来はいつも

とある赤錆色のお話 3 / 3


やはり、彼女は異形のモノなのだ。
骨が見えるほどに切り込みが入った首から、頻りに血が噴き出しているのを眺めている。これでは、流石に彼女も死んでしまうのだろう。約束が、紅葉の首を縛り付けていた。神様と、笑った彼女の言葉は正しかったのだ。けれど、そんな崇高な存在などでは決してなかった。だというのに、彼女の想念をかけた願掛けの所為で、縛られてしまった。


『……なんて奴だ全く』


彼女のまだ温かい額に触れる。
ふわりと、まだ咲いてはいない桜の、花々のにおいがした。
彼女の首元に目をやれば、深い首の傷が、皮膚がまるで縫い合わせるように寄りあっていく。疣が一つずつ、皮下に戻っていく。膿んだ痕さえ、すべて、戻っていった。


『本当に、化物に、されてしまったんだな』


人の言葉は生きているのだ。言葉はまじないだ。彼女のこれは、数多の呪いのせいで、本当に、人ですらなくなってしまったのだ。
彼女が目を覚ますまでの間に、彼女の好きな春は足早に通り過ぎてしまった。




『青葉、どこにいるの?』


過行く春を十八と数えたとき、彼女は漸く目を覚ました。
息はしていたのであのまま捨て置くこともできず、抱えながら歩いていれば、背負う彼女は次第に小さくなっていった。おそらく人の赤子となった時、永い眠りから覚めるための人一倍大きな声を上げて起きたのだ。彼女は、もう春ではなくなっていた。
それからまた何事もなかったかのように、普通の人らしく成長していった。
人の言葉を話すようになってからというもの、中身は春とはあまりにかけ離れていて、いや、ある意味春の純粋さをそのまま引き継いだかのような中身をしていたので、春と呼ぶには心地が悪く、名前と名付けることにした。

名前は確かに、高い治癒能力をもち、時折癇癪を起すと瞳は赤く色づいた。
これではさぞかし、人の群れの中では、生きづらかっただろう。


『青葉ー?』


足元で見当たらない青葉――紅葉と同じ顔で呼ばれることも心地が悪かった――を探し回る、彼是齢十六になる名前の気配を読む疎さが面白く、こういうところは春とは違った。彼女は気配に敏かったが、もしかしたら、それは彼女の育つ環境の所為だったのかもしれない。
枝に腰かけながら、不貞腐れて段々と瞳が赤くなりはじめる彼女を見ていた。


『……誰だ、お前は』


生い茂る葉に隠れて見えないが、少年のような声をした誰かがそこにいた。名前は初めて、青葉以外の他人を見つめ、それから、突然刀の柄に手を置いた。


『――紅葉みたいね』


気付けば名前は刀を抜いていて、眼前の誰とも知らない少年に斬りかかっていたのだ。
少年は突然のことながらも、身軽にその剣先を避けている。もれる盛大な溜息を隠さずに、青葉は枝から飛び降りて、彼女の細い腕を掴んだ。ふわりと、少年の髪が風に揺れる。
腕の中で暴れる名前を制しながら顔を上げれば、目の前の少年は彼と似た髪色をしていた。この日ノ本でそうは見ることができない色だ。彼ももしかしたら、人ならざるものなのかもしれない。そんなことを考えていたからか、暴れる彼女の肘が青葉の顎を打ち付け、一瞬視線が外れたことで緩んだ腕から抜け出し、惚けている少年に向かって刀を振り下ろした。


『その色は、紅葉のなの』


理不尽だ。言いかけた言葉を飲み込んで、もう一度彼女の腕を捕らえる。少年は、咄嗟に出た左腕に切り傷を負ったが、それもすぐに塞がったようだった。
少年の額には小さな角が二本、生えている。そういえば、昔は彼のような鬼と呼ばれる種族も見かけていたなと思い出した。最近はめっきり見なくなっていたが、これだけ早い回復力にあの角ということは、それなりの純血の鬼なのだろう。
面倒な相手に喧嘩を売ったものだ。


『――きさま! 何者だ!』
『おい、止めろ、子供相手に何をしてるんだお前は』
『――〜っ! だって春が!!』


剥き出しの鋭い爪を剥いてきた彼に、尚も刀を鞘に収めない彼女。
話し合いは望めるわけがなく、二人とも矛を収めない。仕方がない、と一度名前を離し、足元の花を手折る。唇に近づけて、ふっと息を吐いた。
掴みあっている二人にその香りが届いたとき、そのまま膝から崩れて落ちた。少年の家など分かる筈もないので、手近な木の陰に横にならせ、早々にその場から逃げ出した。

四半刻もしないうちに目を覚ました彼女の頭を、起き抜けに強く小突いた。


『お前は馬鹿か、何がしたかったのか皆目分からん』
『春が! 春が、ずっとうるさいんだもん』
『――は?』


小突かれた額を抑えながら、彼女はとうとうと春の名前を出す。曰く、頭の中で春がだめだという強い意思を受けると、実行するまでやめてはくれないのだという。頭が痛い、と蹲った彼女は、紛れもない春の肉体に名前がいるだけにすぎないのだ。

名前という人格は、単に傷ついてしまった春の肉体を守るために生み出されたに過ぎないものなのだと、そこで初めて理解した。
名など、つけるものではなかったのだ。春と名前は全く同じものであったというのに。
それから、春の肉体は十八を境に退行と成長を繰り返していった。本当に――紅葉の最後にまで、付き合っていたいようだ。
――彼女が退行し赤子に戻るたびに記憶はなくなり、新しい名前が生まれた。そのたびに、以前の名は捨て、新しく名を変えてはまた捨てた。
紅葉、青葉、透、花楓、志季、そうして、光と名を変えた頃には、名前も、春の肉体も、深層にある春の思念も、随分と壊れてきてしまっていたようだった。
もうこれで最後なのかもしれない。願掛けで縛った彼女と共に季節を繰り返していたことで、彼自身も変容してきてしまっていた。
彼女の、春の、唯一の願う神様にも成り切れず、彼女の願いを叶えてあげることももうわからない。それでも、そうだ。

枯れるのと、散るのは、同じがいい。

だから、五番目の名前には最期の呪いをかけた。
これが、紅葉と春の、最期の話になる。


とある赤錆色のお話

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