして鼻をすすった。
「……名前」
聞こえるはずの無い声がした気がした。俺は顔を上げて障子の向こうに目を凝らすと、僅かに人影が映っている。名前、とその声はもう一度俺の名を呼び、身じろぎした。
「……陽月」
俺はのそのそと芋虫のように畳を這いながら、障子に寄る。彼ははあと大きな溜息を吐いて、床に座り込んだ。
「調子はどうだ?」
「…寒い。寒すぎて何もできない凍死しそう」
「っくく、そりゃあ現代は温暖化が進んでたし暖房器具もあったしなあ。耐えろ耐えろ、寒さで死んだとあっちゃ呆れも越えて憐れだぜ」
陽月はそうクツクツと笑っているが、残念ながら俺にはそんな余裕がない。凍ってしまったかのように喋りづらくなった口の中を動かしていると、陽月がやけに真剣な声で、
「…怪我は、治ってるのか?」
「え? 怪我? …ああ、目の下のやつはまだ痕が残ってるかな。手首も鬱血は収まってるし、対して酷くない。別に全然大丈夫だけど……なんで?」
心配してくれてそう言ったのだろうとは理解できる。それにしてはその声が、あまりに――そう、真剣すぎるから。
俺はちろと剥がれた手首の皮を気にしながら、それに彼は今度は明るい声音で話を終わらせた。
「そっかそっか、いや治ってんならいいだ」
にしても今日はほんと寒いな、なんて適当に話題を変えるから、こっちとしては少々不満が残る。――まあ、きっと何でもないんだからどうでもいいか。
俺はほんとだよねと相槌を打ち、くしゃみをした。
「ずびっ……そういえばさあ、なんで新選組はいったの」
呼吸が止まる、音がした。振り向けば、そこにはもう誰も居なかった。代わりに聞こえたのは誰かの足音。その足音は俺の部屋の前で止まると、躊躇いもなく堂々と障子をあけた。
「…誰かきたのか?」
――部屋の主なら、躊躇うわけもないか。俺は一人納得をして、少し怖い顔をする原田を見上げた。
彼は眉根を寄せて、苦い表情をしている。
「…誰も、独り言です」
「一人で声の高さまで変えてか」
それは声の違うもう一人を知っていた。俺は唇を横に噛み締めて、無言で原田を見つめる。何も話さない、そういう意思表示のつもりだった。
思いが伝わったのか、彼は重たい溜息を吐いて、一瞬思案顔になる。
しかしそれもすぐにやめて、ふっと目線を上に上げた。
「…ま、山崎もいるし大丈夫か」
ぽつりと零れた独白は、普通漏らしてはいけないものではないのか。俺がああやっぱり、と返答すると
「なんだ、お前気配には敏いな」
「……自分一人だったもので。なんとなく」
もう一人誰かいるということ。
その言葉を言った直後、原田は忍び笑いを浮かべて俺に手を振った。
「そうか。まあ、んじゃ、ちょっくら出かけてくるわ。絶対部屋から出るなよ――死にたくないならな」
「わあ怖い、そんなあからさまな脅ししなくたって逃げませんよ。逃げたらすぐバレちゃうじゃないですか、」
気をつけてくださいねーと俺も手を振り返せば、後ろでガタと音がした。振り返れば、黒装束の男が慌てた様子で口元の布を下げて声をあげる。
その姿に原田はさして驚いた風もなく、あっけらかんとしてにこやかに、
「原田組長――!」
「じゃ、後は任せたぜ山崎」
そそくさと廊下を早足で歩いていく彼を横目に、山崎は「減給処罰ですよ!」と叫んだ。山崎さんかわいそうにと内心同情しながら、俺は開けっ放しの障子を閉めた。
冷たい風が遮断され、幾分寒くなくなった部屋に溜息が零れる。
「山崎さん……でしたっけ?」
「……ああ、」
「大丈夫ですよ、俺逃げませんから」
「そういう問題ではない…」と、息を吐きながら話す彼は、苦悶の表情を浮かべていた。――まあ、監視対象の前に姿を見せてしまったし、原田は職務放棄するしでいろいろ考えるところがあるんだろう。
俺はお疲れと口の中で呟いて、寒い寒いと呻きながらまた部屋の隅に移動した。
山崎はどうしていいものかと立ち呆けているので、俺がちょいちょいと手招きをすると、
「…この後も一日中俺の見張り…お目付け役? だったんですか?」
「…………その、つもりだ」
長い長い沈黙の後、押し殺したような聞き取りづらい声で答えた。どこまでの質問に答えていいのか、考えあぐねているのだろうか。
俺はふうんと適当に返事をして、あ、と手のひらを打った。
「監視がてら俺の話し相手になってくださいよ。ほら、そしてら山崎さんも監視できてるし、俺もつまんなくないし、もしかしたら俺が墓穴掘るかもしんないし原田さんも帰ってくるまで充実するしで一石多鳥ですよ」
グ、と立てた親指を見て、彼は思い切り眉をひそめた。それから少し考え、
「……どのみち君は知ってしまったからな、今更隠れても何の意味も無いか」
――陽月のこと、土方に伝えるのだろうか。そうしたら彼奴困るかな。
俺は一瞬不安になったけれど、考えてみたところでどうにもならなかった。
山崎はもう一度小さな溜息を零して、畳の上に正座した。
その後は、本当に他愛もない話ばかりしていた。
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