来はいつも

君の空五倍子色の意地 3 / 3


火を放たれた奉行所から、新選組は散り散りになって逃げだした。落ち合う場所は分からなかったが、恐らく大阪には近藤に徳川慶喜も居を留めているはずなので、必然的に足は大阪城へと向かっていた。


「名前君、名前君…!」


奉行所を抜けた途端に事切れたように倒れ込んだ名前を沖田が抱え込もうとした際、敵に囲まれそうになるところを原田が道を確保してくれたおかげで今、四人で森の中を走り抜けている現状だった。
声をかけてはいるが、名前は目覚めず、傷が痛むのか時折魘されている。――何故か、倒れ込む間際に打たれたふくらはぎの銃創から、血が止まらないのだ。止血をしても、他の所からも出血しているのか布からにじみ出た血が止まらない。


「総司、大丈夫か」
「別にこのくらい大したことない。それより、早く松本先生のところに――!」
「誰だ」


突然、原田のきつい声が上がった。
その声に催促されて、がさりと生い茂る葉の群れから見知ったか顔の男が現れた。久しぶりに見た彼は、なんと表現をすることが適切なのか分からないが、まるで花の盛りだった最初の頃から、萎れていっているような、そんな雰囲気をしていた。
彼は暗い髪を揺らせながら、こちらに近づいてきた。


「――」


名前を、言っていたような気もした。けれど、随分小さな声過ぎて、拾いきれない。
沖田が僅かに後退し、代わりに原田がその前に立ち塞がる。


「何の用――」
「春、ごめん、ごめん。名前」


暗闇の所為で気づかなかったが、彼の身体も傷だらけだった。地面に落ちる転々とした液体が、闇の中でも赤く見えた気がした。
がくりと膝からくずおれた陽月に、千鶴が慌てて身体を支える。どこが傷口なのか探すまでもなかった。伸ばした手に粘液質なそれらがぬめりと張り付いて、泣きそうな声を上げてしまった。


「千鶴、肩貸して歩けるか。追手が来るかもしれねえ」
「は、はい…!」
「悪い、ね。ゆき、むら、さん」
「無理して話さないでください…っこんなひどい傷で、よくご無事で…」


膝を奮い立たせれば、彼は少しだけ体重を寄せて、それでも自力で歩けるようだった。
――名前の傷も、彼の傷も、本来であればすぐ治ってしまうはずだ。彼らはそういう身体なのだと、言っていた。流石に息も絶え絶えの陽月に問い質せるような状況ではなく、それは後ろを歩いていた二人も同じようで、ただ沈黙が過ぎていった。
どれほど歩いただろうか、平時であれば大阪城など然程の距離もないが、怪我人を二人も抱えて歩く道中は進みも遅く、ましてや追手の事を考えるとむやみやたらに進むことも憚れた。直に夜が明けるのか、白んでいく空につかの間の安堵を覚えた。いや、朝日は羅刹にとっては致命的だ。思わず沖田の方を振り返れば、彼は目を眇めてはいるが何とか持ち堪えているようだった。


「…ここらで一度休もう。流石に夜通し歩き続けて疲れたろ」


原田の言葉に、少しでも茂みに隠れられそうな木の根に腰を下ろした。原田が周りを見てくるようで、沖田は目の前に座り込んだままこめかみを押さえている。
名前の出血は収まってはいるようだった。銃弾は最初の頃に取り出してしまっていたので、傷口が膿まないようにさらしを変える。細い皮膚の糸が網の目のように傷口を覆っていて、身体のほうも傷を治そうとはしているようだった。


「…彼は、傷を負い過ぎたんだ」
「え?」


陽月は体中に張り付いた血を泥と血にまみれた布で拭いながら、目の前に座る沖田を見た。沖田は朝陽の所為で頭が痛むのか、いつにないほどの目つきで陽月を睨みつけていながらそう言った。
疑問ではない、知っている風な口ぶりだった。


「……散るのも枯れるのも、同じがいいってな」


目を瞑りながらそう言った彼は、自身の首に手を添えた。――名前の傷痕があるあたりを指で確認するようになぞって、力なく腹の上に手を乗せる。彼の傷も塞がってきているようで、もう苦しそうな息を漏らすことはなくなっていた。


「――敵の姿は、今のところなさそうだ」
「おかえりなさい、原田さん」


索敵から終えた原田がこの奇妙な空気を察したのか、眉間を僅かに寄せて千鶴の方を見る。彼女にも、彼らの会話の断端が理解できていなかったところなので、首を傾げるほかなかった。


「ねえ左之さん」


彼は名前を映して、それから原田を見上げた。


「千鶴ちゃんを連れて、先に大阪城に向かった方がいいんじゃないかな」
「……名前が自力で歩けるならまだ考えようもあったけどな。確かに俺と千鶴なら昼間も歩ける。だけど残ったお前が手負いを二人置いて敵に囲まれたらどうする。こいつはとりあえず順調かも知れねえが、まだ名前は目も覚ましちゃいねえ。仮に俺が千鶴と名前を連れていったとしても、どっちを選んでも愚策だろうが」
「…このまま五人で逃げている方が最善だと思う?」


――陽月も万全ではない以上、戦力とは考えられない。純粋な戦力が原田と沖田しかいないこの状況では、二人を分けたところで怪我人を抱えて逃げるにせよ戦うにせよ、敵に囲まれた際に太刀打ちできない可能性の方が高い。


「……っ、」
「! 名前君…っ?」


すぐ左隣であがった呻き声に全員の視線が名前に向く。彼女は日差しを眩しそうに目を細めながら瞬きを繰り返せば、ゆったりとした動作で辺りを見渡した。


「…ここは、」
「奉行所から、大阪城へ向かう途中だよ」
「――わ、たし」


一陣の風が、木々を揺らす。そのざわめきに紛れて、沖田が立ち上がり、一切の迷いなく刀を抜いた。木漏れ日に反射する刀身を、名前は身を竦めて怯えていた。
彼女の左手を、陽月が握りしめる。沖田を見上げながら、彼は穏やかに笑っていた。


「…やめてくれ」
「――僕は、名前と約束したんだ」
「もう、混じってるんだ。無理だよ、沖田組長」


彼は剣を抜いたまま、それでも、構えることはなかった。原田がその一挙手一投足に目を瞠りながらも、歯噛みして刀を納めない沖田の肩を掴む。


「何やってんだよ総司」
「……春、もういいんだ」


陽月が、名前の刀の柄頭を抑え込む。柄に手をかけていた彼女を宥めるように、葉の重なる音に紛れるような声で諭す。


「ここにはもう、病んだ村人もいない。お前を呪う人もいない。お前が怯える人はもう、いないんだよ」


血に狂う人だと思っていた。名前の中に住まう春という人は、ひどく可笑しそうに戦うことを好んでいて、血を見るのが好きな人だったのではないのだろうか。このちぐはぐな目の前の彼女が一体誰なのか、原田と千鶴には到底分かりようもなかった。
――沖田が、地面に刀を突き刺した。ずるずるとしゃがみ込む彼は、丸めたがる背中を隠しもしないで、ただずっと、押し黙っていた。


君の空五倍子色の意地

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