未来はいつも
乾いた音が大通り一体に響いた。心なしか収まった剣戟の音に、俺はその音を目で追った。
月光に反射する瓦葺屋根の上に、長い髪を風に靡かせる影が一つ。彼は右手に拳銃を握り締め、その銃口を地面に居る人間に向けた。
「その面の割りに、随分と荒っぽい戦い方すんなァ」
言葉にしたかも怪しいほど小さい声は、口の中で溶けて消えた。
その銃口は不特定多数の人間ではなく、明確な意思を持って俺に焦点を当てる。俺は粘着質な血の這う刀を地面に突き刺し、不知火を見つめ眉間に皺を寄せた。
彼は目をぱちくりとさせるとニヤと厭な笑みを浮かべて、身軽な動作で屋根から飛び降りた。
カチャリ、と重そうな音が耳元で響き、それは俺の額に当てられる。
周りでは未だに藩士と新選組との戦いは続いており、俺と彼との空間だけ異様に浮いていた。
「お前、風間を知ってるよなァ? あ゛ァ? 答えねェと頭ぶち抜くぞ」
硬く、冷たい感触の銃口を、ねじるように動かしながら問うた。鈍い痛みが直接頭に響いて、俺は無言を貫きながら一層眉間の皺を深くする。
「知らない」
ドォン。
耳元で鳴らされた音は、さっきとは比べ物にならないほどの重さを伴って反響した。
「っぐああああ!!」
放たれた弾丸は、先ほど俺が峰打ちで膝をつかせた藩士の左肩を貫いた。急速に喉が渇き始め、飲み込んだ生唾がひりひりと痛みを訴える。
背筋にひやりと冷たいものが走った。
再び俺の額に当てられた銃口は、熱いくらいの温度を持っていて。皮膚が焦げるような痛みが広がり、右頬が思わず引きつった。
「…お前が"名前"なんだろ? 池田屋んときにいたよォ」
「……長州連中、みんなお山に帰したらまともな話が出来るんじゃないの…?」
「っくくく…あっははは!! 言ったなァ、名前! おい、そこの!」
「っな、何――!」
ダンッ。
理不尽にもその弾丸は指名された藩士の左腕を掠め、不知火は銃を肩に置きながら言い放った。
「退け」
彼の言葉にふざけるなと声を荒げた藩士に、
「あぁ? 退けっていってんのが聞こえねェのかよ」
「し、然しだな!」
躊躇いなく放たれた銃弾は、血飛沫を舞い上げて心臓を貫いた。にやと薄く笑った彼の表情に、ざわめきが大きくなる。騒ぐ長州勢の中から、誰かの声が高らかに響いた。
「て、撤退だ!!」
何が起こったのだと立ち尽くすのは、怪我を負った隊士のみ。地面に倒れ伏す藩士以外、そこには一切の敵が居なくなった。
本気でやりやがった、と引き攣った笑みを浮かべ辺りを見渡す。――すると、新選組の集団に一人残された不知火は、俺の首根っこを掴んでずるずると小路に連れ込んだ。俺は衿が詰まって酸素不足に喘いでいると、彼は腰のホルダーに銃身を仕舞い見下ろす。
「あんな目立つとこじゃ話なんかさらさらできねェからな」
「…考える頭はあるんだ」
「あァ? 頭ぶち抜くぞテメェ」
俺がぼそりと零した独白に不知火は眉間に皺を寄せ、腕を組んで家屋の壁に背を預けた。
青い癖のある長髪が風にさらわれ、ふわりと揺れる。
俺はただ、複雑な心境で小路から大通りを眺めていた。
――沖田の間者かという脅しが事実にされそうな予感しかせず、一人肩を抱いて身震いする。またあの視線の中に放り込まれるのだと思うと、このまま逃げたくなってきた。
「…んで、お前鬼じゃねェようだが、」
「知らないもんは知、ら、ね、え。鬼とか風間とかそんなん言われても記憶にありません人違いです」
同じ質問を繰り返そうとする彼の言葉を遮って否定すれば、愉しげに喉で笑った。所詮彼にとって他人事である俺の心配事なんて、頭の隅にも留め置かれていないだろう。
大通りに刺しっ放しの刀を案じ、俺は空の鞘を撫でる。
「人違いなわけがねェ。その面、よォく覚えておくぜ。"名前"つったなァ、お前の素性、風間が知りたがってんだよ」
「…ああ、思い出した。曾お祖母ちゃんが鬼の分家の分家…みたいな話をしてたかもー」
果てしなく面倒くさい。ここは適当に話を合わせておけばいいかとぽんと手を打って精一杯感情を込めて嘘を並べれば、不知火は怪訝そうな顔をして俺の顔を覗き込む。鼻と鼻がくっつくほどの近さで睨んでくるものだから、思わず背中が仰け反った。
「嘘吐け。分家だろうがなんだろうが、お前は鬼じゃねェ」
「……つか素性って何で?」
俺が一歩退くことによって正常な距離に戻し、鈍く痛む額に触れた。そこは皮膚が焼けて、僅かに円形の痕が出来ていた。
面倒だなあと心の中で百は唱えたところで、はあと自然に溜息を零す。軽く握った拳に水気を感じて、脳裏に血飛沫が舞い上がった。
ぞく。
急いで両手を確認してみても、そこに赤いそれは残っておらず、代わりに汗を異様なほど掻いていた。――ああ、ぬめりとして気持ち悪い。
「お前は鬼じゃねェ。けど、人間でもねェ」
「…人間じゃ…ない……?」
凝視していた右手を握り、見開いた双眸で彼を見上げた。
どくんと、心臓が大きく脈打った。
不知火は目を細め、俺の胸倉を掴んで嗤う。
「時間切れだな。まあ、お前のその人間離れしたもんが、うちの大将はよっぽどお気に召したらしいなァ」
どんと壁に押し付けられた衝撃に、思わず顔を歪めた。傷が痛むわけではないのに、つい数刻前まで傷んでいた傷を思い出すと、架空の痛みに襲われるのだ。それを知ってか知らずか、彼はぱ、と手を離し俺に背を向け歩き出した。
「じゃあな、"名前"」
小路の奥深くの暗闇に、不知火の青い髪が沈む。俺はただぼうっとそれを眺めながら、ずるずるとその場にしゃがみこんだ。
今目を閉じると、真っ赤な呪いの手に引きづり込まれそうな気がして。この手が赤く染まる残像が、瞼の裏にこびりついて離れない。
恨めしいと這う声が、今にも聞こえてきそうで。
「…死に、たくな、くて」
月が真上に昇り、小路の奥をも照らし出す。
震える手が頭を抱え、刹那酷い眩暈と頭痛に襲われた。脳を締め付けられるような、金槌で叩かれるような鈍い頭痛が吐き気を引き連れる。うぇ、とえずく口元を押さえ、膝をついて前のめりに崩れた。
気持ち悪い。
気持ち悪い、何より自分自身が。
この手が、この体が、この頭が。
"名前"という存在全てが、とてつもなく気持ち悪くて。
胃からそれらが戻ってくるのを感じ、口の中に不快感が広がる。びちゃと指先から零れた物が、尚更気持ち悪さを引き込んで。俺は頭痛の所為で遠のく意識に身を委ね、どさりと横に倒れこんだ。
景色は一切の色を失って、死体から溢れる赤ばかりが輝いていた。
まどろむ世界の中で、ふわりと秋の香りがした。
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