来はいつも

果ては白磁色の往く道か 2 / 3


起こすまでもなく、彼は障子を開けて空にぽっかりと浮かぶ月を眺めていた。
障子に寄りかかりながら、俺を見上げると彼はへらりと笑って手を挙げた。夜の散歩かなんておどけたように言うので、徘徊だとだけ返しておく。


「…甲府にいっていること、知ってた?」
「ああ。でも拠点は釜屋のままだった」
「…陽月は、俺より先に死ぬの?」


一人にさせたくなかった。
沖田の言葉が、ずっと引っかかっていた。陽月と千駄ヶ谷に身を寄せていることは知っていて、彼の身体がもう壊れ始めていることも知っていて、俺の先が長くないことも知っていて、それでも、一人にさせたくなかったという。それは、俺が終わるときは一人になってしまうからなのだろうかと、思ってしまったことはただの考え過ぎなのだろうか。
光であった頃よりも黒くなっている髪色を視界に映しながら、正面に腰を下ろした。
陽月は少しだけ目を伏せた後、ごろりと横になった。廊下に頭を出して、見上げた先には変わらず月があるのだろう。今日は確かに、月は満ちていて眩しかった。


「……なあ、あの金髪の鬼が俺たちの居場所を探していることは知ってるか」


春と風間の間に何があったのかを知らない。春が存在していた時代は確かにこの時であったとはいうが、俺の中ではこの世界は区切られた画面の中のものだったはずだ。それが記憶にはない流れが混ざり込み、けれど確実に大きな流れには沿っていて。
考えていることが分かったのか、陽月は笑いながら世界線は一つじゃないんだよと言った。


「人の縁っていうのは切れ難くてね。どうしたもんか…」
「それと、陽月の最期は関係があるの?」


話を挿げ替えようとしているのか、彼の逸れた話題を元に戻せば、あからさまに苦い顔をした。


「いつかは終わる。それは確かだ。でも、俺は、名前を連れてなんか――」


そう言葉を切ると、彼は再び黙り込んだ。


「…総司に、何を、言ったの?」


陽月は起き上がり、俺の目から逃げるように顔をそむけた。


「…俺は、風間を追おうと決めた。あいつが春との最後の縁だ。俺が断ち切るべきだ」
「――俺を置いて、行くっていうの」
「そうだ。お前は、最後まで人として生きろ」


目を合わせない。陽月はなおも向こうを見つめたまま、話は終わりだと立ち上がった。
――ようやく、陽月と向き合えた気でいた。ここにきて過ごした日々は穏やかで、けれど心のどこかで新選組のことを考えながら目の前にいる陽月を見ていた。山崎がつくるご飯はどれも美味しい。陽月が作れば味の偏りが著しく、彼が台所に立てば山崎が様子を見にきてばかりだ。そんな背中を、面白がって眺めていた。剣を振るおうとすれば叱りに来る山崎を窘める陽月がどやされて、結局縁側で茶を啜る時間に変わった。
もう、山崎は出ていく。沖田は合流できる兆しはなく、新選組として彼を看病する必要はなくなった。松本がここで病床に伏せる沖田を診るというからには、沖田ももうここからどこにも行けない。


「…っふざけんな」


陽月の胸倉を掴み上げて、それでも合わない双眸に腹の奥がざわついた。


「なんで一人でいつも勝手に決めるんだ! なんで、俺の意見は聞いてくるくせに、自分のことは話してくれない!? 名前だから、俺は春じゃないから、陽月が願っている者には俺はなれないから? 春を狂わせたのが名前だから?」
「っ!」


ガタガタッ!


胸を押せば、よろついた陽月が障子に身体をもたれかけて、弾みで障子が外れた。彼は落ち着けよ、と襟を握りしめる手を引きはがす。ばたばたと奥の方から足音が響いてきた。


「…春なんか大嫌いだ。俺は俺でいたかった。俺は春になんかなりたくない」
「――名前君! どうし、」
「それでも! 春が死にきれなかったのはあんたが死ぬまで一緒にいたかったからだ! だったら、春に成り損なった俺を置いて生きてるのか死んだのかもわからないようなことはするなよ!」


外れた障子の前で座り込む二人に、山崎はただ黙ってみていた。
――春でいることを否定した。だというのに、春の最後の望みくらいは聞いてやろうという、傲慢だ。
暗く淀んだ髪が風になびく。秋の山々に似ていた瞳が、僅かに波紋を呈した。


「…また、化けて出てこられたらきりがねえか」
「……今度は春だか名前だかよく分からないものになってるから」
「それは……困るなァ」


ぐしゃりと前髪をかき上げた彼は、おもむろに立ち上がって庭先に素足で降りた。月の光を浴びながら、数歩歩いて俯く。影は、薄かった。


「俺は、春を連れて逝くよ。散るのも、枯れるのも、同じがいいんだ。俺も」


はらはらと、光る粒が地面に零れていくのが見えた。零れていきながら、足元に細い赤の花が咲いては枯れていった。あれは、なんという花だっただろうか。その様を見下ろしながら彼はとめどない涙をこぼしながら顔を上げた。


「春を終わらせに行こうか、名前」
「……そうだね」


ああ、そうだ。
あの赤い花は、秋も終わる頃に畦道でよく咲いていた花に似ている。彼方と此方を繋ぐ花。花は葉を、葉は花を、一生追いかけながら生まれる花。
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