来はいつも

東雲色の円環に潜む 3 / 3


「――何の音だ」


低い男の声が木々の合間で木霊する。俺の背後で弾けた声。正面方向で行灯が揺れている。
行灯を持つ誰彼とは距離があるが、背後の男が呼子を鳴らせばどれだけの規模の人数に囲まれるか知れない。
沖田は懸命に息を止めながら苦悶に耐えていて、俺は彼が強く掴んでいた右手を振り解いて立ち上がる。――両脚の違和感が、拭えない。


「っ…何、を、」
「大丈夫。なんとか、する」


陽月の持っていた柄を我知らず握ってしまったのは、最後に彼に頼ってしまいたかったからなのかも知れない。刀を握る右手を、沖田が先程の比ではないほどの力で掴みかかった。


「だめだ…!」


片方の手で心臓を鷲掴みにしながら、よろよろと彼は立ち上がる。背後の足音は刻一刻と近づいてきていて、明確に俺たちの物音を聞き取っているのだろう。言い争う猶予も、何処にもない。
沖田であれば分かっているだろうに、声音を落としたまま言葉を重ねた。息も絶え絶えといったふうで、それでも否定の顔を浮かべている。


「…平助君が変若水を飲んで、君が、目を覚ました時、僕は彼と――陽月と、話を、したんだ」
「話…?」
「彼が死んだら、彼の力がなくなったら、君の、身体が、いつまで保つか、分からない」


――目が覚めた時から、この身体に言いようのない違和感が巣食っていた。
沖田は血に濡れた真っ赤な双眸で俺を鋭く見下ろしていた。羅刹の発作で弱くなっているはずの力に抗ってみても、刀は鞘の中で震えるばかりで一向に振り抜くこともできない。
何処に一体そんな力が、と茶化してしまえたら良かった。まだまだ剣豪は健在だとあっけらかんと笑ってしまえれば良かった。


「…最期まで、一緒に、生きるんでしょ」
「分かっ、てる! だから…!」
「一緒に生きたいから! 戦うんだよ!」
「――何者か貴様ら!!」


腰ほどの高さの低木を越えて、光があたりを照らし出す。一瞬眩しさに瞼を閉じかけさせながら、沖田も俺も、殆ど同じ頃合いで刀を引き抜いていた。
夜に紛れる黒の軍服は新政府軍のもので、彼は沖田の姿を捉えるなり呼子を咥えた。しかし、音を鳴らすよりも先に、沖田の切先が喉元を切り裂く。――的確な剣筋だった。彼は倒れ伏した男からすぐさま目を配らせたが、血飛沫を合図にするかのように別の場所から呼子が鳴った。闇に盛大に甲高い音が鳴り響く。隠れられていたようで、何処に潜んでいるのか分からない。


「こっちだ! 新選組の羅刹がいるぞ!!!」
「はは、緘口令、敷かれてたのに、こんな有名に、なっちゃったんだね」
「馬鹿言ってないで、行こう総司!」


発作で未だ荒い呼吸を繰り返しつつもしっかりと憎まれ口をこぼした彼の腕を引きながら、獣道をひたすらに進んだ。呼子の音は近かった。薄ぼんやりとした視界で捉えられたのは精々四人だった。恐らくはそれ以上の人数に追われているのだろうが見当もつかない中、ほの暗い地面を蹴り続ける。何度も何度も蹴つまずきながら、その度に沖田に立ち上がらされて走り続けた。それでも、追ってくる足音は減りもしない。


「っ、逃げても無駄、か」
「総司」


少し開けた場所で立ち止まる。
複数人の足音と対峙するように振り返る。浅く息を吸い込んで、沖田を見上げた。
彼は相変わらず白い髪を掻き上げて、はあと盛大なため息をこぼした。


「…わざとらし」
「わざとだよ」


ガサガサと乱暴に茂みを掻き分ける音の後、目視で十人の男が現れた。刀が七人、銃が三人。決して容易に切り抜けられる人数ではない。それも、俺は傷を一切追うことは許されない。沖田とて肺腑を冒され、しかも血を断ち続けている。断崖に立たされているかのような気分だ。あの銃が銀の弾丸ではないことを祈るほかなかった。


「この、化物が…!」


銃口が向けられる。退路はなく、足元も覚束ない。
沖田は俺よりも一歩前に身を乗り出していて、男が放った言葉に一瞬呆けた後僅かに首を捻らせた。
場違いにも互いに吹き出してしまったのは、その言葉が俺たちにとって普通となったことに――安堵、というべきか、そう感じたからなのかもしれない。


「名前、前に出過ぎないでよ」
「銃の破壊が先だから無理」
「僕が組長ってこと覚えてる? 規律、本当に守る気ないよね」
「貴様ら何をごちゃごちゃと――!」


パァン!


高い銃声の後、地面を穿つ音が続く。原田たちと共に銃弾の中戦ったのは日差しも差し込む昼間だった。それでさえ射程内でなければ当たらないというのだから、日も昇り切らないこの半刻もない間に片をつけなければならない。東の空は随分と明るくなり始め、最早互いに顔も認識できるほどになっていた。
発砲音を皮切りに、前衛の男どもが流れ込んできた。銃を構える後衛を守る陣営で横に広がって囲まれるも、沖田が手早く一人を斬り倒した。羅刹化していると幾分荒っぽくなるようだ。そんな姿を横目に、振り上げられた剣を防ぐ。ギチギチと鍔迫り合いをしていると、縺れ合う足を狙って銃弾が放たれた。間一髪のところで後ろに飛び退いて回避するが、続け様に隣にいた男が発砲した。当たらない可能性の方が高いと分かってはいるが、避ける方向によっては撃たれることもある。一発が身体を穿たなくとも、掠めただけでもこの身体は均衡を失うのかも知れない。――陽月もう、いなくなった。


「っこの、化物どもめ…!」


振り下ろされる刃から体勢を屈めて一歩踏み出すと袈裟をいきおい斬り裂いた。感触は浅いが無力化はできただろう。右前方に構えていた男の足を振り払い、顔面を蹴り上げて飛び上がる。動き続ける俺を銃口が狙いを定めている。俺に向けられる銃の前に躍り出ると、火花が散るよりも先に足で土を蹴り上げて目を潰し、腕を捻り上げて銃を奪い取ると再び後退した。
銃身を木に叩きつけて投げ捨ててから、沖田の左手の草木に紛れるように構える男の元に駆け出した。


「くそ、弾を持って来い!」


沖田の周りには既に三人が倒れ伏していて、浅からぬ血溜まりができているようだった。沖田のまるで手応えがないと嘲笑う表情が見えた。
銃を構えていた男が駆ける俺に素早く狙いを変えると引鉄を引いた。右足を軸に切り返そうとするも、左側には既に刀を振り上げた男がいた。――立ち止まれば銃弾を浴びることになる。このまま流れる身体では剣を受け止められない。どちらの方が致命傷を避けられるかと思考した刹那、左手の男から血飛沫が上がった。俺は身体が流れるまま左側に転がりながら立ち上がる。


「前出過ぎってさっきから言ってるんだけど」
「ご、め――っ総司!」


沖田は俺を背に追いやると、素早く倒れ伏す死体の山から刀を抜いて放たれた弾丸を弾いた。しかし、弾き損ねた弾の一発が彼の脇腹を深く抉って地面に落ちる。怯まずに踏み出した一歩は大きく、銃を構える前方の男の間合いに入り込むと装填させる間も与えず白刃を振り抜いた。
洋装を赤く染める。じわじわと広がる滲みの奥にある傷口が、ゆっくりと繋ぎ合わさっていくのが目で見えた。安堵も束の間、銃弾の――恐らくは銀製の銃弾――補給をしに駆け出した男の背を追いかけようとしたが、横合いから飛び出してきた男に阻まれた。斬り結ばれた刀に押されながら堪えていると、沖田の空間を薙ぐような一刀が男の脇を両断した。


「名前、怪我は」
「してない、けど、総司…」


真っ青な顔だった。赤い瞳が苦痛に歪まれていて、彼は脇腹を押さえると刀を地面に突き立ててよろめく身体を支えた。
彼の脇に触れれば、常人なら気を失ってもおかしくないほどの流血に濡れている。大丈夫だからと浅い息を吸う彼は、足元に転がる辛うじて息をするばかりの男を見下ろした。
男は沖田の白髪を睨みあげて、薄く笑った。


「ごふっ…新選組の、化物どもが…っ潔く、貴様らも、投降すれば、良いものを…!」
「……僕、たちも?」
「は、は…! 知らぬのか…徳川に、見捨てられ、挙句、近藤が投降し、この、敗、ざん、兵、どもめ、が――ぎゃあ!!」
「――何、言ってるのさ、君」


腹を貫いた一撃。沖田の目は、見たこともないほどに動揺していた。
口から夥しい赤黒い液体が溢れ出ていくのを呆然と眺めながら、投降、と譫言のように繰り返す。


「……近藤さんが、投降…?」
「――総司、逃げないと」
「嘘だ、近藤さんが、投降なんかするわけない…!」
「総司!」
「――何をしてるんです、二人とも!! 増援が来る前に早く!!」


飛び出してきた黒い影に思考が奪われた沖田の手を掴む。懐かしい背中の後を追いながら、白んでいく草木の隙間を肺が痛むまで駆け抜けた。
立ち止まる頃には沖田の白髪も鳴りを潜めていて、俺は崩れるように両膝を打ち付けてへたり込む。


「ど、して…」
「…久しいな、名前君」


彼――山崎は、気まずげに口元の襟巻きを伸ばすと重苦しい息を吐いて沖田を見つめていた。


東雲色の円環に潜む

―138―
| 目次 表題 |