来はいつも

思考交差の灰桜色の裏側 4 / 4


藤堂の言葉を聞いたからといって、その先に何か変化があったかといわれれば、特にない。咄嗟に伸ばしてしまった両手を悔やみつつ、俺は押入れから引き摺り下ろした敷布団の上で嘆いていた。
余計なことをしてしまったかもしれない。
はあと何度目かも分からない深い溜息のあと、小声で平助の馬鹿野郎と呟いた。すっかり彼のステータスは失言役になってしまった気がする。死にたくないなあと零れたのは、本気かも分からないような気の抜けた声だった。


「…名前」


顔を上げれば、襖に近い方に敷かれた布団の上で原田が胡坐を掻いていた。まっすぐに俺を見て、そして問いかける。


「お前、何か知ってるんじゃねえのか」
「……は?」
「――平助が話す前に、どうして行動できたんだって言ってんだよ」
「それ、は…ほら、だって藤堂さんの言うことっていつもあんまりいいことじゃないし……勘?」


上体を起こして笑いながらそういえば、不服そうに彼は眉根を寄せた。ゆらりと行灯の炎が頼りなさげに揺れる。がたがたと一瞬激しく襖が風に揺れ、ふっと火が消えた。
暗闇に包まれた室内で、二人分の呼吸音だけがいやによく響いた。
値踏みするような目で、彼はぼそりと違和感があると呟いた。その言葉に今度は俺の眉間にしわが寄った。原田は暫く無言になり、ふいに衣擦れの音がしたと思えば彼が近くに寄ってくるのがわかった。
まずい。このまま彼のペースに呑まれれば、引き返せない気がした。
俺は生唾を呑み込んで必死に笑顔を取り繕う。


「みんな違うのは当たり前じゃないですか、それは違和感じゃなくて、正当な感性です。あ、きっと他の人にはない何かが俺にはあったんですかねえー。いいことじゃないですか。かの有名な豊臣公だって何かふんい――」
「俺が言いたいのんなことじゃねえよ」


ぐと掴まれた胸倉。近づくその双眸は、とても鋭い。
障子から僅かにもれた月の光に反射して、彼の左頬が照らされた。


「おまえ、」


何も言いたくない、いえない、言ってはいけない。強く下唇を噛み締めて、零れそうになる本音をこらえた。下手にだらだらとしゃべれば墓穴を掘る。――噛み締めた唇の裏が、ほんのり鉄の味がした。


「――男じゃねえだろ?」
「っ」


脳内が急速に冷え込む気がして、喉が渇いて張り付いた。唇が乾燥して、うまく舌が回らない。
ここで白を切ったところで恐らく無意味であろう。原田にそんな嘘が貫き通せるわけが無いし、この状況からしてまさしく"崖っぷち"だ。
俺は逸らすことのできない視線の中で、やっと初めて瞬きをした。


「……は、はは。性を偽ったとして、意味が無い。すぐばれますよそんなの」
「この状況で、白きれるわけねえだろ」
「…嘘じゃないなら切る必要も無いでしょ」


もうこんな茶番は終わりだ。原田は確信しているし、俺は半ば諦めかけている。この話を長引かせる理由も意味も無かった。
なのに、そう、理解しているのに。
口から出てくるのは負けず嫌いの精神によって育まれた屁理屈の大合唱で。言葉だけぷっつりと、脳の神経を断絶したかのように走りすぎていく。最後に息を吸ったとき、ドクンと心臓がいやな音を出した。


「…あんまりこういうやり方は好きじゃねえんだよ」
「……嘘じゃない」


横に結ばれた唇から、息が漏れた。
彼は刹那動きを止めて。
俺は瞬きを一つした。

瞬間背中に響く衝撃。見開いた視界の先は、天井だった。


「っは、原田さ…!」


掴まれたままの胸倉が、横にずれた。あらわになる胸元のさらしに、彼は一層険しい表情をする。俺は、彼の優しさを無碍にして。積み上げた虚勢と嘘が、音を立てて崩れていった。


「…嘘なら、このさらしはなんだよ」


顔に集まる熱が、一瞬思考を止めさせる。ふっと浮かんだのは、彼奴の顔だった。


「…ひ、づき」


小声でもすっ飛んでくると約束したなら。今すぐ、目の前に来てほしい――。いつも他力本願な自分の所為で、誰かが傷つくのを知らないふりをしていた。


「その手を離せよ」


目の前で踊る白刃の閃きに、息苦しさが消え代わりに人の温もりが帰ってきた。ふわりと浮いた体は、陽月によって抱えられる。


「…お前、なんでここに」
「どうでもいいだろんなこと! どいつもこいつも性別、年齢、外見、身分、他人と違う能力! くだらねえ、そんなもん知ったところで糞の役にも立ちやしねえ!」
「行き成り出てきやがった挙句、何言い出すかと思えば――」
「陽月っ! …ちが、っ! 呼んだの俺だけど…でも、原田さんは悪く」
「黙ってろ名前。お前は詰めが甘ぇんだよ毎回毎回!」


八つ当たり、といっては少し違うが、彼がここまで怒る理由が分からなかった。俺は唇を噛んで、目を瞑った。自分のなけなしの意地を守るために、今陽月がここにいる。彼の言うとおり、俺自身の考えの甘さだった。
――十八の女が、性別を隠して生活することはやはり難しかったのだろうか。
頭のどこかで、それだけは静かに響いた。


「……刀を仕舞え、私闘はご法度だ。お前、もう一番組の隊員だろ」


多少冷静さを取り戻した原田が、静かに陽月に向かってそう言った。立場的なもので言えば、彼は幹部で陽月は平隊員。傍から見たとき、分が悪いのは明らかに陽月のほうだった。
それに尚更険しい顔をした彼は、俺を自身の隣に下ろすと剣先をまっすぐ原田に向けた。


「人間が勝手に作った規則、組織に入った俺が順ずるのは道理。だが、これだけは譲れない」


原田が右手を刀の柄に添えた。親指が鍔にかかる。互いに静止状態のまま、冷たく重い気を放っていた。
――どこからか足音が響いてくる。
廊下を軋ませ時折立ち止まりながら、それは確実に俺たちの部屋に近づいていた。


「……左之さーん? どうしたんだ、やけに騒がしい、け…ど……っお前!」


開け放たれたままの襖の向こうから、ひょっこりと顔を出したのは藤堂だった。彼はこの状況に一瞬呆け、鋭い目つきで陽月をにらみつける。
先に動いたのは、陽月だった。


「……」


彼は何も言わず、ただゆっくりと刀を鞘に納める。キィンと甲高い音が響いた瞬間、張り詰めていた空気が緩んだ気がした。俺は細々と空気を吐き出して、がくりと小さく項垂れた。


「…俺は、赦せない」


酷く嫌悪した表情を浮かべて、それから部屋を出て行った。藤堂はその背を目で追いながら、立ち上がった原田に近寄る。二人は難しい顔つきで、座り込む俺を見た。


「…何があったんだよ、左之さん」


刹那の沈黙。
遠くで誰かの声が聞こえた。


「……なんでもねぇよ。言い争いになっただけだ」


本当に、そう目で問うてくる藤堂をかわし、なんでもないともう一度言い放った。それには彼も頷くしかなく、渋々といった様子で引き下がる。
「それじゃあ、俺部屋に戻るから」と一言残して、彼も踵を返し出て行った。
残された俺たちは微妙な沈黙の中で、どちらが口火を切るか伺っていた。また幹部方に囲まれるのかな、なんてぼんやりと考えていれば、原田が乱暴に腰を下ろす。それから盛大な溜息を零して、項をかいた。


「……強引なやり方で悪かった」


罰が悪そうに、それでも俺の目を見ながら彼は言った。目を逸らさなかった。
俺は肌蹴た衿を正して、頭を振る。


「…意地になった俺が悪かったですから」
「……どうして隠してた」


聞き取りづらいような低い声で、そう問うた。


「…男じゃなきゃ、意味無いんです」


その言葉に目を細めた原田に、俺は言葉を続けた。


「女じゃ、だめなんです特にこの時代は。男じゃなきゃ、対等に見てもらえない。刀を振るえない。強く、なれない。――何一つ、守れない。だから、男じゃなきゃ駄目だと思ったんです」


それがどんなに辛いものでも。この男所帯でふりをし続けることが難しいか、一番よく分かっている原田だからこそ、押し黙った。
土方に報告するのだろうか。
それも含め思案顔の彼を見つめ、俺は奥歯を噛み締めた。


「……千鶴といいお前といい…大した女だな」


ふうと苦笑いに近いそれを浮かべながら、彼はぽつりと呟いた。


「…分かった、土方さんにもいわねえよ。ただし、俺が居ない間ちょろちょろ動き回るな」
「餓鬼ですか俺は」
「俺に比べたらまだまだ餓鬼だよ、お前は」


くつくつといつもみたいに優しい口調で言われたものだから、いやに納得してしまう。俺は少し目を伏せて、両の手を見た。


「…陽月を……嫌わないで下さい、彼奴はきっと、もっと別の何かに怒ってたから」


握り締めた手のひらは、何も掴めやしないのだ。――誰かの思いを、分かってあげることすらできなくて。
原田はそれに答えず、僅かに口元を下げただけだった。


「…すみません、わがまま言って」


おやすみなさい。
俺は彼に背を向けて、足元でぐちゃぐちゃになった布団を引っ張った。目を瞑って暗くなった視界の中で、毎夜見る夢を思い出す。
後ろでおやすみと小さく呟かれた声を聞きながら、俺は冷たい布団に顔を埋めた。


思考交差の灰桜色の裏側

―15―
| 目次 表題 |