未来はいつも
彼女の手足にも、同じような疣はあった。どうせすぐに治るのだからと、思ってはいたが、予想外にもその疣は広がっていった。もしかしたら、これで、死ぬのかもしれないと思った。
男を殺した後、すぐにその青年も殺した。この病は、恐らく普通の人間には治らないのだ。殺してほしいと願うほど苦しかったのなら、その他の病に伏せた皆、楽にしてやろうと、そう思った。
一軒一軒、回って行った。顔にまで広がったもの、まだ手先だけのものは皆首をはねた。全くかかっていないものがいたので、その者は生かしてまた別の家に行った。それを繰り返し、恐らくほぼすべての村人を殺した。生き残っていた僅か二人の子供の泣き声だけが、永遠と満月の夜に響いていた。
ひどく疲れてしまったので、彼女は家に帰り、もう冷たくなった男の傍で、眠った。
死ぬとは、一体どういうものなのか、皆目見当もついてはいなかったのだ。
翌朝目が覚めて、隣に眠る男を見て知った。
落ちくぼんだ眼、だらりと垂れた顎、渇いた口、生きていたころとは違う臭いが充満していた。
――もう一度、眦に触れた。
生きている時のこの男は、優しかった。温かかった。綺麗だった。
肩をゆすってはみたが、返事はなかった。名を呼ぼうとして、そういえば、互いの名を知らなかったことに気づいた。名がなくとも、男は確かにそこにいたのだ。けれど、今となっては、名がなければ呼ぶこともできず、返事もしない。この身体が無くなってしまったら、男を表すものは何一つなくなってしまうのだと、唐突に理解した。
『もう死んでいるぞ』
朝陽が家の中を照らす。開けた引き戸に寄りかかっていた彼は、光を浴びながら、室内を見渡し、外を見た。
『随分と惨いことをして回ったな』
『……だって、苦しいということは、普通の人にとってつらいんでしょう? この人は殺してくれと言った、だったらきっと、他の人も同じなのだと、そう思ったの』
『――なんだ、お前も、病にはかかるんだな』
血に濡れた首元に、疣が広がっていた。
彼は、春が手にしていた刀を見た後、奥の床の間を映して無遠慮に入り込んできた。そうして飾ってあった一振りの刀を掴みとり、春の頭に手を置いた。
『それがこの男がいた証になるのだろう。だったら、持っていけばいい。それが、死んだ人間を悼むということだ』
『いたむ、』
『お前も、直に広がって、死ぬのかもしれないな』
子供の泣き声が聞こえる。涙を流して、悲しいのだと叫んでいる声を真似てはみたけれど、何故だか、彼女にはできなかった。
『……私が死んだら、紅葉は悼んでくれる?』
その言葉に返答はなかった。ただ、対の一振りの刀を腰に提げた彼は、どこからともなく指先から色づく秋のような炎を出した。
『まあ、こうやって、灰に還してはやるさ』
彼女が家を出ると、戸板にその炎を移した。ぱきぱきと音を立てて燃え朽ちていく。冬の澄んだ青い空に、赤い炎はまるで秋の山々のようで、あの男の名前はきっと秋にちなんだ名なのだろうなとふと思った。
『そうしたら、紅葉を燃してあげるのは私しかいないのね』
『じきに死ぬのだから、無理だろうに』
『そんなことないわ。だって私、普通じゃないんだもの』
そう言いながら、彼女は血を吐いた。驚いたような顔をした後、けろりとした表情で、川に行きたいといった。彼女の着物の色が、元は何色だったのか、見当もつかなくなっていた。
それから、紅葉と共に山を歩いた。子供が生きていた家を残して、他の家はすべて焼いた。器用にその家だけが燃えているのはおかしくて、恐らく、そういうところも彼が人ではない所以なのだろう。
ひと月も経たないうちに、確かに、彼女の全身に疣はまわった。細い呼吸を繰り返していて、歩く速度もだいぶゆっくりだった。
『確かに、苦しいのね』
笑いながらそう言った春は、いったん休憩しようとうねる幹の間に腰を下ろした。
『……何を、してる?』
『え?』
春は、横に並んで座る紅葉の手を取り、頬に宛がっていた。
『……貴方の手が冷たいから、私はまだ温かいの』
彼女にとって、死とは冷たいものだと思っているようだ。それはどこも間違いなのではない。紅葉は溜息を吐いて、温かい彼女の頬をつねった。
『……話し相手が減るのは、つまらないのかも、知れないな』
会話を知ってしまったのだ。相手がいることで成り立つものを知ってしまったのだ。独りというものを、知ってしまったのだ。二人を知りながら、これから先気の遠くなる年月をまた独りで生きていくには、確かに、つまらない。
それは、春も、紅葉も、同じことであった。
彼女の治癒能力は、結局、病を治してはくれなかった。
幾度目かの夜、丸い完全な月が浮かんでいた。枝には実がなり始め、荒ぶ風の冷たさが和らいできた頃。
桜が咲くにはまだ早すぎて、大振りの枝はまだ寒々しい。そんな夜に、彼女は血を吐きながら、もはや大して吸うこともできない空気を食べながら、笑った。
『ねえ、やくそく、してもいいかしら』
骨と皮ばかりの手が、刀を引き抜く。あの日と同じ、美しい刀身だった。
『わたし、あなたを、ひとりには、させたくない』
燃してあげたい。そう笑った。紅葉は、赤く枯れて、春は、緩やかに散っていくでしょう。
『かれるのも、ちるのも、おなじが、いい』
彼女は、首に刀を宛がった。
『やくそく、ね。わたしの、かみさま』
血しぶきが舞う。青白い月によく映える、赤だった。
戻 | 目次 表題 | 進