未来はいつも
翌日、昼頃に松本がやってきた。
一通りの診察を受けた後、帰ってきた言葉はあと一週間との言葉だった。彼は顎に手をやりながら、来週の末まで大人しくしてりゃ好きにしていいと笑って言った。生きてるのが奇跡だな全くと言葉を零して行きながら、治療道具を片付けている彼の背中に新選組の動向を聞けば、長い沈黙の後に彼は困ったように笑った。
「――今は、上野で慶喜公の警護をしているそうだ」
一言、そう言っては他の幕軍の傷を見に行くからと隠れ家を出て行った。
――今すぐにでも出て行きたい気持ちではあったけれど、ここまでくれば一週間など短いものだろう。山崎との約束があった手前、押し通す我儘が憚られた。柔らかな日差しが降り注ぐ縁側に陽月と腰かけながら、くたびれた柄糸を撫でていた。
それから一週間、きっちり守っていざ明朝に松本の再診を待っていた夜のことだった。草木も眠る夜半に、物音ひとつ立てないように松本はやってきたのだ。それも一人ではなく山崎と、もう一人の誰か。ここに連れてくるということは新選組か、もしくは幕軍でも事情を知るような人だろう。どう考えても、前者の可能性が大いに高い。既に眠りこけていた頭を叩き起こして夜着から這い出て、玄関から引きづられるように奥の座敷に入っていった誰かの後を追う。蝋燭の灯る障子から隠れるように聞き耳を立てれば、酷くせき込む声がした。
指先は障子を突っかけて、咳き込む声に穏やかな松本の声のする部屋の中へと踏み入っていた。
「――総司」
山崎と松本に介抱されるような形で蹲っていた彼は、こちらを見上げることもできずに渇いた咳をして、何度も続けざまに吐き出した咳の後、手で覆った指の隙間から一筋の赤が滴った。
「……変若水の力をもってしても、彼の病は払えなんだ」
松本の苦渋の滲む声が落ちる。
へたりこんだ床は冷たかった。漸く目線が同じ高さになったことで噛みあった彼の瞳は震えていて、交わった一瞬の後はずっと伏せていたままだった。
山崎が腕を引っ張り上げて、ここでは冷えるだろうと座敷の中に押し込んだ。沖田は背中に夜着をかけられて、畳に蹲ったまま動けずにいる。山崎と松本がそれぞれの用向きのため一度部屋から出て行くと、ひたすらに音のない時間が過ぎていった。
「――……総司」
後ろに結いあげていた髪を切ったのか随分小ざっぱりした彼の服装は洋装に変わっていて、暫くの間に新選組も変わっていったことを知らされた。沖田は落ち着いてきた呼吸の隙間で何度か言葉を取りこぼしながら、それでも目は伏せたまま、まるで涙の代わりに声を落としていった。
「…負けたんだ」
強く握りしめられた拳が震えていた。
新選組が甲府城まで行き、そこで待ち構えていた新政府軍との交戦で負けたこと。近藤に負け戦をさせたこと。そうして江戸へと戻ってきた頃に、血を吐いて倒れたこと。
だから、松本は嘘を吐いたのだ。甲府での戦況も知っているからこそ、知れば俺が飛び出していくと分かっていたから。
ぽつりぽつりと零した言葉に滲む悔恨が、沖田の心臓に絡みついていく。どれだけ羅刹の力を使って強くなったとしても、肺腑を食らう病魔に体力を奪われていく。
痛みと苦しさと遣る瀬無さと全てに蹲る沖田を前に、俺はただ、黙って零れる言葉を拾っていくしかできなかった。
「…羅刹になって力尽きるまで、甲府で戦おうと思った。近藤さんに負け戦なんてしてほしくなかったから……でも、殿で戦いながら、君のことを、思い出した」
沖田は重い夜着に逆らうように身を起こして、そこで初めて、俺を捉えた。深い翠の瞳が、歪んでいく。――初めてだ。こんなにも胸臆を吐露して、にじみ出る感情に表情を歪ませる彼の姿。剣豪だと、新選組きっての撃剣家だと謳われてきた沖田総司は、今は見る影もないほど弱かった。
彼は腕を伸ばして、俺の肩を掴んだ。そうして引き寄せた弱くはない力で、胸の中に抱き込んだ。
「…名前を、このまま独りにはさせたくなかったんだ」
心臓の弱い鼓動が、聞こえる。
彼の広い胸に小さく収まる俺の身体を抱きしめる力は緩まない。武骨で豆ばかりで、大きな手が肩を掴んで離さない。
シャツごしに伝わる体温は冷たかった。彼が息を吸うたびに胸に宛てた耳から聞こえる音は綺麗ではなくて、それでも、名前を零す声のたどたどしさに唇が震えた。
「…生きてって、総司は言ってたけど」
新選組がこれから立ち行く道は、山野に屍を晒される戦だ。そんなところではない場所で生きてと残した彼の言葉は、あんまりだ。だって、彼と俺は、もう同じ化物だったのだから。
脇から腕を伸ばして、刺繍の入った洋服の肩口を指で辿る。
「最期まで、同じ化物でありたい」
小さな子をあやすように背中を撫でれば、馬鹿みたいだと笑った声が落ちた。
それから数呼吸の後、俺に体重を乗せるように気を失っていった沖田を布団まで引きずって、薬と火鉢を用意してきた松本と入れ違いに出て行った。
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