来はいつも

世界は紅色を残して沈む 1 / 3


縁側で沖田と藤堂は腰を下ろし、沈黙を貫いていた。
名前が女の子だったという事実にある程度の予想をしていた沖田に比べ、割合仲の良かった藤堂は動揺が拭いきれなかったようで。
ただ深い藍色の空を眺めては、顔を歪めて目を細めている。
女の子だろうが男の子だろうが、根本に相違がなければ同じじゃないのか。彼としてはそんなことを考えるが、どうやらそれは万人共通の価値観ではないらしい。

時折水の跳ねる音と、二人の会話する声が聞こえた。それは鼻の啜る音も引き連れて、恐らく千鶴が泣いているのだということを思わせる。
沖田がなんとなく部屋の隅の埃を眺めていると、廊下の奥から足音が聞こえた。それにぴくりと二人は反応するが、その足音の正体を見つけたとき別の意味で眉根が寄った。


「今晩は。…って、うわ。そんな目で睨まないで下さいよ組長殿」
「――三条大橋で、君は一番組と二番組と共に戦ってた筈だよね。どうして此処に居るの?」


ぺたぺたと素足のまま廊下を歩いていた彼――陽月は、その質問にけらけらと笑った。


「――前川邸に来れている時点で、それが土方さん経由って言うのは大体想像つきますよね」


陽月の物言いに、藤堂がちらりと鋭い八重歯を剥いた。今にも噛み付きそうな彼を沖田は目で制し、庭に放り出していた足を組む。


「ふうん、あの人も何考えてるんだろうね。君なんかをこんなところに送っちゃうなんて」
「…総司」
「何さ、平助君。彼が今ここに居る時点で、もう何も隠すものはないよ」


前川邸に在る"大義"の意味を、ここにいる全員が知っていると。
彼は隠すことも、しかし明白に晒すこともなくあっけらかんと答えた。そして再び「どうしているの」と同じ質問を繰り返す。
陽月はわざとらしく目を見開いて、舞台に立つ道化のように大袈裟に身振り手振りをして見せた。


「ああ、俺は全く相手の心を読むのは苦手でしてね。人手が少ない屯所へ、っていう永倉組長のお達しですよ。――あと、山崎さんの代わりかな」


あえて永倉組長、を強く発音してそう言う彼の言い方に、またしても剣呑とした空気を連れ込む。その回答に二人は眉をひそめ、間に隔たる柱に彼は背を預けた。


「…どうして、新八さんはあえて君を選んだのかな?」
「読心術は心得ず。あの隊の中で、割かし足が速かったんじゃないですか? 伝令役にはもってこいってわけだ」
「山崎君に何があったんだよ」


耐え切れずに声をあげた藤堂に、平助君と小声で沖田は諌める。それに陽月は左手を翻し、くくと喉で笑った。


「…山崎さんの嘘が発端だからだよ、この長州襲撃事件はね」
「っ山崎君が土方さんを裏切るわけがないだろ!」


身を乗り出して叫ぶ彼に、一瞬の沈黙が走った。どこからか聞こえた鍔鳴りの音に、殺伐とした空気が漂う。
刀身が抜かれたわけでもなくそれは牽制で、全員の言葉に対する圧力だった。
藤堂がそれにむ、と口を噤み、日月を睨めあげる。


「山崎さんが、っていうのは語弊があったかな。正しくは、長州の偽者山崎さんが嘘情報ばら撒いて、それに各隊が連れ出されたって言う話らしい」


陽月は裸足のまま縁側から飛び降り、乱雑に脱ぎ捨てられていた草履に足を突っ込む。嘲笑う三日月が薄暗い雲に隠れ、大地に色濃い闇を落とした。黒っぽい着流しを着ていた彼はまるで闇に隠れ逃げるように、庭をふらふらと歩き始める。
じゃり、と砂を踏む音だけがはっきりと聞こえ、不気味な雰囲気をかもし出していた。


「…じゃあ山崎君は?」
「長州勢に捕まっているのか、はたまた土方さんが隠し持っているのか…。そこんとこは知らないけど」


辺りに月明かりが戻った時、彼はくるりと愉しげに振り返り、沖田の目の前、間合いの一歩手前で立ち止まる。


「どうして、土方さんが君をここに寄越したの」
「さあ? 土方さんのみぞ知る…ってやつですかねえ」
「君、そんなに早死にしたかったんだ? もっと早くに言ってくれればよかったのに」


彼は腰に差す刀の柄に手を添えた。それを遠くのものでも眺めるような目つきで一瞥した後、陽月はにこりと微笑んで。


「どうせいつか死ぬんだから焦らないで下さいよ。
あ、知りたく無さそうだけど取り敢えず後から報告されるだろうから言っておくけど。
俺は、新選組の切り札を知っている。ああ、切り札と言うか足枷っていうか……まあ新選組風に言えば『大義』?」
「――随分遠まわしな言い方をするんだね。はっきり言っていいよ。
どうせ、君を殺すのは僕だしね」
「重そうだなあ、近藤さんも。無理難題な命令ばっかしてくる上と大所帯の下とで板挟み――」


――ィン。


鞘から引き抜かれた刀身は空を裂き、切っ先が陽月の首を僅かに突いた。赤い其れが、首を這って着流しの衿に染みては滲む。
彼は楽しげに微笑み、陽月から少しも視線を外さなかった。


「…殺すなら殺せばいい。『士道に背いた為、その場で粛清した』とでも言えば簡単に済む。"俺の場合"は。……まぁ、態々名前を不利な状況に陥れるようなことはしたかねぇから、大人しくしてましたよ」


遠かった雄叫びと剣戟の音が、徐々に近くなっていた。藤堂は騒がしい向こうの通りの方を見ていた。
どうして自分はここにいるのだろうと。
腰にぶら提げた重たいそれは、何よりも自身の存在意義なのだと。何の為に、この刃はあるのか。
頭の中でふつふつとこみ上げてきた感情は、たった一つの明確な結論を出していた。


「っ、総司、土方さんが寄越したんだからいいじゃん。それより、俺たちは援護にいったほうがいいんじゃねえ?」
「僕は構わないけど、千鶴ちゃんたちはどうするの?
それに、彼が新選組を壊す原因なら、僕は彼を斬るだけだから」
「…っ今、は…今は、新選組の戦力配分を第一に考えるべきだと思う」
「ならこれが僕の考えた新選組にとっての第一だよ」


食い違っては平行線の思考回路に、藤堂は言葉を詰めた。
彼は徐に立ち上がり、陽月の首元に宛がわれる刀身をどける。沖田はそんな藤堂の行動を睨み上げ、口に出さずして問いかけた。


「藤堂君」


じゃり、と控えめに砂を踏む音が聞こえた。それに全員が振り返れば、そこには山南の姿があった。
彼は左腕をさすりながら、少しばかり強張った表情で藤堂を呼ぶ。
沖田は、僅かに目を見開いた後ぎりと奥歯を噛んだ。


「土方君が、お呼びですよ」
「土方さん、が…? …名前たちは――」


彼が言葉を濁しながら見遣った視線の先で、人の動く気配がする。ゆっくりと開かれた障子の先には、思いも寄らぬ人物が立っていた。


「っな、な、名前…!?」
「もう大丈夫だから、いいよ。平助が守りたいもの、守ってきて」
「大丈夫って、お前あの傷でなんでっ!! まさか、変若――」
「平助君!」


藤堂の言葉を遮るように、沖田は声をあげた。はっと自分の失言に気付いた彼は慌ててその場をとりなすように身振り手振りをし始めるが、肝心の名前は困ったように笑っていた。


「…俺は誰かの枷になんかなりたくない、嫌なんだ。だから、平助。行ってよ」


誰かの背を押すことの出来る言葉は、きっととても限られている。それが例えば自己の我侭から発せられたものでも、誰かを思っての言葉でも。とんと押された彼にとって、そこに誰かに説明できるほどの理由などなかった。
それでも確かに、行かなくちゃいけないんだという心の奥の使命感を強く押された気がしたのだ。


「名前、総司、ごめん。…行ってくる」
「行ってらっしゃい」


草履を突っかけて走り出した藤堂の背を、彼はただぼうっと眺めていた。その心の内に沈むものの一部ならば、この場に居る全員が容易に想像できて。
山南がちらと覗いた部屋の先で、千鶴が両目を押さえているのが見えた。名前は陽月を一瞥し、それから沖田を見遣る。
彼は剥き出しの刀身を、静かに鞘に納めていた。


「…それにしても、傷が開いたのにも関わらず立っていられるんですね」
「おちおち寝てもいられないですからね」
「貴方には、関係がないことですよ」


いつものように柔らかで、そして刺々しい視線を送りながら微笑んだ。彼女は肩を竦めると、腰に差した刀の柄に手を置く。
その動作を眺めながら沖田は立ち上がり、草履に足を伸ばす。山南はそんな彼の行動を制するように、一歩足を踏み出した。


「私と沖田君は、ここで待機、だそうですよ」
「土方さんが過保護なだけなんですけどね」
「私達が一人増えたところで、足手纏いが増えるだけです」
「僕はそんなことないと思うけどなあ」


さらりとお互いが毒づき合いながら、やるせなさを吐き出せずにいた。
部屋の中で収まっていた千鶴はゆっくりと顔を出し、名前の隣に立つ。飽きた子供のように縁側に腰を下ろす陽月は、つまらなそうな目で空を仰いでいた。


「…山南さん、俺にも手伝わせて下さい」
「君はここで待機です。飽くまで"監視対象"ですから」
「いいんじゃないですか山南さん。動けるなら行かせてあげても」


いの一番に否定しそうな沖田がそんなことを言い出すものだから、彼以外の全員が目を丸くした。山南は少し戸惑いながら、「本気ですか、沖田君」と呟く。
彼は名前を見つめながら、愉しそうに笑った。


「僕はいいと思いますよ。平助君が呼ばれるくらい、新選組は押されてるんですよね?」
「"腕"の話だけで済むのなら、もう彼も呼ばれていますよ」


底冷えのする冷たい視線が、名前を射抜く。思わず身震いした肩を抱いて、彼女はぽつりと言葉を零した。


「…刀を握ったとき、ここに来たとき、みんなと話したとき。俺は何かを守れるのかなって、俺が、何かを守れるのならって、そう思ったんです。
見殺しなんて嫌だ、見て見ぬ振りなんてできないっ」
「山南さん、もし名前君が裏切るような行動を取ったとしたなら、私が責任を取ります。
私を斬ってください」


千鶴の高い声がそう宣言したとき、彼の瞳が僅かに揺らいだ。それが動揺や迷いからではないことは、誰もがわかってはいたけれど。
山南は眼鏡を人差し指でかけなおして、言い切った。


「…仮令彼が逃げたとしても、雪村君を斬る事は出来ませんし、彼は見つけ出して斬ります。 もし本当に彼が新選組を思っていたとしても、それを行動で表すことはできません」


綱道探しという重要な役割を担う者と、それ以外。その差は余りに歴然としてしまっていて、打開する策などありはしなかった。
名前は下唇を噛んで、俯いてしまいたかった。
もうだめなのかと、思いたかった。
それでも、隣にいる彼女を見れば、そんなことをしてしまえるほどの精神なんて持ち合わせていないから。


「…でも、池田屋であれだけの致命傷を負ってまでまた戦いたいなんて、相当物好きだと思いません?」


その言葉に山南は暫し考えた後、小さな溜息をついた。
名前は千鶴を思わず抱きしめて、縁側から飛び降りた。


「…貴方が加わることによって、何かが変わればいいのですが…」
「最善を尽くします」


脱兎の如く駆けていく彼女の姿を、ただ静かに見ていた沖田に山南はぽつりと零した。


「…珍しいですね、沖田君がそんなことを言うなんて」
「ただの気まぐれですよ」
「…それが、良い結果を招く気まぐれで終わってほしいものです」


くすと笑った沖田は、無表情のまま自分の手を見つめていた。
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