来はいつも

僕に流れる勿忘草色の孤独 1 / 2


迷っていた。どれが正しい道で、どれを選ぶことが一番なのかが分からずに、ただ目の前のことに戸惑うことで精一杯になっていた。だから、旧知の姿を見つけた時に湧き上がってきたものは貧弱な覚悟を露呈させたに過ぎない。今こうして考えてみても、どの時点で道を誤ってしまったのか、そもそもこの道が誤っているのかさえもわからなかった。――少なくとも、人の道、人の理から外れてしまったことは、よくいう誤りということなのだろうが。


「平助君」


新選組でも腕の立つ撃剣家として名を馳せていた沖田総司がそこにいた。風邪だと思い茶化していた頃に比べて随分と痩せた体躯をもって、それでも少しは健康そうな顔色で、羅刹隊が集っていた道場に軽い足取りでやってきた。
彼はいつだって飄々としている。こんなときでさえ、屯所の重苦しさをちらとも見せない雰囲気でやってくるのだ。当人も、その渦中の人であるというのに。
道場の壁に寄りかかりながらする事もなく暇を持て余していた藤堂を呼んだ明朗な声に、どんな声で返していいのかを測りかねて曖昧な音が喉を抜けた。彼は、一寸の悩みも抱えていないのだろうか。そんなわけはないはずだ。いくらあの沖田総司とは言え――。


「久しぶりに見た、その間の抜けた顔」
「……どういう意味だよそれ」


変に気構えていた心を折るあたり、やはり彼は変わらない。その嬉しさは沖田にもわかるだろうか。息をするたび体から抜けていた何かを引き戻すように、笑うための呼吸をした。


「――はあ。ほんと、することねえよな」
「夜の巡察も、この人数じゃあね」
「それより、多分土方さんは当分夜間は回してくんねえと思うぜ。昼間も大変なのに、夜に何かあったら流石にぶっ倒れるんじゃね」


けらけらと笑ってみせても、それに賛同してくれる声の少なさが空虚の大きさを目立たせるようで、またどうしても口ごもる。
――藤堂が人の死の境をさまよい、羅刹として目を覚ましたのは確か二日前だ。如何せん朝に寝入って夜に目覚めるという感覚の不確かさのせいで、日付の感覚が掴みづらい。笑えるほど、今の心の内では人であった頃と大差がない。それなのに、体は朝日を拒む。陽の光をひどく嫌がる。冷たい影が、唯一の居場所になった。笑える。笑うしかない。沖田だって、同じ気持ちであるはずなのに。どうして彼はこんなにも強いのだろう。
出入り口の向かいの壁に落ち着けていた藤堂の近くに寄るわけでもない彼は、戸板から離れるとまるで壁を沿うように右回りで動いていた。ちょうど道場の半分程度のところにきたあたりで歩みを止めて、やや狭まった距離で目があった。


「――なあ、総司」


ガタガタと雨戸を開ける音に、声が遮られる。常闇の暗さに満たされていた道場内が眩しいほどの月明かりに分断される。その光を浴びる沖田は、外に足を放り出すようにして腰を下ろした。もう一度、声をかければ、彼はなあにとつまらなそうな返事をする。それでも、無言でいるには夜は長い。話でもしなければ、この静寂は冷たすぎる。何より、それでは藤堂の疑問は晴れない。


「なんで、総司はそんなに普通でいられるんだ?」


世間では件の騒ぎを油小路の変と呼んでいるそうだ。同志であった御陵衛士の討伐を行い、あげく薩長に囲まれて混戦のうちに死んだ事件。そこには千鶴を狙う鬼の思惑が絡んでいて、あの場に居合わせ無かった金髪の男、風間千景が屯所に攻め入っていたのだ。彼のせいで、多くの隊士が血を流した。羅刹隊は山南と藤堂と、この沖田のみとなった。彼もまた、あの変若水に手を出してしまったのだ。
沖田と藤堂は同じ者だ。陽の光の下では生きてはいけない人ではない者。容易に死ぬことさえ許されない者。
ざわりと、そう考えただけで、靄が心にかかる。沖田は丸めた背中を反らして後方に手を突くと、わずかに顎を上げて空を見上げているようだった。


「別に、これが僕たちの普通になったんだったら、それでいいじゃない」
「……なんで、羅刹になったんだ?」
「必要だったから」


穏やかな声だった。少しだけ高い彼の声は大きな道場にはよく響く。


「僕はまだ戦わなくちゃいけない。床に伏せってるだけなんて、嫌なんだ」


――そういえば、新選組を出て行ったあの日から、二人はどうなったのだろう。
藤堂はおもむろに立ち上がると、月明かりに誘われるように歩いて、沖田の後ろから外を見た。上の方が欠けた、不完全な月があった。


「……彼奴のため?」
「彼奴って?」
「とぼけるなよ、名前しかいないじゃん」


きょろりと空を見ていた緑の猫に似た目が、こちらを映す。その表情の歪みをなんと表すのか、適当な言葉が思いつかなかった。ただ、宙に浮くような軽さを持っていた沖田はそこにきちんといるのだと、なんとなく思った。


「あの子の強さに、僕は必要だと思う?」


――思わず言葉に詰まったのは、人であった最期の記憶を思い出したからだ。
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