未来はいつも
「山崎さん、お元気で」
「ああ、君たちも。どこかで会えたら――いや、また、何処かで」
沖田の容体が落ち着いた五日後、山崎は本隊が移動先とするらしい流山の金子邸へと出立した。おそらく、これが最後だろう。釜屋にはまだ幹部方が残っているようで、挨拶に行くなら早い方がいいとそれだけ残して去っていった。萌黄の着物を、見ていた。見えなくなるまで、ずっと。
「…俺たちは、明日、ここを出よう」
「うん」
今日のうちに、釜屋に寄って、それから明日以降の道程を決める。
千駄ヶ谷には戻らない。行先は恐らく、新選組とは同じだろう。風間は新選組の行動を見ながら周辺にいるであろう俺たちを探しているようなので、できれば彼よりは先に見つけ出しておきたい。戦禍は避けておきたかった。
少ない荷をまとめて、沖田の部屋をのぞく。彼は身を起して火鉢に当たりながら、ぼうと両手を見つめていた。
「入るよ、総司」
まだ日も昇ったばかりだというのに、起きていてつらくはないのだろうか。そう問いかけようとした言葉を噤む。そんなわけがないと、顔色が物語っていた。
「…寝ないの」
「うん、もう少ししたら。山崎くんは?」
「今さっき。起きてたなら、見送ればよかったのに」
なんで僕が。
そう言わんとした雰囲気が伝わって、呆れ笑う。常に戦場を駆けずり回っていた彼らとは、また違うのかもしれない。これは、押し付けられない価値観だ。
襖を閉めて火鉢を挟んで彼の前に腰を下ろす。藺草の匂いに込みあがっていた寂寥を後押しされて、鼻を啜った。
「……俺は、寂しい」
「そうだね。彼とはもう、これが最後だろうから」
「…今日、釜屋に行こうと思うんだ。みんながまだ残ってるっていうから」
総司は、これからどうするの。
言ってはいけないとは思った。けれど、考えるより先に言葉が口をついて出てしまう。なんて酷なことを聞いてしまったのだろうと思いながらも、すぐさま否定してしまえば、彼の選択肢を断ってしまうような気もして、まごついた唇をかみしめる。
沖田は何ともない顔をして、まっすぐに俺を見た。
「僕も、ついていってもいい?」
「――え」
まだ、何も話してはいない。ただ挨拶にだけは行くのだということは昨日初めて彼に伝えた。それまで話せるような状態ではなかったのだ。
「…陽月に、聞いたの?」
「――ううん、そうだろうなと思って」
思わず、笑った。新選組の嫌味役であった沖田総司は健在だ。そういう人ほど頭の回転は速い。
彼は疑問に満ちた眼差しをこちらに向けて、ごろりと布団に寝転がった。
「…近藤さんに、言われたんだ。もう休んでいいって。でも、僕はまだ、どうすればいいのか分からない」
彼は新選組の剣でありたかった。
もうそんなことを言うことなどできないと、沖田が一番に理解しているだろう。だからこそ、分からないと言うのだ。剣でありたい沖田の心は今すぐにでも本隊に迎合したいだろう。そうできない身体の矛盾が戦場で役に立たないことを嫌でも頭に染みついているのだ。
「――うん、一緒に、さがそ」
「…ありがと」
「珍しく素直」
「僕はいつだって素直だけど」
「冗談」
どちらともなく落ちた笑みは、涙を注いだ音がした。
夜着を肩まで引き上げて、子守歌でもと言えば舐めてるのかと些か不機嫌な声音で返されたので声を押し忍んで笑ってやる。
「それじゃ、おやすみ総司」
「――行ってらっしゃい、名前」
手を振って、静かに襖を閉めた。
釜屋まで陽月と並んで歩いた。彼は隠れ家に残るはずだったのだが、俺が正しく帰ってこられる自信がなかったので連れ立つことにしたのだ。体力が、と時折置いた爺のようなしわがれた声を出すものだから、休み休み歩くこと半日。正午の日差しは疾うに傾き、後ろに長く影が伸びている。帰る頃には夜更けだろう。
釜屋の門をくぐれば、中から忙しない足音が聞こえた。玄関のあたりまで進んでから、ごめんくださいと久方ぶりの大声を上げた。
「――名前君! それに陽月君じゃないですか。いや元気そうで何より!」
「島田さん! お久しぶりです。少し痩せたみたいで、大丈夫ですか?」
「なに、これしき。二人は、どうかされたのですか。てっきり、このまま――」
奥から身体を揺らしながらやってきた島田は、記憶よりは少しばかりこけた頬で笑って、そして言葉を濁した。
「二人……で、北へ向かう旅をしようと。だから、最後の挨拶がしたくて」
沖田のことは伏せておいた方がいいだろう。土方の耳に入れば、どうなるか分からない。
島田はなるほどと頷いてから、バツが悪そうに顔をゆがませた。
「…今は、土方副長と斎藤組長、雪村君に、あともうすぐ山南さんと藤堂組長が目を覚ます頃かと」
「? 左之さんと永倉さんは?」
「…今朝方、ここを出ていかれました」
言葉が、追いつかなかった。
二人が、新選組を出て行った。それは、以前の斎藤のような状況ではなく、離隊してもう戻ってはこないという、そういう言い方だった。声にならない音が口を抜けていって、俯いた俺に島田は入れ違いでしたねと声を落とした。陽月が俺の背中を叩いたあたりで、ぱたぱたと小走りの足音が響いてきた。
「――っやっぱり、名前君!!」
「千鶴、ひさし、ぶっ――うわあ」
「名前君、もうどこも大丈夫? 傷は?」
式台からはねるように勢いそのまま抱きついてきた千鶴は、首に回した腕を解かずに涙ぐませた瞳で問いかける。「大丈夫だよ」と何度言葉を重ねても、彼女は「本当に?」と何度も問うては笑った。
「――原田さんたちには、会えた?」
「…ううん、今、知って。左之さんたち、今どこに?」
「千駄ヶ谷の名前君たちに一目だけでもって、そういって、出て行かれてしまったから…」
「…引き返したら、会える?」
陽月を見上げても、彼は首を横に振った。
「あの二人のことを考えたら向こうで待っていることもないだろうし、道端でなんてそれこそ奇跡だ」
「…そ、か」
こんな最後になってしまうのなら、もっと惜しめばよかっただろうか。いや、そんなことを考えたところで無意味なことで、脳裏に過った原田の声に、ぼろぼろと目の縁から涙が落ちていった。
さぞ、面倒だっただろう。女がずっと同室で、しかも相手はよくわからない人間なのかも怪しい他人で。だというのに、彼はいつだって穏やかに笑っていてくれた。眠れなくなって部屋を出て歩き回っていた時も、彼は飛び起きて探してくれたのだ。春に戸惑っていた名前を、引き留めていてくれたのは紛れもなく、原田だった。
異形の何者かであったとしても、藤堂と同じようなものだと、迷いながらも撫でてくれた永倉の手の温かさを覚えている。新選組にいてもいいと、二人とも笑って受け入れてくれたのだ。
「…名前君」
「――もう、会えないのかなあ、左之さんも、永倉さんも、みんな、会えない、のかな…っ」
ここに挨拶にきたということは、全員がそうだ。千鶴も、島田も、土方も斎藤も、藤堂も山南も山崎も井上も誰彼も。
これから行く旅路は、帰り道がない。行く先は決まっていて、しかも果てはすぐそばだ。遠くにまでは望めない。まるで、一つずつ別れを告げて降りていく、昔に読んだ小説に似ていて、胸がひどく痛かった。
一人一人にさようならを告げに、ここにきたということは、どうしたってそういうことだったのだ。
「――そんなことない。そんなことないよ、名前君」
千鶴の肩口に額を埋めていれば、彼女は俺の肩を掴んで無理やり顔を上げさせた。同じように涙を湛えた瞳で、それでも懸命に笑っている。
「私、ちゃんと名前君のことを覚えてるよ。覚えてれば、いつでもまた会える。絶対、どこにいたって、名前君のこと、見つけられる!」
京の雑踏に紛れていようと、雪山に溶け込んでいようと。
千鶴のその真っ直ぐな声だけは、いつまでも耳に残っていた。
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