未来はいつも
新年を迎えたというのに、新選組は相変わらず張り詰めている。大阪と京を結ぶ街道の一つである鳥羽街道を通って京を目指していた旧幕府軍と、立ちはだかる薩摩軍との間に開かれた戦端が奉行所の方にまで迫り来ていた。しかも奉行所を見下ろす高台に砲台を構えていた。状況は、誰が見ても逼迫していた。
銃創で熱の下がらない近藤を大阪の松本の元へ送り出されたのがつい先日のことだ。沖田の悔恨の滲む背中が奉行所を勝手に飛び出す様を、あれから見ない。彼は彼なりに、どうしようもない気持ちと戦っているのかもしれない。
夜番を終えて仮眠を取ろうと眠りについてから暫く経って、俄かに騒然とする気配に目を覚ました。――藤堂は死亡者扱いされそもそも表立って出られず、沖田は羅刹なので日中に動くことは厳しい。そして近藤もいなくなった。必然、昼間の新選組は圧倒的に人手不足だった。
夜着を剥いで、髪を結び直す。着流しの帯紐を留め直し、刀を持って広間へと顔を出した。そこには、浅葱色を羽織り鉢金を締めた原田の姿があった。十番隊に指揮を送る彼は、自身も戦地に向かうべく身を翻した。
「! 名前じゃねえか。お前夜番だったはずだろ」
「俺もいきます」
彼は唇を結び、一瞬の思案の後広間の奥の座敷に向かうと押入れを物色して羽織と鉢金を取り出してきた。
「…他の隊員も多くいる。見分け付くように羽織っといてくれ」
「はい」
「――一人で突っ走るなよ」
ここにきて何年が経っただろう。恐らく彼は、この羽織を渡したくはなかったようで、俺が差し出した手に羽織を乗せるとぐっと指先に力を込めた。
「……本当は、お前には普通に生きてほしかった。こんな血腥いこと、やらせたくはなかった」
今更だけどよ、と彼は息を吐くと、額を軽く叩く。
「行くぞ」
着古していたかのような袖感。小傷の入った鉢金。
後頭部でしっかり留めながら、原田の後ろを追いかける。十番隊の顔ぶれも、最初の頃とまた変わってきたなとなんとなく思った。
奉行所の高台方面に、薩摩軍は銃を構えて進軍していた。前衛部隊に銃、中衛以降は刀を持っている者も多い。全員に行き渡らせるだけの備えがないのか、あるいはまだこれが序盤戦だからとでもいうのだろうか。
浅葱を捉えた途端、銃を構えて一発撃ち抜いた。まだ射程外の距離のようで、地を穿っただけに終わるそれは布告だ。
――原田が槍を構える。俺は刀を抜いた。
「行くぞお前ら」
永倉率いる一、二番隊も後方で合流する。じりじりと互いの距離を詰めながら、組長を筆頭に駆けだした。同時に砲撃の音が響き渡る。進路を阻むように放たれる銃の威力は凄まじいが、的中率は低い。弾を穿った反動で銃身が大きくぶれ、定まらないようだ。それでも銃弾を受ければどうなるかと考えれば、容易に特攻する気持ちなど湧きもしないだろう。足の竦む怖さも凪ぐように、前衛陣営に踏み込んだ原田の槍が振り払われる。それにつられて、各隊員がなだれ込む。
銃撃の音。地面にくずおれる背中。この顔は、見覚えがあった。
高く跳ね上がる。逃げ場のない空中を好機と見たか、いくつかの銃口が上を向くが常に動く敵はさぞ狙いづらいことだろう。着地の瞬間に穿った弾は頬を掠める。振り下ろした剣先は、しかし銃身を叩き折るまでにはいかなかった。中途半端に斬り込まれた剣先が噛み込む。男をそのまま蹴り倒し、奪い取ると地面に銃を叩きつけて食い込んだ剣から外した。
右側で発砲音。地面の男を盾にそれをよけ、背後にいた薩摩藩士の心臓を貫いた。
屍の山に足を取られる。浅葱の羽織が血に染まる。
何人目だかわからない男を斬り殺す。血と脂で切れ味の悪くなった刀を凪ぐも、変わらなかった。
後退と前進を繰り返し、前衛の弾切れに陣営を切り崩しにかかったが、後方から再び銃弾が降ってきた。
「援軍か…!」
誰かの零した呟きは、今は絶望的すぎる。
原田の派手な髪が揺れる。先陣を切っていた彼は格好の的だ。一時撤退を指示した彼の背後で、銃身が陽光に煌めいた。
重い音の後に続く肩口に弾けた痛み。思わず刀を取りこぼしそうになって握り直す。
原田の胸に身体が落ちて、彼は槍を引き付けてその男の胸を一突きした。
「馬鹿野郎! なんでお前が…!」
「っ左之さん俺はいいから下がりましょう! これじゃあ恰好の的だ!」
腹を支える彼の手を退けて構え直す。倒れた死体から脇差を抜き取り、迫りくる銃弾を叩き落した。
原田は退路を確保しながら、苦虫を何度も何度も噛み締めていた。
日が落ちるまで、そんな攻防は続いた。
――春の事を考える余裕もない銃弾の雨だった。原田を庇った肩だけに収まらず、足に腕にいくつか受けたが、どれももう治り切っている。ぐずぐずとする頭痛が怖くもあったが、ひとまず、何とか持ちこたえられた。
奉行所に連れ帰ることのできた隊員を引きずりながら戻り、深く抉った地面に並べる。弔う線香もないが、手を合わせて全員が戻ろうとした時だった。
「名前」
ずり落ちた鉢金を引きはがしながら、原田は俺を呼び止める。
そして、左腕を掴むと肩まで一気にたくし上げた。血の流れた後がこびりついて、渇いたそれらがぱらぱらと落ちた。
「…治ってますよ、もう」
「――悪かった」
誰もいなくなった奉行所の裏庭は、黄昏の色に沈んでいる。周囲に立ち込める硝煙の臭いに、鼻の奥が痛んだ。
原田の声だけが、そんな静かな空間にぽつりと落ちる。
「お前に庇われてまで、俺は生きのびたくはねぇ」
「……」
「治るからって、盾になるのは違ぇだろ」
それは、俺を通して誰かを見ていた。ゆっくりと下ろされた袖に、もう一度悪かったと、初めて聞くほどの声音でそう告げられた。
「…でも、気付いてたのに、無視はできない」
原田は、ぐしゃぐしゃになるまで頭を掻き撫でて、助かったと呟いた。
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