来はいつも

金平糖と赤香色のこたえ 2 / 2


原田は小さな包み一つ片手に、昼の巡察から帰ってきた。昼の巡察、といっても寄り道をしてきたため、つい先ほど夕日は家並みに消えてしまったが。それでも辺りは日没の名残で明るく、彼は手の中に収まる不釣合いなそれに下唇を噛んだ。
目を閉じれば過ぎる赤の残像と、鼓膜を震わす呻き声が、頭からずっと離れない。原田の頭の中の彼女は、未だにその両目を固く閉ざしていた。
先日起きた池田屋事件で大怪我を負った名前は、背中に受けた傷が致命的となり、一時昏睡状態にまで陥った。刀傷による高熱と痛み、夥しい血液の量。彼自身、彼女が生きていることは奇跡だとしか思えなかった。
――それでも生きてさえいてくれればそれでいい。
新選組の都合で討ち入りに参加させ、挙句死なれでもしたら合わせる顔がない。
原田は小さな溜息を吐いて、懐に包みを仕舞いんだ。目を覚まさない名前にしてあげられることといえば、ただ祈ることしかなく。それでもそんなものに確証などあるはずもなく、彼女の好物でも買ってやればと、少しの希望をこめて。

本当は、結局は何も出来ない己の歯がゆさが苦しかっただけだった。

中庭を過ぎ、広間も過ぎたその角を曲がったとき、丸まった背中を見つけた。縁側に腰を下ろし足を放る姿は幼い子供のようで、彼は込みあがる笑みを呑み込んだ。 原田はその背中に近づき、


「総司」
「あ、左之さん。お帰りなさい」
「おう。…どうしたんだ? 絶対安静、じゃなかったか」


お帰りとかけられた言葉に彼は手を挙げ応え、そのまま項にもって行った。
絶対安静、という言葉に沖田は一瞬顔を顰めるが、しかしそれもすぐに取り払い笑みを浮かべる。心の内を晒すまいと貼り付けた彼の笑顔は、微少の殺意を伴っていた。考えなくとも、その手の類のものを沖田が酷く嫌っていることはよく分かっているつもりだ。これだけ苛立っているのも、理解できる。
彼は一拍の間を置いて、


「――いやだなあ、もう大丈夫ですって。涼みに来ただけですよ。だって僕の部屋、日差しが強くて暑いんですもん」


原田は二、三度目を瞬かせて、内心苦笑した。彼がいつも涼むのは中庭で、それにこの辺りは土方の部屋も近いので避けたがるはずだ。沖田ならば、もっと巧い嘘が吐けたのではないだろうか。この先に彼が気になるようなことがあるとすれば、ただ一つ。
原田は微笑ましいような面持ちで、彼の茶色の髪を乱暴に撫でた。


「ま、心配だよな」
「ちょ、左之さん、やめてよ」
「…名前は、目ぇ覚ましたか?」


名前、とその名を出せば、彼はすっとその双眸を細め、原田を見上げる。深い翡翠の瞳が、まだ足掻くように残る茜色に染まり、まるで睨み付けられている様な気さえした。

そんなにも彼らは険悪な仲だっただろうか。

一瞬でもその考えを過ぎらせるほどの鋭い目つき。原田は瞬きをすることによってそれに蓋をした。似た者同士ではあるが、両者の間に流れるものは嫌悪ではない。
長い沈黙は、彼にどんな意図があるのだろうか。
彼は焦らすように押し黙り、徐に立ち上がった。そしてゆっくりと歩き出すと、まっすぐに前方を見据えながら言う。


「もう目を覚ましてるよ。意識もしっかりしてるみたい。今、平助君が看てる」


ぴくりと反応してしまったこの瞼が恨めしい。行動や言葉も全て、この沖田総司の前では気を張らなくてはいけない。そうでもしないと、思ってもみないところからボロがでてしまいそうになる。
案の定彼は表情にこそ出さないものの、進めていた歩みを止めた。どうしたの、と首を傾げる仕草は純粋だが、中身はきっと恐ろしいほど疑問と確信に満ちている。


「いや、平助じゃあ折角塞がった傷も開いちまいそうだなと思ってよ」


抑えていたつもりだったが、どうにもこの口は早くなってしまった。新選組幹部ともあろう自分が、年下の青年に揺さぶられるなど口惜しい以外なにもない。下手を打ってはいけないという思いが、尚更この場に緊張感を持たせた。


「じゃあ、平助君じゃなくて僕だったら? ああ、土方さんでもいいよ別に」
「…ん? そりゃあ土方さんが一番安心だな」


誰もが頷くであろう一般的な回答。それが沖田の疑問を回避する最善であり、且つこの現状に対しての唯一の打開策である。ククク、と喉の奥で笑ってみせれば、彼は「僕だって看病くらいちゃんとできるんだけど」と珍しく年相応に不満げな表情を浮かべた。

夜が襲う。空は完全に暗色に包まれ、辺りは昼間の喧騒とは程遠い静けさを帯びていた。
原田は懐のそれに指先で触れ、目を細めた。思わず表情が緩んでしまったのは、今更ながら訪れた安堵感の所為である。その表情が癇に障ったのか、彼は一歩間合いを縮めてきた。


「左之さん、何か隠してない? ――そこに、隠さなきゃならない意味なんてあるの?」


隠し事はないかと問い、その後に意味はあるのかと問う。最早隠し事の有無など分かりきっているような質問の仕方に、彼は沖田を見返した。この終わりの見えない駆け引きよりも、頭の中の離れない残像を消し去ることのほうが大切だ。
自分の近くに居た人間の死ほど、怖いものはないのだから。


「隠し事なんざねぇよ。それこそ意味がねえ。…んなことより、早く様子見に行ってやろうぜ」


強制的に会話を終了させ、原田は沖田の肩を叩きながら通り過ぎた。背後で威圧的な視線を寄越されるが、それに振り返ることは賢明ではないだろう。――兎にも角にも、これで心配事が増えてしまったわけだ。
思わず零れそうになる溜息を、喉にまで出かかった所で呑み込んだ。



その部屋に近づくほど、愉しげな談笑が鮮明に聞こえてくる。聞きなれた二人分の笑い声に、原田は一人静かに安堵した。たった数ヶ月ともに過ごしただけなのだと、土方辺りには変な情を移すなと怒鳴られそうだ。けれど、この温かな感情は藤堂や永倉たちに向けるものと酷く似ている。それに知らぬ振りをして接すれば、この自覚は痛みを伴って訴えてくるだろう。
後ろをただひたすら無言でついてきた沖田は、その笑い声に立ち止まった。


「……」


何を言うでもなく立ち止まる彼を不思議がり、原田は振り向いた。なんとも言いがたい表情を浮かべた沖田は、その視線に気付くとすぐさま内側に隠してしまう。何、と少々不機嫌気味の声音で返されれば、今彼が何を思っていたのかなどと問う余裕はなかった。
原田は肩をすくめてみせ、それから蝋燭の影が映る障子に手をかけた。


「あ、左之さんじゃん!」
「おかえり」


ゆっくりとした発音で言葉を紡ぐ名前を見つけ、原田は自然と零れた笑みのまま「ただいま」と返した。彼が畳に腰を下ろすなり、藤堂が図々しくも土産をせがんでくるものだから、仕方ねえなと呟いて懐から包みを取り出す。興味津々といった様子で二人が手元を覗き込み、原田は無骨な手に乗る不釣合いなそれを開いて畳の上に広げた。
後ろからひょいと顔を覗かせる沖田も、心なし愉しそうに、


「金平糖だ」
「寝たきりじゃあつまんねえだろうと思ってよ。――土方さんにゃ、内緒だぜ?」


唇に人差し指を当てて笑えば、彼女はぶはっと盛大に吹いて腹を抱えながら笑い始めた。笑い声に時折咳を交えるから、藤堂が心配そうな顔で覗き込む。


「笑って傷口が開いたなんて止めてくれよな」
「あはは! わ、笑って開くなんて大袈裟な…! 平助じゃ、あるまいしっ」
「オレだってんな馬鹿やらねえよ!」


小さい子供の面倒でも見ているような気がしてきて、原田は二人の口の中に金平糖を放り込んだ。元気になったのはいいが、騒がしすぎても体に障る。自分の体なのだから、とぼやきたくなるのを堪え、話題転換に沖田を見上げた。
相変わらず立ちっぱなしの彼は、気難しそうな顔のままだった。


「沖田、さん」


口を開こうとした原田を遮ったのは、名前だった。沖田は瞬きを一つして名前を見つめて、短く「何?」と返事をする。そんなに素っ気無い反応をする彼が、原田にはよく分からなかった。
彼女はあまりあがらない首の所為で上目遣いに彼を見上げ、


「…傷は、大丈夫ですか」


池田屋事件の際、二人が二階で倒れていたことは知っている。同一の人物によって重傷を負わされたことも、既に近藤らによって聞かされていた。けれど、そのとき二人の間でどんな会話が為されていたのかまでは知らなかったし、知ろうとも思わなかった。
もしかしたら、あの不機嫌さはそこから来ているのかもしれない。
今更ながらそんな考えに至った彼は、一瞬ひやりと背筋が冷えたのを感じた。――思っているよりも、険悪、だったりするのかもしれない。


「生憎、君より元気なんだよね」


皮肉屋で天邪鬼。土方の存在と近藤が甘やかしすぎた所為か、彼の性格は少し――いやかなり――難あり、だ。名前もたまに短気なところがあり、口喧嘩にならないかと心配になったとき。彼女は、呟くように零した。


「よかった」


社交辞令のような薄っぺらい言葉じゃない。心底ほっとするように、眉尻を下げて力なく笑う名前の唇から息が漏れた。
――どれだけ年を重ねたところで、二人が何を思っているのかを知ることはできないけれど、恐らくそこにある空気を震わす声だけは知ることが出来る。
後ろにいる沖田を見上げなくとも、目の前に居る藤堂の表情を見れば大方予想はついた。
昨日までの自分を振り返り、己の後悔に触れたとき。その相手と交わす言葉ほど、重たいものはないのだろう。


「…僕なんかより、よっぽど君のほうが重傷なんじゃない? 他人なんかより、自分を心配すれば」


素直になることも、労わることも。すごく単純だけれど、その分酷く難しいから。


「俺は、沖田さんなんかより、自分が可愛いですもん。沖田さんの、心配なんて、するだけ損ですよ」


少し傷が痛むのか言葉を細かく区切りながら話す秋は、口角を引き上げてふふと笑った。
性格悪いんだね、と呟いた沖田の声が。沖田さんには適いませんよ、と茶化す名前の声が。
静かにゆるりと、無色の空気に溶けて染み込む。
畳に置いた金平糖の高く積まれた山が、音もなく崩れて広がった。


金平糖と赤香色のこたえ

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