未来はいつも
あれから半刻、外庭の長椅子で暮れなずむ空を二人で眺めていた。ほんの少し前まで、この隣にいたのは千鶴や藤堂、沖田たちで、随分遠いところにまで来てしまったような気がした。いや、実際確かに時空も時間も飛び越えてきているのだけれど。奉行所で起きた混乱がひどく昔のように感じてしまう。今も、ここには山梨の敗戦を抱えた沈殿する空気が漂っているというのに。
「…もう、目も覚めた頃だろ。俺はここで待ってる」
「うん」
ぶらつかせていた草履の鼻緒に指を引掛けて、長椅子から立ち上がる。またあとでと手を振った陽月も、どちらかといえば沖田の心情に近いのだろう。
羅刹である藤堂や山南の部屋は最奥にあり、暮れた空のせいで廊下の足元は一足早く夜に沈んでいる。あらかじめ千鶴に聞いておいた部屋まで行くと、中から人の身動ぎする音を聞いた。
「平助」
ぱさりと柔らかい布が落ちる音がした。次いで間髪入れずに開け放たれた襖の向こうに、これまた彼も幽霊を見るような目で立っていた。
「名前!? お前、なんで、ここに」
「久しぶり?」
本当に寝起きだったのか、乱れた布団に紫の羽織のようなものが落ちていた。ベストのボタンは上まで留まっておらず、寝ぐせのついた前髪に思わず腹を抱えて笑いをこらえる。ここで流石に大笑いを零せば、一般の隊士に疑惑の目を向けられることになる――この部屋に誰かいるのかと、猜疑の目を向けられればそれは面倒な事態だろう。それぐらいを考える頭はまだあった。それでもくつくつと忍び笑いを続けていれば、藤堂は流石に呆れたような顔をしてべしりと俺の頭を叩いた。
「寝起きも寝起きだったんだよ」
「ごめん、早く、会いたくて」
「っ! ああ、もう、とりあえず中入れば!?」
そう言いながら布団を畳み始めた藤堂に倣って部屋に足を踏み入れる。後ろ手に襖を閉めれば、羅刹だからなのか、雨戸を閉めていてひどく薄暗かった。
流石に話すには暗いかと、彼は外に繋がる障子をあけて雨戸を開け放つ。夕暮れの茜が、薄っすらと部屋に彩を差した。
「んで、どうしたんだよ。てっきりもう…来ないもんだと、思ってた」
「…うん。皆に、お別れを言いに」
「お別れって、お前どうするんだよ」
「陽月と…総司と、風間に会いに行く」
藤堂にだけは、なんの誤魔化しもなく伝えたかった。何せ、彼も俺と沖田と同じ化物で、この新選組に一人残してしまうから。山南が狂い始めていることに気づいていた。俺だけじゃない、他の誰しもが彼の狂気を感じ取っている。そんな山南と対等になれる羅刹の藤堂を置いてくことは、彼にこの新選組の薄暗さを一身に投げてしまうことと同義だろう。――それでも、俺はここにはいられない。居続けることができない。沖田も、彼とは進めない。最初から持っている最大容量が違うのだ。藤堂はまだ、羅刹としてでも生きていける。
彼は驚嘆の声を滲ませて、逡巡した。風間に会いに行くこと。何故それが必要なのか、藤堂には理解できないのだろう。
「……春との、最後の縁なんだって。風間は、春に会ったことがある。風間は春を殺したいらしいし、今も探してるらしい。だから、会いに行く」
「それ、会って、どうすんだ」
「……どう、するんだろ。もしかしたら、風間から春の記憶をなくしてしまうのかもしれない。陽月なら、それができるみたいだから」
そういえば、探しに行こうと約束をしたあの夜、どうするかとは言わなかった。春との最後の縁を断ち切りに行く。それは、どういう意味だろう。彼と"五番目の名前"が初めて会ったのは冬の或る日で、あの時彼は確かに、忘れてしまおうと言った。彼はそうすることができる。忘れたら、縁というものは切れるものなのだろうか。――そうだというのなら、彼らとの記憶は、忘れていたくない。千鶴は覚えているよと言った。俺も、出来る限りならずっと、覚えていたい。最期のその瞬間まで。
口を塞いだ俺に、藤堂は「…そっか」とこぼしただけでそれ以上は何も言わなかった。
――火鉢のない彼の部屋は隙間風がひどく寒い。彼の晒された項は寒くはないのだろうかと、俯いていた視線を上げる。藤堂は、まっすぐに俺を見ていた。
「…なあ」
部屋に彩を差していた光がなくなっていく。
「名前は、総司のこと、好きか?」
あまりに脈絡のない会話に、目が見開いたまま言葉を失った。
――沖田の事。彼は、俺を好きなんだと思うと言った。まるで他人事めいた言い方で、彼はそれ以上の何かを俺には求めなかった。
ただ、そうだ。いつからだったろう。沖田の巡察を断っておきながら、山崎と二人で買い出しに行ったことをぶつけられた日か、彼が浪士に斬られて血まみれで帰ってきた日か、はたまたもっと前からだったのかもしれない。
「…うん、好きなんだと、思う」
結局、同じようにそんな言葉を選んでしまったのだから、似た者同士なのだろう。
藤堂は俺の言葉に瞬きをいくつか落として、それから躊躇うように俺の左腕を引いた。ぽすりと、彼の胸元に引き寄せられた身体を柔く抱き込んで、藤堂は笑った。
「へ、い、すけ」
「…隊士の勧誘で江戸に行ってた時とか、伊東さんについてった時とか、オレ、お前のこと考えてたよ。また無茶してねぇか、怪我してねぇかなって」
――僕たちは、同じ化物なんだ。羅刹である沖田も、藤堂も、同じ化物だ。けれど、温かくて、まるで取りこぼさないよう声を転がしていくこれのどこか、人ではない化物なんだろう。
「オレ、名前が好きだ」
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