来はいつも

吐いた言葉は檳榔子染色の嘘 3 / 3


赤が踊る。
狭い廊下に溢れるばかりの鮮血が、全てを艶やかに染め上げた。足元に転がる肉塊を、彼は静かに見下ろしていた。


「……ねえ」


明朗としていて、狂気すら感じさせる声。
沖田は唸る剣戟の音を背に、その口元に微笑を湛えて振り返る。寒気を覚えた背筋に、左足が半歩後ずさった。


「…君のお仲間?」
「……え…?」


赤く血塗れた刃を肉塊に向け、トンと床に突きたてた。頭の中で、ああやっぱりそうなんだと自分の声が聞こえた気がした。


「…俺が、長州の…間者、だって言いたいんですか」
「あれ、違うの? 左之さんもいつも君を置いてどっかいっちゃうじゃない? だから、いつだって時間はあったでしょ」
「っ山崎さんが、いつも屋根裏で見張ってたのは知ってます…!」


思わず拳を握り固めて身を乗り出した俺を、沖田はひどく冷えた瞳で見下ろした。それは弁明の余地もなく、確定された事実として突きつけられる。


「だから、山崎君が帰ってこないんじゃないの。不都合だからね、彼がいると」
「っち、ちが…!」
「ねえ、名前。自分がどういう立場であるか…理解、してるんでしょ? なら、せめて苦しまずに――僕が、殺してあげるよ」


素早く首元に宛がわれた刃は僅かに食い込み、鋭い痛みが脳内をしめる。痛、ともれた声が、情けなく震えていた気がした。


「おき、た…さん」


怖かった。
拒絶する瞳が、その手で殺されてしまうことが。
とてつもなく、怖くて。
俺はひきつく喉に生唾を流し込み、震える指先を握り締めて叱咤した。
まだ、死にたくない。――ただ、ここで、自分の存在意義を見つけ出したかっただけ。


「…、信じてくれなんて、言えません。でも、俺は…誰かを貶めて殺すためにここにいるんじゃない…!」


刀を握るときに、それは避けては通れないものだと理解していた。
この手が誰かの命を奪うことも。
この手が誰かの未来を殺すことも。
本音の外側を守るためだけに存在していた嘘の決意なんかで、あるはずがない。そんなものをぶら提げて、ここに立ちたかったわけじゃない。
沖田は静かに睨みつけて、ただ黙っていた。心の中で、嘲笑っているかもしれない。
どうすればこの疑いを晴らすことは出来るのだろうか。どうすれば、どうすれば。
どうすれば、誰かに必要としてもらえるようになるのだろうか。


「沖田さん、俺は嫌です。見知った顔が血塗れで死んでいるのを見るのも、俺がこの手で斬り殺すことも…。俺は、ただ誰かを…守り、たくて……だから、」


酷い奴だと心中で苦笑する。
ならば知らない人間ならいいのかと、問われた瞬間腰に差すそれが、とても重いものになった。
でも、それでも。もう既に誰かの未来を奪ってきたこの両の手でも。誰かを守れるなら。


「俺は、ただ居心地のいい、自分の居場所がほしいんです。わがままで自分勝手だと思われても、仕方ないけど…。――だから、絶対に、新選組を殺したりなんて、できない」


多分、きっと、誰かに嫌われるのが。独りきりで居るのが。不安で怖くて、仕方ないんだ。


「……、はあ」


痛みも治まりつつあった傷口が、生ぬるい空気に触れてひりとした。重く苦しい溜息を吐いた彼は、懐紙で刃の血を拭い取る。一瞬にして真っ赤になったそれを、懐に仕舞いこんだ。
沖田は指先についたその赤を眺め、俺の頬に人差し指を押し当てた。白い頬にす、と伸びた赤を、彼は目を細めて嗤う。


「土方さんには、珍しく同意したんだ。そうだね、じゃあ君が――こんなふうになることを、願ってようかな」


彼は右手に刀を握り締めたまま、踵を返し歩み始めた。刹那呆けていた俺は、彷徨わせた瞳に肉塊を映して息を止める。未だ血が止まらずに首筋を這うそれに触れ、沖田に付けられた赤の上に重ねた。


「……殺されて、やるもんか」


数歩先に居る彼を睨みつけながら、その後を追いかけた。藤堂に、沖田を連れ帰ると約束したのだ。今彼を止めなければ、自分の怪我も省みず刃を振るってしまう。
俺が沖田の右袖を掴もうと腕を伸ばしたとき、一際高い声が聞こえた。


「きゃああああ!」


振り翳された刃に抗う術をもたない彼女の声が、切羽詰って助けを求めていた。――土方の部屋の隣ならば、彼を狙ってきた長州勢に見つかる可能性などわかりきっている。
ああ少し話しすぎたと口中で舌打ちをしてから、動き出した沖田の追い抜いて振り向いた。


「俺が千鶴のとこ行きますからさき戻っててください! 沖田さんは平助と一緒にいてください!」
「ッ!? ちょ、っと!」


背中の痛みが、いつの間にか消えていた。あれだけ激痛を訴えていたのに、都合のいい刀傷だなんて思いながら、俺は刀を引き抜いて千鶴の許へと急いだ。
心臓がどくんと波打ち、嫌な予感が息を細くする。
額に滲む汗を手の甲で乱雑に拭い去り、廊下に転がる死体と血溜りを裸足で飛び越えた。
――浅葱色の羽織が見えない。
どこを見ても、徘徊する藩士ばかりが目に付いた。
耳の奥でキンと高い耳鳴りが聞こえ、思わず耳を覆い横に首を振ったその先に、刀を振り上げる藩士を見つけた。俺からではその相手が襖の向こうに居て見えないが、恐らく新選組の誰かであろう。
彼はこちらに見向きをせず、勢いよく刃を振り下ろす。大量ではないが確かに赤いそれが、跳ね返った。


「っきゃあ」


探していた声が、聞こえた。その血飛沫の、刃の向こうに。
一歩踏みしめた右足の下で、ギシと床が軋んだ。その音に気付いた彼は声をあげて振り向き、再び刀を振り上げた。


「っやば、」
「うお゛あ゛あ゛ああ!!」


返り血に塗れたその腕が、迫る。
殺したくない。この世界ではそれが偽善で詭弁で。
分かっているけれど、それを口にしたばかりの俺は、少しだけ揺らいでいた。沖田に豪語した自身の言葉を、ただの言葉にしたくない。それでも、振りあがる刃は俺を殺す殺意だけを抱えている。
指先が、全ての感覚を忘れたように動かない。
だめだ。
誰かに足を掴まれているような感覚がして、一歩も動ける気がしなかった。
切っ先が、振り下ろされる。
風を裂く音が厭に大きく聞こえて、耳鳴りが一際大きくなる。
――誰かが、俺の名前を呼んだ気がした。


吐いた言葉は檳榔子染色の嘘

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