来はいつも

とある赤錆色のお話 1 / 3


中仙道に面した呉服問屋の、四番目の娘として生まれた。
十も離れた兄と、八つ、三つ離れた姉が、まだ生まれたばかりの彼女の頬をつねっては笑っている。しなやかで優しい母に、弁舌で強かな父に囲まれて、すくすくと育っていた彼女は、いわゆる幸福な一家の娘であった。
長兄が店先に出て父に問屋の如何を習う頃には、よちよちと覚束ない足取りながらも歩いてはついて回っていた。愛らしい四番目の娘は、誰からも疎まれることなどある筈もなく、年相応の我儘さとお転婆と、父に似た聡明さを兼ね揃えて育っていった。彼女の記憶の中では疾うに風化してもう思い出すこともないのだろうが、確かに、幸せであったのだ。
それらが崩れたのは、物心がついた頃。冬に入る少し前の、息はまだ白くはない時だった。
生まれたときから彼女の世話をしていた女中の一人が、怯えた様子で、母にこう告げた。

時折、血に濡れたように真っ赤な瞳になるのだと。

光の加減ではないかと、その時の母は笑って聞き過ごしていた。しかし、彼女が癇癪を起すたびに、女中はまるで恐ろしいものでも見るような眼差しで彼女を見ているので、暇を与えた。ややもしないうちに宛がわれた新しい女中も、同じようなことを言って、彼女に近づきたがらないので、古くから仕えていた女中の婆に、世話を頼んでみたのだ。
婆は自由奔放な彼女の身の振り方を良しとせず、淑やかな女子になりなさいと叱りつけていた。そうこうして半年も経たないうちに、やはり両の瞳は気分が昂揚すると赤くなるのだと言った。
よもや婆の言い分が疑いようもない事実であることは明確で、屋敷中にその噂は知れ渡って行った。幼子が歩いて回るたびに奇異の目が集まり、恐ろしいと誰も構おうとはしなくなった。
そんな周囲の目と環境の変化に苛立つ彼女は、ただ物に当たることしかできず、そうして玄関先の壺をたたき割ってしまったことで、事態はより悪化した。壺の破片は彼女の足を切りつけて、白い足が真っ赤に染まっていく。流石に気の毒に思った女中たちが手当てをしてやるも、みるみるうちに傷口が塞がっていったという。
彼女は禍を呼ぶものだと、愛されて育った彼女は終ぞ、裏手の山の麓に、冷えた握り飯を二つ持たされ、置いていかれた。




『商家のお嬢様が、ひどいもんだな』


その山には、そう年の変わらない少年が住んでいた。その少年が人ならざるものだということは、すぐにわかった。禍を呼ぶから居てはいけないのだと、そう言うと彼はお前は人ではなかったのかと笑った。人の母の腹から生まれたのにと、首を傾げれば、禍を呼ぶなら最早人ではないだろうと、あっけらかんと言ってみせたのだ。
――そうか。人ではなかったのだ。人ではないから、疎まれてしまったのだ。
普通ではないから、仲間外れにされたのだ。
彼女は自己を理解した。そして、少年が人ならざるものだと知った。普通ではないものが集まれば、それが普通になるのだと、彼女は"勘違い"した。

まだ青く茂る山で二、三日を少年と過ごしていれば、たまたま通りがかった男が彼女を拾って近くの小さな村へと招き入れた。男は目が弱く、あまり景色を認識することはできない様だった。だから、時折彼女の両目が赤くなろうと、男には見えてはいなかった。異常だと認識すれば、抑えればよいのだと覚えた彼女は、少年と共に山で遊びながら、普通ではないものの普通を学んだ。


『紅葉、今日はなにして遊ぶの?』
『……俺は誰も遊ぶだなんて言ってないぞ。それに、そんな名など要らん』
『だって、名前がないと貴方を呼べないわ』
『お前にだってないだろうに』


彼女を拾った男は、彼女を名で呼ぶことはなかった。ちびすけだのお嬢ちゃんだのと笑う声は穏やかで好きだったが、名をつけてはもらえなかったのだ。商家の娘であった彼女は消えてしまったので、呼ぶ名がどこにもなかったのだ。
思案の後、春が好きなのだと笑った彼女は、春という名にしようと喜んだ。
傍から見れば、山で一人遊んでいた彼女は奇怪であった。彼女、春はおおよそ人とは違う何かなのだと、それが村に知られたのは、彼女の腕にできた酷い火傷が翌日には消え去っていたからだった。目の見づらい男の世話を続けていれば料理もしなければいけないのだ。その時にできたものではあったが、少年と穏やかに過ごしていた彼女にとってそれが普通ではないのだと抜けていたのだ。
気味の悪いものを連れてきたと、男共々責め立てられた。小さな村にとって、そんな不気味なものは排斥されて当然だったのだ。
それは、十五の頃だった。
男はもう他に移り住むこともできず、心無い言葉に耐えながら、それでもこの場所で生きていくしかなかったのだ。


『お前の身体は、きっととても、優しいのだろうね』


武骨な手が頭を撫でる。大きくて、そして、だんだんと痩せているのに気づいてはいた。


『優しいから、痛いことなどないようにと、すぐ怪我が治ってしまうのだ。それがどうして、不気味などと罵られようか』


優しい子、と笑う男の眦は、いつだったかの、消えかけた記憶の隅をつついた。
そう、いってくれた男は、次の冬を迎える頃に、よく寝込むようになった。
野菜も米も、誰もわけてはくれないから、少年と山で摂れたものを必死に与えた。それでも、男がまた畑を耕すことも、山を下ることもなかった。
春が過ぎ、夏を越し、秋になった。男の体に、小さな疣ができ始めた。


『なぜ、あの人の病は治らないのでしょう。私だったらすぐ治ってしまうのに』


色づいた木々に紛れるように潜む、もう少年とは言えない程大きくなった彼は、大木の枝に寝転がりながら、幹に背を預けて考え込む春に言った。


『それは、あの男が人だからだ』


相変わらず、彼はそう言って彼女を突き放そうとする。人であることに固執したがる彼女に、よく見ろと促すのだ。
山々の赤い葉が枝から落ちるころ、男の疣が顔にまで広がってきた。その時にはもう意識も絶え絶えで、苦痛に歪ませる呼吸も顔も、すべてが。これが、死なのだと、いっていた。
気付けば、村人の数人にも同じような疣ができているのだという。
お前がこの村に来たからだと、詰る老婆が床に臥せり、お前がまだ生きているからだと石を投げた青年は家にこもった。

早く、早く、お前が来なければ、お前がいなくなれば、お前が死ねば、よかったのだ。

そう呪いの言葉を吐き捨てながら、村は静かになっていった。皆、彼女からの呪いを受けたくないのだと、外に出ないようになったのだ。


『最期に、お前のその、赤い目とやらを、見てみたかった』


冬ももうすぐ終わる。この苛烈な吹きすさぶ寒さはもう終わるのだというのに、男は無理だと笑うのだ。春になれば、花々が、木々が、蟲たちが、目を覚まして歌うというのに。それを待てないのだというのだ。


『ああきっと、綺麗なの、だろう、な』


――殺しておくれ。
男が切にそう願った。もう苦しくて、もう生きられないのだと。
男は昔、目が見えていた時は刀を打っていたので、二振りの刀が、なけなしの床の間にずっと大事そうに飾ってあったのだ。だから、ああそれできっと、殺してあげることが正しいことなのだ。
刃こぼれひとつない刀身が、蝋燭の炎に煌めく。
男の体は薄かった。それでいて硬くはあったが、肉もなかったので難しくはなかった。
短い断末魔の後、男は嬉しそうに、ああ、やっと見えたと笑って逝った。
心の臓に突き立てた刃を、引き抜く。傷口からいきおいよくあふれ出した血が、天井を濡らした。次第に収まった流血を眺めながら、膝をついて、男の眦に触れる。天井からまるで雨のように、彼女の髪を、頬を、濡らした。


『ああ、ああ……! やはり、お前は、悪鬼の類だったのだ……! この村の病は皆、お前のせいだったのだ……!!』


断末魔を聞いてきたようで、青年は疣のできた両手で顔を覆って膝からくずおれた。
――穏やかだった。この男のそばは、まるで春の花のように、穏やかだった。
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