来はいつも

僕達は藍墨茶色の不安の中 3 / 3


今まで遠かった剣戟が激しさを増したような気がした。耳の奥に残る鋼の打ち合う高い音が、胸にざわめきを植えつける。
沖田は存在意義を示す腰に差すそれを目に映し、奥歯を噛み締めた。
それは間違いなく藤堂も抱えているであろう痛みで、万人には理解し得ない重みであって。
そんなことを考えているうちにも、この疼きが収まることはなく。
沖田は小さく、溜息を吐いた。


「…ねえ、平助君」


千鶴は名前の傷口を止血するべく、着物の衿に手をかけた。そこで、ふと違和感に気が付いた。
寧ろそれは違和感、という曖昧なものではなく――、


「……ちょっと、向こう向いてもらっていい?」
「は? え、ああ、分かったけど……?」


彼女が藤堂に反対側を向くように言うと、彼は頭に疑問符を浮かべながらくるりと反転した。沖田にも視線を寄越すと、意味深に口元に笑みをかたどって、同じようにそっぽを向いた。
千鶴は生唾を呑み込んで、深呼吸を一度する。
頭の中に生まれた予想を、裏切ってほしい。気のせいであってほしい。
そう願いながら、襟元を横にずらした。


「…ッう、そ」


白いさらしで幾重に巻かれた胸元に、男性とは違うふくらみがあったのだ。
千鶴は口元に手を当てて、思考回路がぷつりと途切れるのを感じた。


「おい千鶴? 何が…あっ、た――」


彼女の声に訝しげに振り返った藤堂が、まるで石造のように一瞬にして固まる。それを見た沖田だけが、ただ腹を抱えて笑い出した。


「…っあはは! やっぱり、名前ってば女の子だったんだ」
「っお、きたさん…! 知ってたんですか…!」


藤堂の視線に気が付いた千鶴がばっと衿を戻し、僅かに染めた頬のまま沖田を睨め上げた。余程おかしかったのか笑い続けていた彼は、目に浮かんだ涙を人差し指で払って立ち上がる。
それから彼の首ねっこを引っ張り、


「知ってたよ、確信はなかったけどね。ほら平助君、僕らは外に出てあげてようか」
「っ総司!」


勢いよく立ち上がった藤堂にまた笑う沖田は、何も言わずに藤堂を連れて部屋を後にした。

残された千鶴はまだ驚きが拭えずに、手拭を手にしたまま暫く固まっていた。自分の気持ちが上手に整理が出来ず、しかし名前の痛みに歪んだ表情を見て慌てて襟元を緩める。
背中を見ればあの日受けた傷口に血が滲んでいた。
所々皮膚はくっついているが、無理やり引っ張ったかのように左右に割れる傷口に思わず顔をしかめ、手拭を押し当てる。大した応急処置も出来ないが、何もしないよりはいいと言い聞かせて、手拭で傷口を押さえながら包帯をきつく巻く。
先ほどよりも無音の空間に、ただ衣擦れの音だけが響いて。
心細くなりそうな自分自身を叱咤して、頬や手についた血を拭い始めた。


「雪村サン」
「っ、ひづき…さん? どうしてここに、」


音もなく現れたのは、いつの間に部屋に入ってきたのだろう陽月の姿だった。千鶴はあまりの不意打ちに手拭を落としそうになり、丸くなった双眸で彼を見る。
陽月は手を振ってやあ、なんて軽い挨拶をすると、名前を覗き込むように覆いかぶさった。


「あちゃあ、傷が開いてら」
「…今碌な手当てができなくて…止血することぐらいしかできないんです」
「ごめんね、うちの妹が」
「っ私には、これぐらいしかできませんから」


そんなことないさ。
彼は千鶴の頭をぽんぽんと撫でてやってから、眠っている名前に話しかけた。


「…痛そうだな。みんな? まだ戦ってるよ」
「……、」


一向に目を覚ます気配のない"彼"――改め彼女、名前に独り言のように言葉を続ける。傍から見るとただ心配している兄のようにも見えなくはないが、どこか異質めいたものを感じた。
千鶴は血のついた手拭を握り締め、二人を見つめる。
彼はふ、と微笑んで、


「…後悔はいつだって出来るぞ。お前は、どうしたい」


それに返事はなかった。
しかしぴくりと動いた指先に、陽月は満足げに目を細めた。


「…健気だね見返りもなにもないってのにさ。ねえ、君もそう思わない?」
「え?」


繋がらない会話に同意を求められ彼女は困惑していると、陽月はくくと喉で笑って千鶴の両目に手をかざす。突然のことで尚更慌てる彼女に、彼は見えるわけではないが唇に人差し指をあてた。


「どうか、妹のために。見守ってやって」


ふわりとどこも開けた覚えはないのに風が吹き、仄かに温かい空気を感じた。遠いのか近いのか、距離感も分からないけれど、確かにどこかで音が聞こえた。剣戟のような荒々しい悲しいものではなく、もっと優しいものだったような。それがどんな音だったかと聞かれると、どう表現すればいいのか分からないけれど。
ああ、きっと。たとえるならばそれは――秋の、音。
葉が落ちるような、葉が色づくような、そんな音。
自分でも気付かないうちに目を瞑っていたらしく、我に返って目を開けるとそこにはもう陽月の姿はなかった。辺りを見渡してみると、その静かさに、まるで最初から誰も来ていないような気さえした。
千鶴は彷徨わせた視線を徐々に下におろしていって、そして、息を呑んだ。

血の臭いの残る部屋の中。罪悪に苛まれたその両手で。何が出来るのだと笑う声。
代償を積み重ねるたびに見えるのは、己の傲慢さと矮小さだった。


僕達は藍墨茶色の不安の中

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