来はいつも

世界は紅色を残して沈む 2 / 3


前川邸の門前に居る土方の横を通り抜けようとしたところで、彼の地を這うような低い声に引き止められた。はあ、と少し上がる呼吸を押さえつけて、振り返る先の鬼から目を逸らす。逸らしてしまってから、はっとして拳を強く握り締め急いで視線を上げた。


「…どこに行くつもりだ」
「山南さんの許可で、大通りの新選組を援護しに」
「山南さんが?」


思いも寄らない名前があがり、彼は僅かに瞼を上げた。俺ははい、と答える代わりに、土方をただ見つめる。
早く早く、と急かす心は身体を大通りのほうに引っ張って、右足がじりと砂利を踏み鳴らした。
彼は無言で射抜くような視線を俺に送り、やがて瞬きを一つする。


「…誰かを斬るって事は、それが自分の身にも降りかかるってことだ。覚悟は、できてんのか」


今更だがとこぼした彼は、ただ最後の確認をしたかったようだった。
誰かを傷つける事で血に濡れる手は重い。
背中に受けた傷は、まだその痕を色濃く残しているけれど。この痛みがある限り、"ここ"は切り取られた画面の向こう側なんかじゃない。
俺は刀に左手を添え、目を細めた。
覚悟だなんだと声高に語っていても、それはきっとまだ弱い。それでも、この心臓の奥にある確かな想いは、ここにいるよと叫んでいた。


「前も言いました、死にたくないって。死にたくないけど、でもだからって目の前で見知った誰かが死んでいくのを、ただ見ているって言うのは…、自分が死ぬことより、多分怖い。綺麗ごとかもしれない、そう思われるのも仕方ないです。それでも、俺はこの先で、皆で笑って、お茶したいだけですから」


だから、行かなくちゃいけないんです。
ふにゃふにゃに緩んだ顔に、彼は何より驚いていた。それからキッと厳しい顔になって、俺の額を拳で小突く。


「…顔を締めていけよ、死にてえのか」
「…意地悪だなあ、土方さんってば」


誰かが剣戟の向こうから呼んでいる。俺は唇を尖らせて、身を翻した。死ぬなよ、ぽつりと呟かれた言葉が、何度も頭の中で響いた。

音はとても近いのに、走る距離はとても遠い気がした。自分自身の弾む呼吸が情けなく感じて、口元に手を当てたとき。
小路から大通りに開けるはずの角を曲がる手前で、誰かの話し声が聞こえた。
俺は息を殺し、そろりと物陰に隠れる。その声は、愉しんでいるかのように明るかった。


「――三条大橋は潰れたか、壬生狼だなんだ言ってた割りに大したことねえじゃねェか。あのニセモンはどうした、死んだか? …ああ? 骨の立つ奴が見えねえしよォ、つまんねぇんだよ」


相手のほうは周りを気にしてか声を潜めていて聞き取りづらくて分からないが、俺はその声に聞き覚えがあった。――見つかる前に急いだほうがいい。頭で何かを考えるより先に、両足は走っていた。
足音も何も考えず、ただひたすら大通りに向かって走り続ける。
少し進んだ先で、その臭いは一気に鼻を衝いた。
血の臭いが、風に流されて小路の空気を淀ませている。思わず立ち止まりそうになった足を引きずるように、俺は剣戟の音に近づいて小路を抜けた。
月の煌きに反射する青白い玉砂利に、赤くどろどろとしたそれが広がっている。死に至らずにもがき喘ぎ、苦しむ声がそこかしこから聞こえた。池田屋の時にはなかった"明るさ"が、それらをより鮮明に浮き彫りにしていた。


「…っ」


口の中に酸味が広がり、胃が悲鳴を上げる。
――こんなところで、立ち止まりたくなんかない。
俺は乱戦の中で目を凝らし、必死にあの背中を探した。


「貴様…新選組か!」
「!」


声のした右のほうを向けば、そこには既に刀を構える長州藩士がいた。ぶん、と刀身を薙ぐ音が聞こえ、俺はほぼ反射で飛びのく。ごつごつとした砂利が草履の裏から痛いくらいに突き刺さり、俺に自覚を促した。
そのたびに、なんて世界だろうと震える声が己の内に沸きあがる。
僅かに震える指先が、刀の柄を握ったとき。確かに心のどこかで、ほっとした自分がいた。
一息で抜いた刃は空を裂き、それは藩士との間に間合いを作らせる。耳元で聞こえていた雄叫びが、徐々に遠くなるのを感じた。


「うおおおお!!」


声を張り上げて繰り出される一撃は、ずしりと重たく両手に残る。キィンと甲高く擦れる音を発しながら、俺の刀は藩士のそれを押し上げ右脇腹を斬り裂いた。
食い込んだ刃は肉を断ち、彼の着物を赤く染め上げた。
辛うじて意識の残る藩士は血の滴る腹を押さえ膝から崩れると、荒い呼吸を繰り返す。
俺は刀身についた鮮血を払い、通りを進んだ。


びちゃっ。


舞い上がる血飛沫が残像のように視界に映る。
それだけの多くの血が、この場所で流れていた。


(見つからない…、平助)


探す理由は、特になかった。でもこういう場だから、自然と仲間を欲しがるのかもしれない。俺はく、と下唇を噛み、背後の殺意に振り返った。振り向けば、血走った瞳で俺を見る藩士が二人。
殺してやると怨念のように纏わりつくその刀身は、まっすぐに俺に向いていた。


「…二対一、ね」


ぎゅと握る柄が、酷く冷たく感じた。振り上げられた刃に、ひゅ、と息を吸い込んだ。
殺してしまうより、それは酷なことなのだ。あの人を見ていてよく分かっているつもりだった。
翳した両手から刀が零れ落ち、刹那耳を劈く悲鳴が響いた。


「っ腕が、ァあ!!」


彼の左腕は皮一枚で繋がり、肘から下が宙ぶらりんにぶら下がっていた。それを自分でやったのだと思うと薄ら寒い悪寒が走り、チカチカとこめかみが痛む。とめどなく溢れる血を見下ろし、もう一人の藩士は狼狽した。
俺はその首元に刀を突きつけ、頭一つ分身長の高い彼を見上げた。
薄く開かれた唇が、なんと呟かれていたのだろう。
両手に力を込め、脇を固めて振り抜いた。


「っひい」


どさりと崩れ落ちたのは、首筋に深く切れ込みの入った亡骸。


(首って、固いんだ)


左手を眺めながら不意にそんなことが頭を過ぎった。周囲にどよめきが走り、まるで処刑場のように距離を置いて二、三人に囲まれる。
死体と俺とを行き来していた彼らの瞳に影が落ち、揺らがない切っ先が俺に向けられた。


「名前!?」


外側から聞こえた声は、焦りに満ちていた。俺はそこにある景色の中で、彼を見つける。目を逸らした俺の隙をついて藩士が詰めより斬りかかってくるのを一蹴し、呼び声に駆け寄って彼の背後の藩士に前蹴りを繰り出した。ぐふ、と呻き声をもらした彼の手から刀を払い立ち上がると、彼――藤堂は俺の背中にとんと背を合わせる。
え、と零した俺に「余所見すんな!」と声を荒げた。


「…なんでこんなとこ来たんだよ」
「俺、平助が死ぬのやだよ。新選組の誰かが死んで、悲しいって声なんて聞きたくない。聞きたくないから、俺は…過大評価かもしんないけど、助けになりたかった」


後方からキィンと鋼の打ち合う音が響き、叫び声と肉を裂く音が聞こえた。あ、と思った瞬間、前方にも藩士が現れ刀を振り上げる。それを一度受け止めれば、ギチギチと鍔が重なる音が漏れてはそれがまるで着火音のようで。
力で押し返そうとした俺の身体が、ふわりと重たい何かから開放されて軽くなる。右足がすと横にずれ、前傾になっていた藩士の身体が前のめりに倒れた。
意思とは関係なしに動く支配される身体に、理由も無く笑えた。


「また怪我なんかしてきやがったら、みんなで鈍くせえって大笑いしてやるからな!」
「っ! 絶対やだ!」


雑踏の中最後に聞こえた彼の声は、泣きたい位優しくて。
俺は血溜りを跨いで追いかけてくる藩士と向かい合う。地面に刀を突き刺して小石を巻き上げながら振り上げると、飛んできた石に目を瞑った彼に峰打ちを決めた。彼が地面に倒れこんだのとほぼ同時に、それは鳴らされた。


パンッパンッ!
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