未来はいつも
ひとしきり涙をこぼした後、俺は部屋には戻らずに沖田と共に更けていく夜を過ごしていた。
一人でいるには夜は長すぎる。上縁が欠けた月が青藍の夜空に浮いていて、原田や永倉達も何処かで足を休めながらこんな月を見上げているのかもしれない。いや、どうだろう。酒に浸りながら、猪口の揺れる水面を見ているのかもしれない。二人にはそんな夜の方が似合う。その瞳の縁はこれからの旅路に向けて希望で歪んでいるといい。
あの冬の小路を思い出す。寝相が悪いと叱られたこともあったなと、そんなふうにこぼして仕舞えば隣に腰をかけていた沖田がお気の毒にと笑った。
羅刹ではない俺の身体は時折眠たさに瞼を閉じかけてはしまいながらも、ぽつりぽつりと言葉を落としていく。月は静かに頭上に昇っていく。
「…明日、夜にここを出て、そしたら、どうしよう」
障子に寄りかかりながら霞がかる空を見上げてしまうのは、この部屋の暗さに気持ちを塞いでしまいたくないからだ。
底冷えのするような京の冬とは違う、江戸の乾いた寒さはもう終わりを告げている。
北へは行ったことはなかった。もしかしたら他の名前が住んでいた場所でもあったのかもしれないが、俺はその記憶を持ち得ない。野宿をした経験も、俺にはない。
隣に座り込む沖田も同じように障子に背を凭れさせながら、細く開けた隙間の先にある空を見つめていた。
「さあ? とにかく、新政府軍に見つからないよう移動していくだけだろうね」
「…無計画にも、程があるんじゃない」
「風間が何処にいるか分からない以上は、北を目指すしかないって最初に言ったの君たちでしょ」
陽月であれば風間の気配を辿れるのではないかとも思いはしたが、本人がそうは言ってこないあたり分からないのだろう。もしくはそれすら衰えているのかもしれない。平然とした顔をしてるようで、その実中身など息をすることさえやっとなほどか細い生命線で手繰り寄せ合っていることに気づかないふりをしている。沖田も、俺も、陽月も、笑えるほどに薄すぎる薄氷の上に立っている。
それもそうだねと最早笑ってしまいながら、目を閉じる。
――目蓋の裏で、雪が舞う。もう見られないはらはらと舞う雪。いや、それは桜だっただろうか。新緑だろうか、紅葉だろうか。
ふ、と思わず息をこぼしてしまったのは、二人ぼっちの夜があんまりに静かだったからだ。
「…今にして思えば、京も見て回れば良かったなあ」
「僕の巡察断っておいて?」
「いつの話をしてるの、それ」
「……、あの時、山崎くんと歩いていたでしょ」
閉じていた目蓋を勢い押し上げて隣を見遣る。彼は不服そうな顔を隠しもしていなかった。
――あの時。もうどれほどに前だったのかも忘れてしまったが、沖田の巡察を断り山崎と出かけた日など思い出されるのはたったの一日しかない。この日の話は二人の間ですれ違ってばかりで、こんなふうに直接的に会話に出されたのは初めてであった。
何度も目を瞬かせながら沖田の顔を見てしまったのには、矢張りそうだったのだと憶測ではなく確定事項となったからだ。そしてその二人で行動していたということが、彼にとって不愉快であったのだと初めて知った。
「…何、その顔」
「え…あ、いや…本当に、烝君と二人で買い出しに行ってたことを、言ってたんだなって…思って…」
山崎と二人で買い出しのために京を歩いていたあの日は、斎藤とは出会したが沖田の隊からは無事に逃げ果せられたと思っていた。だからこそ、彼があの日の何に機嫌を損ねているのかを理解しかねていたのだ。山崎も斎藤も漏らす必要がなく、千鶴は口を滑らせでもすれば謝罪をするのだろうから。
沖田ははあと溜息を吐きながらも、その表情は可笑しそうに歪められている。
「面白くないに決まってるでしょ。名前がちゃんと女の子の格好してるの殆ど見たことないのに、山崎君は隣で歩いてたじゃない」
「…あれは、仕事というか」
「僕には結局一度きりだったし――」
畳に放り出していた膝を引き寄せて腕を乗せると、彼はそこに頬を寄せた。視線は名前の膝の上にある風呂敷を見つめていて、どう言葉を返すべきか考えあぐねて唇を噤んだ。
わざわざ言葉にはされなかったその後に続くであろうはずのもの。夏がきたら。風呂敷を渡してそう告げた声。
「――名前」
二人の影が薄く伸びる。月明かりの眩しい夜に、冴え冴えとした沖田の瞳が浮いている。
情けなくも腫れぼったい俺の目尻を、彼の指が不意に触れた。冷たくカサついた指先がもうすっかり乾いた涙の跡を辿っていく。
「だから、僕は我儘を言うし、君も我儘を言ってほしいんだ」
――夜が沈む。
見えない時間が刻まれていく。
「…うん、そうだね」
俺の頬に触れていた沖田の手を取って、二人の間で指を絡めた。
気がつくと、俺は夜が白んでいく前にうとうとと眠りについてしまっていた。
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