来はいつも

願いは月白色に溶ける 2 / 2


入れ替わるように沖田が眠り、その間に陽月と夜に千駄ヶ谷を出る支度を終わらせた。夕暮れが泥む頃に目を覚ました沖田は、まだ微睡を残したような目をさせつつもシャツに袖を通す。釦を掛け違えていれば盛大に笑ったものを、彼はきっちり着こなしていた。最後に腰に刀を差して、雨戸を閉める。微かな月明かりさえ差し込まない隠れ家を、俺たちは出て行った。
ひとまずは新政府軍蔓延る江戸から出なければ話にならない。この三人であれば、囲まれたとしても負ける気などさらさらない――と、この自信は笑えばいいのだろうか。春ももうあれから、夢にも見なくなった。


「存外、江戸を出るのも楽だったか」


陽月が懐に腕を差し込みながら小路から身を乗り出す。戦果に巻き込まれまいとしているのか、夜の江戸は静まりかえっていた。
こんな中、新政府軍が近づけば流石に気配に気付きもするだろう。その点で言えば、この移動は初日にしては楽だった。
沖田も珍しく同意見なようで、ただ頷くことはしたくないとばかりに返事もしなかった。子供じみていると、陽月が俺の顔を見て彼を指さしている。


「はいはい、油断せず進みましょーってね」


くだらないやりとりに笑いを忍ばせながら、陽月の背を押した。
江戸の街道を通り抜け、次第に鬱蒼とし始めた木々の隙間を練り歩く。森が深くなり始めた頃、薄らと白みがかった空に足を止めたのは沖田だった。大木に手を置いて僅かに乱れた息を飲み込んでいる。空いた手が胸を押さえていた。


「総司、?」
「一旦ここで休もう。俺は周りを見てくるから」
「――大丈夫、だから…! 進もう、」
「馬鹿言わないですっこんどいてください」


陽月のいいように返す言葉も出ないほどに、沖田はひたすらに苦悶の声を噛み殺していた。
彼の肩を抱えながら地面にしゃがみ込ませる。耳元で短く浅い呼吸を続ける沖田を見下ろしていた陽月は、足音を一つ立たせると索敵に消えていった。


「総司」
「…っ何度か、もう、あるんだ」


羅刹の発作だと、彼は絶え絶えに言った。次いで、時間が経てば治るとも。
脂汗がこめかみを伝っている。胸元を握り込む指は力みすぎて青白い。対して、開いた瞳孔が赤みを増していく。まだ明けきらない薄暗闇に映えるように、根本から髪が白く染まっていった。
――初めてだった。僕も同じ化物になったのだと、そう告げられたあの日から初めて見た化物としての姿。


「ぅ、ぐ…! っ、は、あ…っほん、と、化物だ…よね」


幹に添えられていた手が俺の右腕を掴むと、弱くはない力で引き寄せられた。彼の頭が俺の肩口に置かれる。


「…総司、俺も、同じ化物だ」


総司だけじゃない。俺たちの間には、それがどれほどに狂っていようと、ただただ化物であるという事実だけがある。


「大丈夫。だから、いいよ」


血を啜らなければこの発作は止まない。
この苦痛を、一人で背負わないでほしい。同じ化物でいたい。
沖田は、しばらく黙り込んだ。首を縦にも横にも振らなかった彼は、俺の背中に腕を回して掻き抱いていた。
森の中で懸命な呼吸が続いている。次第に弱まっていく腕の力に、胸の内側が空いていくような気がした。


「…なんで」
「……今の名前に、どれが、致命傷になるかなんて、分からない、」


たった一筋の傷ですら、もう治り得ないのだ。


「…僕と、同じ化物で、いるなら、それなら、君は、生きて、なくちゃ」
「っ」


――化物と化物。二人でいれば、それが普通だよ。
遠い昔、そう言った春の言葉。赤い景色に塞ぎ込んでいた俺に言った沖田の言葉。
震える唇を噛み締める。
発作が治ったのか、沖田はゆっくりと身を起こして木にもたれかかった。汗で張り付いた前髪を煩わしげに掻き上げて、翡翠の双眸を細める。
名前。彼の掠れた声が名前を呼ぶ。
霞んだ視界を誤魔化すように、沖田の胸に額を埋めた。


「名前?」
「――、た、い」


総司と、生きたい。生きていたい。


「ごめん、名前、なんて…?」


再び言葉にはできなかった。
沖田の弱い心臓の音が皮膚を隔てて響いてくる。それが、どうしようもないほどに苦しい。この音がいつか止んでしまうその時は、どうか同じであってほしい。
――散るのと枯れるのは、同じがいい。
春も、そう願ったように。同じ願いを、抱えてしまった。


願いは月白色に溶ける

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