来はいつも

虚勢と意地の浅葱色の盾 1 / 4


我 が 国 に 訪 れ る 諸 外 国 の 人 間 を 武 力 で 打 ち 払 え 。

我等は天皇を尊ぼう。
我等は天子様を信じ、外国勢力を打ち払うべし。



あの日から既に五ヶ月が経とうとしていた。相変わらずこの狭苦しい和室を原田と共有している毎日だが、それも流石数ヶ月と経てば慣れてくる。
あんなにも寒々しかった季節から一変。
葉は茂り、空気は湿り気を帯びて頭上から痛いくらいの日差しを照りつけている。盆地と言う地形独特の気候は、彼らの不快指数をうなぎ上りにさせるだけだった。


「……じめじめする」


俺は足を放り投げて堂々と和室のど真ん中を占領していた。
廊下に出ることもましてや出かけに行くことさえできないこの冷遇にも慣れた。自分でもよく耐えていると思う。しかし、今少しでも自分の欲求に耳を傾けてしまえば即刻死が待っているのだと思うと、部屋を飛び出す勇気など毛ほどもなかった。
――連日続くこのじめじめとした暑さの所為で、幹部は機嫌が悪いのだ。勿論それだけのために腹を立てるほど彼らは子供でもなければ、抑制のはたらかない人間でもない。眉間に皺を増やさせる原因は、その暑さの所為で足の早くなった食べ物の摂取による腹痛でバタバタと倒れていく隊士たちにあった。
今では全隊の半分ほどが調子を崩しているらしい。
笑えない。
俺は自然と零れた苦笑いとともに、無意識に呟いていた。


「食中毒、侮りがたし…」


平成に比べ衛生管理に天と地の差があるのだ。それに慣れた自分自身が、一番気をつけなければ。
俺は腹を一撫でしてから、襲い来る睡魔に目を瞑った。



ーー林立するビルの群れ。日差しを照り返すアスファルトに覆われた大地。
道路の真ん中を走る白線が、じわりと別の色に侵食されていく。

その光景を、俺はいつになったら"過去の出来事"に押しやることができるのだろうか。









「……ん、……?」


バタバタと騒がしくなった人の声に、俺はゆっくりと目を覚ました。どうにもやることがないと、日がな一日寝てしまうものだ。
部屋の中はぼんやりと夕暮れの色に染まっていた。


「…総司が……ああ、古高の奴――」
「……土方さんがさっき――あぁ? 四国屋か池田屋か……」


恐らく原田と永倉の声であろうその会話は、断片的ながらも俺に一つの出来事を思い起こさせた。

池田屋事件。

俺は思わず飛び起きたものの、今の俺がどうこうできる立場にないことは分かっている。俺はこの小さな部屋からすら出ることは出来ないのだ。
――そのときの俺は、胸の奥のわだかまりは傲慢と不遜からなることを知らないでいた。


スス。


口を真横にきつく結んだ原田は、しかめっ面のまま障子を開ける。俺はおかえりといつものように声をかけると、彼はああと一言答えて俺を見た。


「土方さんが呼んでるんだが…俺は広間のほうに用事があるから、一人でも行けるか?」
「子供じゃないんだから。土方さんの部屋なら覚えてるよ」


そうだな、と彼は苦いような笑みを浮かべて。ああ、でも五ヶ月ぶりに一人で外に出れるんだ。
そう想えば、心なし早くなった鼓動が愛おしく思えた。

烏が茜空を旋回する。黒々としているはずの体は、今だけは鮮やかな赤に染まっていた。


「…土方さん、名前です」
「ああ、入れ」


この時代の礼儀と言うものはよく分からなくて、こういう時立ったまま開けてもいいものなのだろうかと一瞬の思案を挟み、躊躇いがちに襖を開けた。彼はこちらを一瞥することも無く書面に向き合い、適当に座ってろと雑な指示を出す。立ったままでも座っていても、見ていないならどっちでもよかったのか。
俺はふうと溜息を吐いて、土方さんと一メートルほどの距離を置いて腰を下ろした。部屋は広いはずなのに、巻物みたいに長い文が畳を覆っていて狭く感じる。
土方はようやく書類から顔を上げ、俺を見た。


「雪村に外出許可を出した」


ああそういえばもうそんな頃合なんだ。池田屋事件で、彼女が"鬼"と会う。
そういうシナリオが、もう目の前にある。
――やはりそれらに現実味が無いのは、いまだこれが切り取られた画面の向こう側だと思っているからだろうか。
僅かに沈黙した俺を彼はどう解釈したのか、話を続けた。


「…あいつには、綱道さん捜しの件があるからな。暫く巡回に同行させるつもりだ」


言葉の節々に、土方なりの気遣いを感じる。わざわざこうして話もつけてくれるのだから、本当にいい人なんだろう。
俺はその気遣いを無碍にすることも、嘆くこともできなくて。


「…俺は、大丈夫ですよ。千鶴にあって無いものを自覚してるし、信頼とかされてないのも理解できますから」


皮肉を言ったつもりはない。それが事実であることは誰もが知っているし、はい信じてあげますで済む世の中でもない。詰まるところ、やはり俺には明るい未来はないとみた。
一人で納得していれば、土方は少し――というか結構――苦い顔をしながら、


「…今夜、長州の奴らが会合を行う場所に討ち入りに行く」
「……はい、?」
「俺はそれを四国屋だと踏んでいるが、池田屋の可能性も捨て切れない。池田屋へ向かうのは近藤さん率いる十名だ」
「……それで、まさか…」


彼にしては結論を後に持って行き過ぎている。だらだらとこんな前置きはしなさそうな人なのに、と思った瞬間嫌な予感が過ぎった。
まさか、そんな無茶振りを土方がやるはずが――。


「…お前は、近藤さんの隊と共に行動しろ」
「……」
「他の隊の準備が済み次第、俺が呼びいくから部屋で待ってろ、いいな?」


これは夢か、それとも幻か。
――現実なわけないじゃないか、あの土方さんが、俺に、こんな頼み事をするなんて。
俺は渇いた笑みすら浮かべながら、もう一度確認をした。できれば、それが聞き間違いであってほしいと思いながら。


「…え、俺が、近藤さんと? 池田屋に?」
「ああ。異論は認めねえ。本来なら、お前を連れて行くなんざあり得ねえが…腕の立つ奴は一人でも多いほうがいい。……あの時腰にぶら提げてたもんは、玩具じゃねえだろう?」


一瞬でぎらついた瞳に張り詰めた空気は、俺に何を問うているのだろうか。単純な腕の話だけで、土方は俺にこんなことを頼みはしない。
俺は、ごくりと生唾を飲み込んだ。――脳裏に鮮明に蘇ったあの光景に、今も吐き出したいような不快感を覚えている。
膝の上でつくった拳を、彼はちらりと一瞥した。


「…後悔、してもしりませんよ」
「そしたら手前の首が刎ねるだけだ。……お前、初めて会ったとき、言ったろ。死にたくない、ってな」


ぴくりと震えた瞼が恨めしい。俺は人知れず零れた薄笑いを手で隠し、土方をまっすぐ見た。


「この手と刀で以って、お役に立つのでしたら」


その答えに満足したのか、土方は浅く頷く素振りをして立ち上がった。そして徐に障子に手をかけ、ゆっくりと開いた外を見た。
世界は、もうすぐ暗い闇に包まれる。ひたひたと、避けようのない黒い影を引き連れて。


「手向かいする奴は容赦なく斬り捨てろ。お前が生きたいのなら、な」


彼は壁にかけていた黒い刀を手に取り、それを俺に向かって手渡した。
それは、人を殺すための道具。
それは、身を守るための道具。
諸刃の剣は、まるで自分自身のように思えた。


「死にたくないですからね」


この手に再び収まるそれを、強く強く握り締めて。土方は静かに俺を見下ろした。何を言うわけでもなく、ただ静かに。
俺はそれを見つめ返して、瞬きを一つした。


「部屋で待機しています」


刀を左手に持ち替えて、俺は彼の部屋を後にした。角を曲がるまで、感じた背中の視線に知らないふりをして。
強く、強く拳を握り締めた。
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