未来はいつも
陽月は痛みや息苦しさの一つも訴えることなく、静かな呼吸を続けていた。長く、細く、そして少しずつ、終わっていく呼吸。
沖田の髪は依然として白いまま、彼の止めどなく流れるものに、納刀した鞘を肩にかけながら拳を握って耐えていた。目は逸らしてはいるが指先の血でさえ逃げるようだった彼が、この場に坐り続けている理由をわざわざ聞く必要などどこにもない。
「…五番目のお前は、不貞腐れた奴だったよ」
据わらない首を幹に預けて、彼は空を見上げていた。
溢れそうな星空に、いつの間にかぽっかりと丸い月が木の葉の隙間から見え隠れしている。彼の瞳に映っている光景に、何を思い浮かべているのかを知りたかった。
「ここじゃない世界だったとしても、何処だったとしても、お前はお前にしかなれないよ。存在も、理由も、必要性も、そんなの、誰かに認められなくたって、生きてていいんだ。……化物だって、生きてていいんだ」
五番目の名前が幼かった頃、壊れた記憶のおかげで身体の隅々まで生きることを拒んでいた。生を遂行するにはあまりに耐えられなかった身体が生まれた理由も知らず、生まれ落ちた胎も知らず、そういうところを化物だと謗られ続けてきた。誰かにただただ、必要とされたかった。誰かを不幸にすることでしか生きていられなかった――光の死体を思い出すことでしか生きられなかった俺は、他人との境界を薄め続けて承認されない自己を否定し続けて、ここにきた。陽月と対になる刀を差し出された時から、何処までが定められていたものかは分からない。思うに、この結末は何処かの時点で確かに決まっていたことだったのだろう。
――何せ、春も名前も、紅葉との死別を拒んだ結果だ。
「"名前"は、今も、そう思うか」
思わない、とするりと言葉が口をつく。
「…元は春だったとしても、皆といたのは俺だから、役に立つとか、立てたらとか、思ってたけど、けど、一緒にいたかった。"俺"が、皆と一緒に、生きて、いたかっただけ」
新選組のために動けば、必要としてくれる時がくるのかもしれないと奥底で願っていた。役に立てればと口では言いながら、どうか、どうか俺を呼んでほしいと祈っていた。それがいつしか、共に在るためにと変容していった。必要とされるためではなく、千鶴も原田も、新選組の皆が必要だから、力になりたいと思えた。
――今は、彼らとは遠い。新選組のためではなく、苦悶の声を押し殺してでも傍にいることを選んでいる沖田と共に在るために、生きることを選んだ。
こうして新選組から離れて日々が過ぎていく間に、見知った顔が土に埋もれているのかもしれない。それすら知ることなどできないまま、俺も、沖田も、いつかは必ず終わっていく。――それでも。
「…覚えてるよ、ちゃんと。陽月が…貴方が、拾っててくれた記憶も全部。辛いことも痛いことも、嬉しいことも楽しかったことも、全部覚えていれば、何処にいても、見つけられるから」
――彼女は、どれだけの死別を繰り返そうとそう言って、最期には笑うことを選ぶのだろう。名前君と呼ぶ声はもうないけれど。もう、聞くこともできないのだろうけれど。
彼女が選んだ勇気を、俺はあの日、分け与えられたのだ。藤堂からもらった呪いが、目を逸らしそうになる事実から逃さないでいてくれる。一つ一つの別れが背中を押す。
生きることは、いつかこうして終わることだ。春が願った途方もない呪いを、散るとも枯れるとも、まるでその瞬間に全てが無に帰すように言ってしまってはいけなかった。
「…だから、あんたも覚えててよ。――忘れるのは赦さない。覚えて、それで、また見つけにきて」
放り出されていた陽月の足先が、崩れていく。まるで砂の城のように、さらさらと音もなく。
あの十二月の桜が咲く中で、彼は忘却を最善だと言っていた。それは違う。それだけは、絶対に違う。
「春は散る。夏は青く栄えるし、秋は枯れ落ちて、冬は静かに降り積もるけど、また春が巡るんだから」
――生きることが終わることなら、そうしてまた巡っていくはずだ。途切れた円環はない。途絶した終わりはない。忘れないでいれば、終わらない。
緩やかな風が、砂を攫っていく。
しとどに溢れていた涙の所為で腿の着物はすっかり濡れそぼっている。後ろにいた沖田を振り返り、彼の白く冷たい手を握った。白い髪の隙間から覗く翡翠と赤の混ざり合った瞳は、俺を見ていた。
「…しかた、ないなあ。名前のために、僕も、覚えててあげるよ、君のこと」
誰かの記憶に残ることを、本当は春も望んでいたのだろう。死した後も残るものは名だけだ。名がなければ記憶は掠れていくばかりで、呼ぶための名を求めていた彼女が恐れていたことは誰彼からも忘れらされることだったのだと思う。彼も、そうでなければ青葉とは名乗らなかっただろう。
「…っ」
陽月は驚いた顔をした後、ひどく泣きそうになりながらそれでも歪に笑っていた。
「有り難う、私の願いを、叶えてくれて」
紅葉の鮮やかさに埋もれる彼を追いかける記憶。人ならざる春の隣に立っていた、同じ化物。
「……ああ、」
指先が、手首が、肘が肩が、形を失っていく。
「……灰に還るか」
燃してくれるのか。
彼は、眦を細めて言った。
「名前ーーそれじゃ、また、いつか」
『――』
軽やかな鈴の音が聞こえた。頬を撫でていく気配が通り過ぎる。
支えをなくした着物が、ぱさりと地面に落ちた。
戻 | 目次 表題 | 進