来はいつも

虚勢と意地の浅葱色の盾 3 / 4


「会津中将お預かり浪士隊、新選組。――詮議のため、宿内を改める!!」


近藤の高らかな宣言と共に、どこからか悲鳴じみた叫びが聞こえた。まだ人を斬ってもいないのに、既に血生臭いがした気がした。俺は思わず鼻を袖で覆い、目の前の愉しげな男達を見上げる。


「わざわざ大声で討ち入り知らせちゃうとか、すごく近藤さんらしいよね」
「いいんじゃねぇの? …正々堂々名乗りを上げる。それが、討ち入りの定石ってもんだ」
「自分を態々不利な状況に追い込むのが新八っつぁんの言う定石?」
「……緊張感もくそもないな、この集団」


俺はくっとこみ上げた笑いを忍び、素早く二階に駆け上がった沖田を見遣って刀を抜いた。ずしりと重い刀身は、まるで違う何かも背負わされているような気がして。
ああ、本当。この間まで剣術も剣道も無縁の生活をしていたのに。それなのに、こうして誰に教わるでもなく自然と柄を握れてしまう。
そんな自分自身が、一番怖かった。自分の体が、自分のものでなくなるような感覚が、とても気持ち悪かった。


「御用改めである! 手向かいすれば容赦なく斬り捨てる!!」


上階を中心にどこからともなくわらわらと溢れ出てきた長州藩士は、全員が刀を抜いていた。それを見た新選組側は、各々刀を握る手に力をこめる。
――これが、俗に言う"池田屋事件"の始まりだった。


(あー、引き戻れないや)


そんな他人事のように呆けていれば、叫び声が響く。呻きとも悲鳴とも唸りとも、なんとも表現しがたいその声は、永倉と対峙していた藩士から発せられたものだった。
ああ、人が死んでいく。
あっけなく、ぷつりと死んでしまう。


「新選組、覚悟ぉぉぉおお!!」
「!?」


眼前から刀を振り上げ迫り来る藩士が一人。その顔に、僅かに恐怖の色が浮き出ていた。俺は抜いた刀を構えて、息を止める。
振り下ろされた刃。踏み出す右足。肉を裂く手応えと、溢れ出す血生臭さ。
脇腹を切り裂いた一閃は、彼を死に至らしめた。自分の手じゃないみたいだ。


「…新選組の羽織、着てないんだけどなあ」


隊士に、藩士と間違われないといいけど。ぽつりと零れた独白は、あまりに場違いなほど穏やかだった。
頬に張り付いた血を手の甲で拭い取ると、また新しいそれが張り付いて伸びる。血ってなかなか取れないんだななんて気づく。


「っうああ゛あ゛!」


どうして、刀を振り上げるのだろう。彼らは、死を恐れていないのだろうか。
俺は軽くなった刀を握り締めて振り下ろされた刀を受け止めると、鍔迫り合いに持ち込む。彼は鼻息を荒くしながら、まるで親の仇でも見るような目で睨みつけた。


「…死にたく、ないよね」


がっと彼を力強く押し、後退し重心を崩した彼に向けて肩口に一太刀を浴びせる。裂かれた皮膚の下から勢いよく血があふれ出し、俺の体を血まみれにしていった。生温かいそれは、今し方他人の体内で蠢いていたものだ。


「俺は、そんな人を、殺してる」


両手がべっとりと粘着質なそれに覆われている。暗くて見えないそれらは、今俺の皮膚の下に流れているものと同じもの。――まだ、温かかった。


「…ッお前、後ろ!!」
「え?」
「っ覚悟お!!」


永倉の声に振り向くよりも早く、白刃が閃く。瞬間激痛が脳髄を駆け巡った。
俺はそのとき何かを叫んだかもしれない。そんなことさえ分からないほどの痛みが、頭の中を埋め尽くす。
なるほど、これならば。
痛みに呻く声も、恐怖に叫ぶ悲鳴も、苦悶に唸る声も。 それらが交じり合った声が、最期に叫ぶ呪いの声なのか。
俺は息も出来ない激痛に思わずうずくまり、刀を手放す。
痛い、痛い痛い痛い。苦しい。
息が出来なくて呼吸が乱れる。視界はくらんで淀み、傷口から頭の芯に向かって熱いなにかが意識を奪う。
嫌だ、死にたくない。死にたくない。


「っくそ、背後狙う何ざ卑怯じゃねぇか…!」


後方から永倉の声と、跳ねる血飛沫の音を聞いた。


「おい、大丈夫か! おい、しっかしろよ!!」


彼は自身の羽織を俺の背中へと宛がい、腹へとまわしてきつく縛った。何度も肩を叩かれ耳元で叫ばれ。沈みかかった意識はその声のお陰でぐぐと浮上した。


「…っ、なが、くら…さん」
「集中しろよ、まだ意識があんなら、今のうちにここから出ていけ。死にたくないならな!」


そう一言残して、彼は再び刀を交えた。死にたくないなら、とか生きていたいならとか。
ああもう本当に、痛いところばかり、みんな突いてくるんだから。
俺は柱にもたれかかり、俺の刀に手を伸ばした。――良かった、まだ握れる。
がくがくと震える膝を叱咤して、弱く脆い己を責めた。
泣いてなんかやるものか。叫んでなんかやるものか。
悲鳴も弱音も、何一つ言ってやるものか。
俺はぎゅと下唇を噛み締めて、刀を支えに立ち上がる。それを永倉は横目見て、くっと喉の奥で笑った。


(…化物か、あいつは…!)


浅葱色の羽織が俺の血で染まっていくのが分かる。周りにいた藩士が、驚きに満ちた目をしているのが見えた。
ぼたぼたと、足元には血が滴り落ちる。


「死なないと、いいなあ…」
「っ化物め!!」


ぬるりとした柄をしっかりと握り締め、振り上げられる刀を見つめ。いつの間にか引いていく――というよりは、分からなくなっていく痛みに安堵して。
俺は刀身を振りぬいた。
びちゃと自分のものか彼のものか、もう誰のものなのか分からなくなったそれが頬を染めた。前髪が血で固まって、汗と一緒に額に張り付く。


「っくそ!」


永倉の、今度は苦悶に歪む声がした。俺はその声の方向に体を向けると、彼が自身の手を押さえ紙一重で攻撃をかわす姿があった。


「永倉さん!」
「うるせえ大丈夫だ! こんくらいで刀落しちゃあ、組長返上しなきゃなんねぇからな!」


彼は、俺なんかよりずっともっと、強いんだ。それなら確かに、俺の心配する声なんてうるさいのかもしれない。
俺は振り下ろした刃に羨望の思いを込め、見様見真似で必死に刀を振り上げた。


「名前君! 上階を頼む!」
「了解」


一キロはあると思われる真剣が、そろそろ体に効いてくる。疲れた、なんて言ってる余裕すらないこの中で、近藤は近くに居た俺に指示を出す。俺は疲労と痛みとで肩で浅く息をしながら、長い階段を一息で上りきった。


血の臭いが酷い。臭いにあてられて吐き気を覚えた瞬間、襖が急に蹴破られて細い廊下に傷だらけの藩士が転がってきた。彼はよろよろと立ち上がりながら、俺を睨みつけて刀を構える。もう対して力も意識もないだろうに、彼は「新選組」と憎悪にかられ呟きながら、刀を振るった。俺は、その刀を受け止め弾き返し、僅かに上がった腕の隙間から腹を一文字に裂いた。
劈くような悲鳴が耳元で響き、血の雨を降らせる。
俺は刀身を凪いでこびりついた血を振り払い、血で赤く染まった障子の向こうを一つ一つ確認しようと踏み出した。


「…呪われてしまえ」


微かに聞こえた呪詛に俺は足を止め、先ほど斬り殺した彼を見下ろした。大きく見開かれた双眸は赤く充血し、口角からツと赤い筋を零している。彼自身の血にまみれた体中の傷は、一体どれほど彼を苦しめたのだろうか。
俺は事切れ物も言えぬ彼に小さく頭を下げた。

奥の部屋に二、三人が生き残り、逃亡を図ろうとするものや膳を投げつけてくるものといたが、全て痛みに喘ぎながら足元で絶命した。


「…ごめんなさい」


遅すぎる謝罪、無意味な言葉。
俺は歯を噛み締めて、最後に奥へと続く襖を蹴破った。
――この奥に、沖田が居る。
そう思った瞬間、傷口がじくりと鈍い痛みを帯びた。
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